内村鑑三 マタイ伝 59講 マタイ伝16章27節、24章30節

59 マタイ伝
マタイ伝1627節、24章30節
それ人の子は父の栄光を以て其使等(つかいたち)と偕(とも)に来らん、其時おのおの行(おこない)に由て報ゆべし(馬太〔マタイ〕伝第十六章二十七節)
其時人の子の兆(しるし)天に現はる、また地上にある諸族は哭〔な〕き哀〔かなし〕み且つ人の子の権威と大なる栄光をもて天の雲に乗り来るを見ん、(馬太〔マタイ〕伝二十四章三十節)
白衣〔しろきころも〕を着たる二人の人ありて旁〔かたわら〕に立ち、(弟子達に)曰ひけるはガリラヤ人よ、何故に天を仰ぎて立てる
や、爾曹を離れて天に挙げられし此イエスは爾曹が彼の天に昇るを見たる其如く亦来らん(使徒行〔しとぎようでん〕伝第一章十一節)
其他使徒行伝第三章二十一節、哥林多〔コリント〕前書第一章七節、腓立比〔ピリピ〕書第三章二十節、帖撒羅尼迦テサロニカ前書一章十節、
同二章十九節、同三章十三節、同後書一章七節、希伯来〔ヘブル〕書九章二十八節、彼得前〔テモテ〕書五章四節、仝後書三章三、四節、黙示録第一章七節、仝三章十一節、仝二十章四より六節まで等
 
略註
キリストの再来に関しては聖書の掲ぐる所は之に止まらず、之れ聖書記者の意中に存せし一大事項たりしや疑ふべからず、其哲学的、歴史的に如何に解すべきものなるや、余は茲〔ここ〕に之を弁ぜざるべし、然れども之を等閑〔とうかん〕に附して聖書の大部分を解し得ざるに至るは疑を挾むべきにあらず、キリストの再来は改革者の希望なり、若し此事なしとすれば世の完全なる改新は到底望むべからず、吾人の改革なる者は単に一部的たるに止る、且つ一方を改むれば他の方面に害を及さゞるを得ず、人類全躰を改むるが如きは是れ神以下の実在者の完成し得る事業にあらず。
今日までキリストの再来を予言して其言の当らざりし事幾回なるを知らず、故に世の智者を以て自から任ずる者は此説を嬉笑〔きしよう〕して止まず、然れども其今日まで成就せざりしを以て其終〔つい〕に行はれざるの兆〔きざし〕となすべからず、予言者の予言使徒等の希望は常に此一事にありき、是れ迷信家の夢想にあらず、歴史家の結論なり、改革者唯一の慰藉〔いしや〕なり、世に人類の堕落を見て失望に沈む者多きは聖書が吾人に伝へたる此大希望を心に受けざる者多ければなり。
 
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