歓喜(よろこび)の極みは歓喜の涙

 
歓喜(よろこび)の極みは歓喜の涙
 
ツルーベッコイ公は言う「喜びの極みは歓喜の涙である.そして歓喜の涙は苦痛が歓喜に化するときに流れる」と実にそうである。
苦痛を経由せざる歓喜は浅き歓喜である.死別の後に来たる再会、それが歓喜の極みである。
 
失敗が成功として現るる時に,その時に感謝の涙がこぼれる。エリラマサバクタニの声を発して後に始めて見神の歓喜がある
 
注;ツルーベツコイ【Nikolay Sergeevich Trubetskoy】
 [1890~1938]ロシア生まれの言語学者。ヨーロッパ構造言語学の発展に貢献、特に新しい音韻論の方法論を確立した。
 
主を信じる快楽
 
信者にとり最も善き日は多くのことをなしたる日ではない。最も深く主イエスを信じたる日である。
 
何もなさずともよいのである。彼を信ずれば足りるのである。 信これ最大の行である。故に何をもなさざる日、然り何をもなすあたわざる日が多くの場合において信者に取り最も善き日である。
 
主を信じるの快楽、ただ単に信じるの快楽、
信者は求めて多くこの快楽を取るべきである。
 
(日々の生涯を語る,1918、904)
 
 
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