制度的教会
「我思うに人の義とせらるるは信仰によりて律法の行いによらず。」
(ロマ3:18 人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。)
パウロの福音はこれにて尽きる。他は皆その敷衍に過ぎない.
律法に類する事はパウロにとりては違則である。
(世の制度的教会はパウロ信仰の、キリスト信仰の外なるもので有る、とのこと)
牧会書簡(テモテ、テトス)において現れたる制度的教会のごときはパウロの思想内に入るべからざるものである。
彼にしてもし彼をも唱えこれをも説きしとならば彼は単一の思想の人ではない.余りに注意して両面を見た人であって、単刀直入、以て深く人の肺腑にきりいりした人ではない.牧会書簡をパウロの書簡と見て、活けるパウロは自ら消えてしまうのである。(聖書の研究113号)