神に選ばれたユダヤ民族

ユダヤ人の定義は複雑である。ユダヤ教を、信奉する人々をユダヤ人と呼ぶと定義付けられることが多いが、イスラエル国の国民をそう呼ぶこともある。世界中に散っているユダヤ人は、アメリカ人だろうが、ロシア人であろうがその国のパスポートを持っていればその国の民族と呼ばれるが、依然ユダヤ人であると本人は主張する。

滞在する国とユダヤ教が対立することがあっても、相手に忠誠を誓うことがなく自分のユダヤ教の信仰に限りなく忠誠を誓うし命も投げ出す。

その様な現代のユダヤ人の強固な信仰にもかかわらず、昔はその創造主なる神を忘れ偶像崇拝に陥ったことが何度もあった。

そのために主から、神から、預言者を通して、痛い目に遭わされて、その道を修正してきて、時代の変化によって、また同じ事の繰り返しで、叱られても、痛い目に遭っても

偶像崇拝の悪癖から抜け出せないのが人間の弱さのようです。

その弱さこそ、聖書で神が罪と呼ばれる人間の弱点です。欠点であります。

目に見える者しか信じようとしない、信頼しない、人間の欠点です。

 

聖書はこのユダヤ人の、いや人間の醜い生き様のオンパレードです。

そう、初期には奴隷から解放してくださり、もっと前には、この地球上に素晴らしい

天国を作って下さり、何の苦労もなく生きられたのに、神の様になりたいとの欲望に引きずられて、神に背いて罪を犯し、その楽園を追放さて悲惨な人間の歴史を今に繋げているのです。

それはユダヤ人が歴史において起きたことは真理であると信じているからです。時間と空間の内で起こったことは真理だと、事実だと信じるのです。一方ギリシャ人の考える真理とは、きれいに調和の取れた形而上学的体系であるものと思っています。

ユダヤ人の書いた旧約聖書は、ユダヤ的観点から、すなわち時間と空間に根ざしている真理と捉えなければなりません。