2012-01-01から1年間の記事一覧

ロマ書9講

第九講 問題の提出(三) -第一章十六節、十七節の研究 - ロマ1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて…

最大最善最上の恩恵(めぐみ)

キリストを信ずること、この事は大国の帝位に就くことよりも大いなる恵みである。 この事は世界一の富者となることよりも遙かに大いなる恵みである。 キリストを信ずることは大哲学者となること、大詩人となること、大美術家となることよりも遙かに大いなる…

楽しき生涯

楽しき生涯(韻なき紀律なき一片の真情)内村鑑三 我の諂《へつら》ふべき人なし 我の組すべき党派なし 我の戴くべき僧侶なし 我の維持すべき爵位なし 我に事《つか》ふべきの神あり 我に愛すべきの国あり 我に救ふべきの人あり 我に養ふべきの父母と妻子あ…

ロマ書の研究 第8講

第八講 問題の提出(二) -第一章十六節、十七節の研究 - ロマ書1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されてい…

ロマ書の研究 第7講

第七講 問題の提出(一) -第一章十六節、十七節の研究 - ロマ1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて…

ロマ書の研究第6講

第六講 ロマ訪問の計畫 第一章八節~十五節の研究 - 8 まず汝らの信仰を世こぞりて言いひろめたるがゆえに、イエス・キリストによりて、汝ら衆人につき、わが神に感謝す 。9 われその子の福音において心をもつてつかうるところの神は、わがたえずなんじら…

ロマ書の研究 第五講

第五講 パウロの自己紹介(四) ─ 第一章五節~ 七節の研究 ─ ロマ1:5 このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。 1:6 あなたがたも、それらの人々の中…

ロマ書の研究 第4講

第四講 パウロの自己紹介(三) -第一章三節、四節の研究 - ロマ 1:3 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、 1:4 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエ…

ロマ書の研究 第3講

ロマ書1:1 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、 ロマ書第一章一節を、原語の順序のままにしるせば パウロ イエス・キリストの僕 召されたる使徒 神の福音のために選ばれたる となる。すなわちロマ書第一章一…

ロマ書の研究 第2講-2

(第2講からの続き) かくイエスのことを説明せしパウロは、次ぎに彼と自分らとの關係を述べて五節を作つた。すなわち言う。「われら彼より恩惠と使徒の職を受く、これその名のために萬國の人々をして信仰の道に從わせんとなり」と。 萬國の人々とあるは、す…

ロマ書の研究 第2講 パウロの自己紹介

第二講 パウロの自己紹介(一) ─ 第一章一節 ~ 七節の研究 ─ ロマ書1:1 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、 1:2 ――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、 1:3 …

歓喜(よろこび)の極みは歓喜の涙

歓喜(よろこび)の極みは歓喜の涙 ツルーベッコイ公は言う「喜びの極みは歓喜の涙である.そして歓喜の涙は苦痛が歓喜に化するときに流れる」と実にそうである。 苦痛を経由せざる歓喜は浅き歓喜である.死別の後に来たる再会、それが歓喜の極みである。 失…

ロマ書の研究第1講 改

内村鑑三の名著「ロマ書の研究」のサイトから、数人の兄弟と輪読を始めた。昨日は第一回目であるが、その文章の持つ力に大いに励まされて、内村の豊富な知識と深い信仰に魅せられた。 http://www.h5.dion.ne.jp/~biblroom/text/U_Rom_idx.htm 第1講の中心点は…

5月23日(水)

アモス5:14 善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、あなたがたとともにおられよう。 5:15 悪を憎み、善を愛し、門で正しいさばきをせよ。万軍の神、主は、もしや、ヨセフの残りの者をあわれまれ…

札幌手作りヨモギまんじゅう

ガラテヤ2:16 しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じ…

十字架を負うとは

十字架を負うとは、 「もし我に従わんと思う者は己を棄て、その十字架をおいて我に従え」とは彼が彼の弟子たらんと欲する者の覚悟を述べられたる言葉である。 十字架は,恥辱、圧服、虐待の印である。そうしてこれを負うの覚悟無くしてキリスト信者となるこ…

