2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ロマ書の研究第38講

第三十八講 救いの完成(五) 八章十四 ~ 十七節 ロマ書研究の困難なるは、われらがパウロの心持に入ることの困難なるに基因する。もし彼のおる立場にわれらも立ち得れば、彼の思想は決して了解しがたくない。しかるに、いつとはなしに自己の舊き立場に歸り…

ロマ書の研究第37講-2

第三十七講-2 約 説 禁欲と靈化 聖書のことばはそのままにて眞理である。これに註節を付するの必要はない。註解を付してかえつてその意味をそこなうのおそれがある。詩人ホィットマンが自分を歌うたことばにいわく、 私は知る、私の尊厳なるを。しかし私は…

ロマ書の研究第37講-1

第三十七講 救いの完成(四):1 八章五 ~十三節 ロマ書八章の一節より十三節までを讀みて、たれにも明らかなることは、「肉」なる文字の多いことである。この語は第三節より出はじめて、十三節までに、實に十三囘の多きに達してゐる。パウロは何ゆえに、…

ロマ書の研究第36講

第三十六講 救いの完成(三) 八章一 ~十一節 八章の一節より十一節までを研究するについて、まず一言すべきは、その各節について精密なる研究をすることのほとんど不可能であるということである。優秀なる幾多の學者が、各節各語の解釋について、種々の異…