2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧
69 マタイ伝 基督の死状に就て 基督の死状に就て 明治39年9月15日 『聖書之研究』79号「雑録」 署名なし 彼がエリ、エリ、ラマ、サバクタニの声を発し給ひし理由。馬太伝廿七章四五―四九節。 是れは過ぐる八月、越後国柏崎町に於て開かれたる教友会員夏期懇談…
68 マタイ伝 馬太伝第廿六章六十四節に就て 馬太伝第廿六章六十四節に就て (六月七日午後札幌独立教会内に設けられし該地教役者会に於て述べし所) 〔七〕 大正7年8月10日 『聖書之研究』217号 署名なし イエス彼に曰〔い〕ひけるは汝が言へる如し、且〔かつ…
67マタイ伝 地上再会の希望 (十一月九日午後) 大正8年1月10日 『聖書之研究』222号 署名内村鑑三述 藤井武筆記 我れ汝等に告げん、今より後汝等と共に新しき物を我父の国に飲まん日までは再びこの葡萄にて造れる物を飲まじ(馬太〔マタイ〕伝廿六章廿九節馬可…
66 マタイ伝 無意識の善 馬太伝廿五章三十一節以下(一月三十一日今井館に於て) 明治42年月3日10 『聖書之研究』107号「講演」 署名なし 善は無意識のものでなければ真正(ほんとう)の善ではない、我は善を為(な)せりと意識する時に我は善を為して居らない…
65 マタイ伝 十人童女の譬喩 (三月九日) 馬太伝第二十五章一―十三節の研究 大正8年6月10日 『聖書之研究』227号 署名内村鑑三 述藤井武筆記 イエスの終末観を伝ふる馬太〔マタイ〕伝二十四五両章中に三個の譬喩(ひゆ)がある、其第一は僕(しもべ)の譬喩(ひ…
64 マタイ伝 乗雲の解 (聖書を戯謔(あざけ)る基督教の教師等に告ぐ) 大正7年6月10日 『聖書之研究』215号 署名内村鑑三 ○基督再臨の信仰を戯謔(あざけ)る者は彼が雲に乗りて臨(きた)り給ふといふ事を戯謔(あざけ)るを以て常とする、彼等は曰ふ、雲は湯…
コゲラ 63 マタイ伝-3 イエスの終末観 馬太伝第二十四章の研究 大正8年4月10日 『聖書之研究』225号 署名内村鑑三述藤井武筆記 第三回(三月二日) 世の終末の審判等の問題を研究するに当りて先づ明白ならしむべきは聖書の如何なる書なる乎である、今日多く…
63 マタイ伝-2 イエスの終末観 馬太伝第二十四章の研究 大正8年4月10日 『聖書之研究』225号 署名内村鑑三述藤井武筆記 第二回(二月二十三日) 馬太〔マタイ〕伝二十四章又は馬可〔マルコ〕伝十三章、路加〔ルカ〕伝二十一章等に現はれたるイエスの終末観…
63 マタイ伝 イエスの終末観 馬太伝第二十四章の研究 大正8年4月10日 『聖書之研究』225号 署名内村鑑三述藤井武筆記 第一回(二月十六日) 馬太〔マタイ〕伝第二十四章は聖書中最も難解なると共に又最も重要なる一章である、故に此章を解する者は即〔すなわ〕…
62マタイ伝 第3回夏期講談会における聖書の注解(1902年) マタイ伝18章19―20節 ハクセキレイ 我また爾曹に告げん若し爾曹〔なんじら〕の中二人のもの地に於て心を合せ何事にても求めば天に在す吾父は彼等の為に之を成し給ふべし、蓋(そは)我が名の為…
61 マタイ伝 嬰児の死 明治43年6月10日 『聖書之研究』120号 署名内村鑑三 五月十一日、生後十ケ月の小女の葬儀に臨みて述べし所なり、時に暴風屋外に荒れ、内に集(つど)ひし者、其両親を合せて僅〔わず〕かに十人なりき。 汝等慎みて是等の小さき者の一人…