キリスト者

キリスト者 風は思いのままに吹く。それがどこからきて、どこへ行くのかは知らないが、しかし神の霊が働くところにキリスト者もまた生きて存在する。 彼らはこの世的に大きな集団をつくらず、社会的にも外形的にも必ずしも目だつ存在ではない。 彼らはこの…

人生勉強の課題

永遠に存続するものは信仰と希望と愛です。これらのうちで最大のものは愛です。 (第一コリント 13:13) 人生勉強の課題 コーヘレス(伝道者)は彼の体験の結論を要約して、「あなたの若い日にあなたの造り主をおぼえなさい」と言いました(伝道の書 12: 1)…

聖書の読み方

聖書は全部読まなければ分らぬというものではありません。 また全部読んで分らぬうちは洗礼を受けられぬというものでもありません。ただイエス・キリストを信じるだけでいいのであります。 聖書を全部読むということは、すばらしいことです。 しかし、全部読…

妄想とは

妄想は自己欺瞞です。妄想は、第一ヨハネの手紙1章8節で述べている自分を欺く人のことです。 1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。(1ヨハネ) 自分は罪を犯したことを知っているのに、人に対して罪…

キリストも無教会信者

キリストも無教会信者 余はまことにキリストなくしては無教会信者たり得ざる者である。 キリストも無教会信者であり給うた。ナザレの教会は彼を放逐した。彼は祭司学者パリサイの人の中に一人の友人を有ち給わなんだ。彼は身を余するの信者の団体を有ち給わ…

制度的教会

「我思うに人の義とせらるるは信仰によりて律法の行いによらず。」 (ロマ3:18 人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。) パウロの福音はこれにて尽きる。他は皆その敷衍に過ぎない. 律法に類…

本当の自分

無教会の内村鑑三の弟子の高橋三郎師の文にこの様な文がある。 2007年3月11日より 「本当の自分」 教師として長い経験を積み重ねてきた方から、こんなお話を聞かせて頂いたことがあります。ある高校の女子生徒が、こんな告白をしたというのです。 ――1年生と…

本末転倒信仰

主「を」喜ぶ、主「に」仕える キリスト信仰の奥義は「をに信仰」だ。「おに」ではなく「をに」だ。つまり主「を」喜び、主「に」仕える信仰だ。 偉い先生から聖書の話を聴いて喜ぶ程度の信仰は、掃いて捨てるくらいそのへんにころがっている。 大事なのは、…

この神殿をぶっ壊せ!

ヨハネ4:21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。 「やれ、エルサレムでなければならないの、やれ、ゲリジム山でなければならないのと、全く…

教会無き キリスト教

キリスト教より教会を引き去りて、残るは完全なる道である。 われは道なり真理(まこと)なり生命なりとイエスが言いたまいしその道である。 教会という制度的衣装がどろにまみれて見にくしとて、キリストとその福音を捨つる理由となすに足りない。 教会な…

歓喜と希望

歓喜と希望 春は来たりつつある 雪は降りつつある しかし春は来りつつある 寒さは強くある しかし春は来りつつある 春は来たりつつある 春は来たりつつある 雪の降るにもかかわらず 寒さの強きにもかかわらず 春は来たりつつある 慰めよ、苦しめる友よ 汝(…

後世への最大遺物

フレデリック・ウィリアム・ハーシェル(Sir Frederick William Herschel, 1738年11月15日 - 1822年8月25日)は、ドイツのハノーファー出身のイギリスの天文学者・音楽家・望遠鏡製作者。天王星の発見や赤外線放射の発見など、天文学における数多くの業績で…

風の中に立つライオン

「風に立つライオン」さだまさし 故郷ではなく東京の桜が 突然の手紙には驚いたけれど嬉しかった 何より君が僕を怨んでいなかったということが これから此処で過ごす僕の毎日の大切な よりどころになります ありがとう ありがとう ナイロビで迎える三度目の…

最小数のキリスト信徒, 1/26/2012

最小数のキリスト信徒 マタイ 5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。 5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は…