大正7年9月24日の日記、内村鑑三

九月二十四日(火) 大暴風雨家は動き家根は雨漏り垣は倒れ戸は破る、脆い我が生涯なる哉、天然は或時は
あまももろ
残酷であるかのやうに思はれる、然し一年に一度の暴風雨と思へば耐へ易く、暫時の仮の住居と思へば意に懸ら
あらしかりすまゐこゝろ
ない、来客なく校正と手紙書きとに平静なる一日を送つた。
 
九月二十五日(水) 晴大風の後の平静である、好き秋の日和であつた、朝市中に二三の友人を訪づれた、其の後差したる事を為さずして一日を送つた、
 
信者に取り最も善き日は多くの事を為したる日ではない、最も深く主イエスを信じたる日である、
 
何を為さずとも可いのである、彼を信ずれば足りるのである、信是れ最大の行である。故に何をもなさざる日、然り何をも為す能わざる日が多くの場合において、信者に取り最も善き日である、
 
主を信ずるの快楽、唯単に信ずるの快楽、信者は祈求て多く此快楽を取るべきである。
 
一日は一生である、善き一生がある如くに善き一日がある、悪き一生がある如くに悪き一日がある、一日を短かき一生と見て之をゆるがせにしてはならない事が解る。