2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

ロマ書の研究第21講

第二十一講 永世不變の道 - ペテロ前書第一章二三節 ~ 二五節、 およびエペソ書第五章十八節について - Ⅰペテロ1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによ…

ロマ書の研究第20講

第二十講 神の義(四) -第三章二五節、二六節の研究 3:25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐…

ロマ書の研究第19講

第十九講 神の義(三) - 第三章二三、四節の研究 - 3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、 3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。 今,律法の外に神の義が顕…

健全なる教会;村上 密

カルト教会についての意見を聞いた 健全な教会を求めて カルト化した教会の被害者は、もう二度と同じような経験をしたくないと思いながら、なぜまたカルト化した教会に移っていくのでしょうか。それは熱心さが信仰的と思っているからです。だれでも自分の熱…

ロマ書の研究第18講

ロマ書3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。(新改訳聖書) 第二一節は、律法をはなれて神の義のあらわれしこと、および律法と豫言者がそれを裏書きすることを説い…

内村鑑三の日記

十月三日(火)雨 藤井喬子の葬式が九段メソヂスト教会に於て行はれた。夫君の切なる依頼に由り余は説教師の役目を務めた。余は黙示録十四章十三節を引いて曰ふた。「死は悲しむべきであるが、人生には死よりも悲 しむべき事がある。それは信仰の抛棄である。…

ロマ書の研究第17講

第十七講 神の義(一) -第三章二一節の研究 - 第三章二〇節は、既讀するところを總括して「このゆえに、律法の行いによりて神の前に義とせらるるもの、一人だにあることなし、そは律法によりて罪は知らるるなり」と言うた。道德的に完全なる人は世に一人…