2012-01-01から1年間の記事一覧

ロマ書の研究第29講

第二十九講 潔めらるること(二) 〔參考〕マタイ傳第十二章二九節、 ヨハネ傳第二一章十八節 僕(しもべ)役の生涯 前述せしとおり、第六章の問題は「潔め」である。すなわちクリスチャンは奮励欲求して全き神の子たるべく進まねばならぬ、全き聖潔に達せん…

ロマ書の研究第28講

第二十八講 潔めらるること (一) - 第六章一節 ~ 十四節の研究 - バプテスマの意義 第六章一節 ~ 十四節は決して解しやすい箇處ではない。さりとて全然不可解の處ではない。 そもそも第六章と第七章は何を記すを主眼とするのであるか。 ロマ書の三大問…

ロマ書の研究第27講

第二十七講 アダムとキリスト (二) -第五章十二節 ~ 二一節の研究(下)- 前囘に引きつづき、第五章十二節 ~二一節の研究であるが、この場處は短き語の中に無量の眞理をふくませた處であるゆえ、文章としては不備の點多く、全部を正確に了得することは…

ロマ書の研究第26講

第二十六講 アダムとキリスト(一) - 第五章十二節 ~ 二一節の研究(上)- ロマ書第五章は、一節より十一節までにおいてもつぱらキリストによる救いを説いた。信仰による恩惠、信仰の生活に與えらるる力、および信仰の結果たる救いは力強く説かれた。十…

ロマ書の研究第25講

第二十五講 義とせらるることの結果(二) - 第五章一節 ~ 十一節の研究 - ロマ書第五章の一節 ~ 五節は、ある意味において崇高なる詩というべき箇處である。もとよりパウロが専門の詩人であるからではない。およそ偉大なる信仰の士は、宗敎家にして、哲…

誕生日

「誕生日 ロウソク吹いて 立ちくらみ」 「シルバー川柳」からの一句 73本のロウソク吹き消すのは息が続かない.それでも消さないと幸いになれないなどと言うのは嘘だ。 内村鑑三の「一日一生」の11月24日には、以下を引用して曰く。 Ⅱペテロ 3:12 そのように…

ロマ書の研究第24講

第二十四講 義とせらるることの結果(一) - 第五章一節 ~ 十一節の研究 - 5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの…

ロマ書の研究第23講

第二十三講 アブラハムの信仰 -第四章の大意 - 萬人の罪人なること、ゆえに人は到底行いをもつて神の前に義たり得ぬこと、從つてただ神より義を賜わるほかに道なきこと、そして神はこの義を我らに賜うて、義ならざるに義とする道をひらきたまいしこと、そ…

ロマ書の研究第22講

第二十二講 神の殿(みや) [ 詩編133 ] 都上りの歌。ダビデによる 133:1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。 133:2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流…

ロマ書の研究第21講

第二十一講 永世不變の道 - ペテロ前書第一章二三節 ~ 二五節、 およびエペソ書第五章十八節について - Ⅰペテロ1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによ…

ロマ書の研究第20講

第二十講 神の義(四) -第三章二五節、二六節の研究 3:25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐…

ロマ書の研究第19講

第十九講 神の義(三) - 第三章二三、四節の研究 - 3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、 3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。 今,律法の外に神の義が顕…

健全なる教会;村上 密

カルト教会についての意見を聞いた 健全な教会を求めて カルト化した教会の被害者は、もう二度と同じような経験をしたくないと思いながら、なぜまたカルト化した教会に移っていくのでしょうか。それは熱心さが信仰的と思っているからです。だれでも自分の熱…

ロマ書の研究第18講

ロマ書3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。(新改訳聖書) 第二一節は、律法をはなれて神の義のあらわれしこと、および律法と豫言者がそれを裏書きすることを説い…

内村鑑三の日記

十月三日(火)雨 藤井喬子の葬式が九段メソヂスト教会に於て行はれた。夫君の切なる依頼に由り余は説教師の役目を務めた。余は黙示録十四章十三節を引いて曰ふた。「死は悲しむべきであるが、人生には死よりも悲 しむべき事がある。それは信仰の抛棄である。…

ロマ書の研究第17講

第十七講 神の義(一) -第三章二一節の研究 - 第三章二〇節は、既讀するところを總括して「このゆえに、律法の行いによりて神の前に義とせらるるもの、一人だにあることなし、そは律法によりて罪は知らるるなり」と言うた。道德的に完全なる人は世に一人…