59 マタイ伝 マタイ伝16章27節、24章30節 それ人の子は父の栄光を以て其使等(つかいたち)と偕(とも)に来らん、其時おのおの行(おこない)に由て報ゆべし(馬太〔マタイ〕伝第十六章二十七節)。 其時人の子の兆(しるし)天に現はる、また地上にある諸…
60 マタイ伝 イエスの変貌 (東京神田バプチスト中央会堂に於て六月二日) 馬太伝十七章一―八節 大正7年7月10日 『聖書之研究』216号 署名 内村鑑三述藤井武記 聖書は如何〔いか〕なる書なる乎〔か〕を説かんと欲せば必ずや聖書を以てしなければならない、聖書…
58 マタイ伝 大正10年10月10日 『聖書之研究』255号 署名内村鑑三 其弟子対(むか)ふの岸に到りしにパンを携〔たずさ〕ふる事を忘れたり、イエス彼等に曰〔い〕ひけるは心してパリサイとサドカイの人の麪酵(ぱんだね)を慎めよ、弟子互に論じて曰ひけるは是…
57 マタイ伝 第二回夏期講談会に於て読まれし聖書の部分並に其略註 明治34年8月25日 『聖書之研究』12号「註解」 署名内村鑑三 第一日馬太〔マタイ〕伝第十六章一より三節まで パリサイとサドカイの人きたりてイエスを試んとて天の休徴(しるし)を我儕〔われら…
第五十四講 キリスト敎道德の第四 社会の一員としての愛 十三章八 ~ 一〇節 パウロは十二章において愛の道を説き、その最後においては愛敵の勧めに入り、これに促されて、十三章においては政権服從の大義を唱道し、その終わりにおいて「なんじら、受くべき…
56 マタイ伝 波上の歩行 昭和3年10月10日『聖書之研究』339号 署名内村鑑三 馬太〔マタイ〕伝十四章廿二―卅三節 ○此所〔ここ〕に記〔か〕いてある事は果して在つた事か否かは今日確(しか)と定(き)める事は出来ない。人が水の上を歩き得やう筈〔はず〕なし…
55 マタイ伝 明治36年8月13日『聖書之研究』43号「講演」 署名なし これ木匠(たくみ)の子に非〔あら〕ずや(マタイ伝十三の五五) 彼は木匠に非ずや(マコ伝六の三) 是れは実に著(いちじるし)い言辞(ことば)であります、此言辞をキリスト信者の信仰の立場…
54マタイ伝 毒麦の比喩 馬太伝十三章廿四―三十節。仝卅六―四十三節。 明治44年6月10日 『聖書之研究』131号 署名なし イエス他の比喩(たとへ)を彼等に提供して曰〔い〕ひけるは、天国は其畑に良き種を播く所の人に譬〔たと〕へらるべし、人々の寝(ね)たる…
53-2 マタイ伝 地上の教会に関するイエスの比喩的予言-2 馬太伝第十三章の研究(四月廿八日東京数寄屋橋教会に於て) 明治45年5月10日 『聖書之研究』142号 署名内村鑑三 基督教会は外に成長して此世の権者の宿る所となるべしとは芥種の比喩の教ふる所である…
53-1 マタイ伝 地上の教会に関するイエスの比喩的予言-1 馬太伝第十三章の研究(四月廿八日東京数寄屋橋教会に於て) 明治45年5月10日 『聖書之研究』142号 署名内村鑑三 福音の真理を講ずるに方〔あたつ〕て、何にも必しも聖句(せいく)と称して聖書の一節又…
52 マタイ伝 馬太伝第十三章の研究-2 (東京神田三崎町バプチスト中央会堂に於て六月廿三日) 大正7年8月10日『聖書之研究』217号 署名内村鑑三述 藤井武筆記 聖書の研究は困難なる事業である、其の研究の結果窮(かぎり)なき生命(いのち)の泉を掬〔く〕む…