同伴同化

 同伴同化
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我らがクリスチャンになりたりということは、詩人ホイットマンのいわゆる大いなる伴侶をすでにこの世において得たと言う事である。
 
しかして未だこの世において伴侶を得ないものはキリスト信者と称してクリスチャンではない。単に福音の群れに加わりたればとて、また単に教理を闘わせせばとて、この清き交友がなくして人は決してクリスチャンではない。
 
しかして彼と我との交際は実に親密なる者である。「汝我に在り、我汝に在り。」という次第である。彼、我に代わりて死にたれば我もまた彼に対して死するのである。すなわち、パウロの言いしが如く、「もはや我生きるにあらず,キリスト我にありて生きるなり」というに至るのである。ここにおいて同伴同化となるのである。                (聖研 114