内村鑑三の日記

十月三日(火)雨    
 
藤井喬子の葬式が九段メソヂスト教会に於て行はれた。夫君の切なる依頼に由り余は説教師の役目を務めた。余は黙示録十四章十三節を引いて曰ふた。「死は悲しむべきであるが、人生には死よりも悲
しむべき事がある。それは信仰の抛棄である。品性の堕落である。罪を犯して神とキリストとより離れる事であ
る。然るに喬子は信仰を完うし、聖き貞淑の生涯を終つた。恰かも危険多き旅行を無事に終つたやうなものであ
つて、逝きし彼女も残りし我等も彼女の為に神に感謝するが当然である。死に就て感謝すると聞いて此世の人等
は異様に感ずるであらうがクリスチヤンには此事が在り得るのである」と。藤井喬子は日本婦人特有の淑徳に熱
き基督教の信仰を加へた者である。現代の日本には極めて稀れなる婦人であつた。
十月四日(土) 半晴
書き物多くして眼と手とが疲れる。然し福音を拡める事であるが故に労力は惜くない。

近頃は新聞紙は手にするも読む部分は甚だ尠くある。新聞紙が懣らなくなる時は信仰の旺んなる時である。此世
との関係が段々尠くなつて、終には之と絶縁するも欲しくなくなるのであらう。
 
十月五日(日) 曇夜雨、朝夕二回に三百三四十人の来会者があつ
た。加拉太書の研究を始めた。塚本虎二病癒えて再び我等と共に高壇に立つに至つて感謝であつた。講堂は狭く、会員は増す一方で引続き困難である。教会と何等かの折合がついて、此等多数の求道者を分つことが出来れば大なる幸福である。
 
 
 
大正11年の今頃のことでした、内村の日記より。
教会を避けて、大勢が内村のところに押し寄せたようだ。
聖職者の胡散臭さが当時から在ったのだろう。人はその欺瞞を見抜く知恵があるのだ。
 
 
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恒例の誕生日食事会、食べることには積極的な家族は、。うまい物食べようというと、集まる.おかげで、孫は親に追いつき追い越す行きよい。
先が思いやられる食欲だ。