ロマ書の研究第16講

第十六講 律法の能力 - 第三章十九節、二〇節の研究 - 前講において説きしごとくパウロは舊約書の引用をもつて萬人有罪の主張を裏書きせしめしのち、左のごとき強き語をもつてこの箇處を結んだ。 19 それ律法の言うところは、その下にある者に示すとわれら…

大正7年9月24日の日記、内村鑑三

九月二十四日(火) 大暴風雨家は動き家根は雨漏り垣は倒れ戸は破る、脆い我が生涯なる哉、天然は或時は あまももろ 残酷であるかのやうに思はれる、然し一年に一度の暴風雨と思へば耐へ易く、暫時の仮の住居と思へば意に懸ら あらしかりすまゐこゝろ ない、来…

新しい霊の家族

エペソ5:6 むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。 5:7 ですから、彼らの仲間になってはいけません。 5:8 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の…

ロマ書の研究第15講

第十五講 「人類の罪」(二) - 第三章一節 ~ 二〇節の研究 - 第三章九節 ~ 二〇節は、全人類を罪人と定めし箇處であること、前述せしとおりである。そして全人類と言えば、勿論そのなかに自己のふくまれおることをみとめざるを得ない。然らば自己が罪人…

老人の日に寄せて

老年の祝福 老は老耄(ろうもう)ではない老熟である。そうあらねばならない。永く神に導かれた実験である。 信者はこれをもって神に仕え人に仕えねばならぬ。 これに優る幸福はない。ゆえに老はなるべく長くあることを欲する。 老年の一年は壮年の十年、青年…

ロマ書の研究第14講

第十四講 人類の罪(一) -第三章一節 ~ 二〇節の研究 - 3:1 では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。 3:2 それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねら…

ロマ書の研究第13講

第十三講 ユダヤ人の罪(二) -第二章の研究 - 2章1節 このゆえに、およそ人を審くところの人よ、汝、言いのがるべきなし。汝、他人を審くは、正しく己れの罪を定むるなり。そは審くところの汝も同じくこれを行えばなり。 とある。まず注意すべきは、審判…

新渡戸稲造

1000円札に描かれている夏目漱石は小説家。 10000円札に描かれている福沢諭吉は「学問のすすめ」を著した慶應義塾大学の創始者。 それでは、5000円札に描かれている新渡戸稲造は、「武士道」を書いた人。 彼は 文久2年(1862年)、南部藩…

ロマ書の研究第12講

第十二講 ユダヤ人の罪(一) - 第二章の研究 - 第二章においては、自己の同胞たるユダヤ人の罪惡を擧示せんとするのである。。そして人は救われんためにはまず罪を示されねばならぬ。罪人救濟のよろこびを傳える福音は、罪人たるを自認せる人にのみ受得…

戦争絶対廃止論者・内村鑑三

戦争絶対廃止論者・内村鑑三 余は日露非開戦論者であるばかりでない 戦争絶対廃止論者である 戦争は人を殺すことである そうして人を殺すことは大罪悪である そうして大罪悪を犯して個人も国家も 永久に利益を収め得ようはずは無い 7月1日NHK TVにて「日本…

ロマ書11講

第十一講 異邦人の罪(二) -第一章二八節 ~ 三二節の研究 - ロマ書第一章十九節 ~三二節は、前講において説きしごとく、三段に分つことができる。すなわち左のごとくである。 第一段(十九節~ 二三節)、悟性のみだれ(偶像崇拝) 第二段(二四節~ …

ロマ書第10講

第十講 異邦人の罪(一) - 第一章十八節~三二節の研究 - ロマ 1:18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。 1:19 なぜなら、神について知りうることは、彼らに明ら…

義と愛、ウオッチマン・ニー

義と愛 ウオッチマン・ニー「神の福音Ⅰ」 神は義であるので罪を裁かないわけにはいきませんでした。 神は愛であるので,人に変わって人の罪を担わなければなりませんでした。 神は義であるが故に裁かなければなりませんでした。 また神は愛であるが故に人の…

同伴同化

同伴同化 我らがクリスチャンになりたりということは、詩人ホイットマンのいわゆる大いなる伴侶をすでにこの世において得たと言う事である。 しかして未だこの世において伴侶を得ないものはキリスト信者と称してクリスチャンではない。単に福音の群れに加わ…