キリストも無教会信者

 
キリストも無教会信者
余はまことにキリストなくしては無教会信者たり得ざる者である。
キリストも無教会信者であり給うた。ナザレの教会は彼を放逐した。彼は祭司学者パリサイの人の中に一人の友人を有ち給わなんだ。彼は身を余するの信者の団体を有ち給わなんだ。狐に穴あり、空の鳥に巣あり、然れども人の子は枕するところがなかった
(聖書之研究、内村鑑三)
 
新教会
監督なし、牧師なし、伝道師なし、憲法なし、洗礼なし、聖餐式なし、按手礼なし、楽器と教団とを備えたる教会なし、神あり、キリストあり、聖霊あり、神と人とを愛する心あり、その教会堂は上に青空を張り、下に青草を敷きたる天然なり。その礼拝式は日々の労働なり、その音楽は聖霊に感じたる時の感謝の祈祷なり、その憲法は聖書なり、その監督はキリストなり。しかしてその会員は霊と真とを以て神を拝する世界万国の兄弟姉妹なり、我等は永久にこの教会に忠実なる会員たらんと欲す。(新希望、内村鑑三
 
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春にめざめし蛙は神の創造物にて、イスラエルのエジプトの地を脱出するときに一役買った。今我が庭にて命の再生に励んでいる。
こうやって命が訪れてくれるのは、老夫婦にとっては嬉しい限りだ。