内村鑑三 マタイ伝 69講 基督の死状に就て

69 マタイ伝 基督の死状に就て
 
基督の死状に就て
明治39915  『聖書之研究』79号「雑録」   署名なし
 
彼がエリ、エリ、ラマ、サバクタニの声を発し給ひし理由。馬太伝廿七章四五―四九節。
 
是れは過ぐる八月、越後国柏崎町に於て開かれたる教友会員夏期懇談会の席上に於て会員の質問に対して内村生が述べたものであります。
基督は其伝道の初めに方〔あたつ〕てカナに於ける婚筵〔こんえん〕の席に於て人に葡萄酒を飲ませ給ひ、終〔つい〕に自分は酢〔す〕を飲ませられるに至つたのであります、聖書の此の所を読んで基督が神性を備へ給ひしと同時に又真個の人間であつたことを深く感じます、此のエリ、エリ、ラマ、サバクタニの辞(ことば)詩篇(廿二章一節)から引いた言葉であつて、是れはイエスが幼(いとけな)い時から母の膝に恁(もた)れて読んで居られた詩篇の言が自然に発したのであります、基督に其時勇ましい死状(しにかた)を人に見せやうと云ふやうな御心があつたならば、彼は巍然(ぎぜん)として十字架上に立ち上り、猶太〔ユダヤ〕人を罵るとか、或は羅馬〔ローマ〕語か希臘〔ギリシア〕語で学者牧伯を責むるといふやうな事をなされたであらうと思ひますが、彼は決してそんな事はなさりませんでした、彼は其時知らず知らず其祖国の言葉たる希伯来〔ヘブライ〕語を以つてエリ、エリ、ラマ、サバクタニと叫ばれました、之に依て基督が如何に私共に近い方であつたかを想像することが出来ます、私も死ぬ時には多分英語や其他の外国語を語りながら死に就かうと思ひません、それで私共から見ますと或は基督にもう少し勇ましく死んで戴きたかつた、少くともステパノ位ひに勇ましく、又ヨブの様〔よう〕に「神我を殺すとも我は神を捨てず」と云つて死んで戴きたかつたやうに思はれます、併〔しか〕し能〔よ〕く考へて見ますれば基督が「吾が神我が神なんぞ我を捨て給ふ乎」と云つて下された事が私共の心を非常に強くします、或時は私共が病気にでも罹〔かか〕れば苦痛の余りに神を怨み奉ることが往々あります、そこで斯く神を怨み奉るやうな罪を犯したのであるから神は到底私共を赦〔ゆる〕し給ふまいと思ひて非常に心を痛めます、然しながら基督の死状を考へる時には、彼が「我が神我が神何ぞ吾を捨て給ふ乎」と叫ばれてそれで神の独子であるとすれば、私共の不信の罪をも神は必ず赦し給ふことを信じ、それに由て大なる慰安を得るのであります、基督の死状がステパノのやうでありましたならば私共は苦痛の余り神を怨み奉つた時に如何にして良いか行く瀬が無いのであります。
英国の有名なる文学者サムエル・ジヨンソンは立派な信仰を有〔もつ〕て居つた人でありましたが、彼が死の床に就きし時に或婦人が彼を訪問致しますと、彼はブル〱ふるへて居ましたから、「何が恐しいのでありますか」と尋ねましたら「地獄に陥るのが恐しい」と答へました、そこで「地獄に陥(おち)るとは如何(どう)いふ事でありますか」と聞きま
したら「神を離れて悪魔に交(わた)されることである、貴女(あなた)はそれが恐しくはありませんか」と病床から叫んだと云ふことであります、ジヨンソンの如き立派な信仰を有し乍(なが)ら地獄に陥ることを懼(おそ)れたと云ふものは人の人たる所以〔ゆえん〕で又ジヨンソンのジヨンソンたる所以であります。
能く世間では基督教信者の死状は美〔うる〕はしい者であると云ひまして、其れがために基督教を貴びまするが、然〔し〕か人の死状の如何によつて彼が天国に行くか地獄に陥るかゞ分るものではありません、彼が彼の全生涯を神の為めに用ゐたか、彼の全生涯の目的は何であつたか、其れに依つて定まるものであります。
北米合衆国の独立を助け、ワシントン、フランクリンと共に尽力した人にトマス・ペインと云ふ人がありました、此人は「道理の世」と云ふ本を書いて大に当時の基督教会を攻撃した為めに世人から非常に卑められまして、今に至るも誰もトマス・ペインなどゝ呼ぶ者は無く、トム・ペイン、トム・ペインと呼ばれて居ります、そこでトム・ペインの死状〔しにかた〕は非常に恐ろしい、苦悶を極めたものであつて彼を看病した老婆某は将来決して無神論者の看病は為すまじと決心したと云つたとの事であります、然るに其後無神論者のインガソルと云ふ人が出て十万弗〔ドル〕の懸賞を以て若〔も〕し果して老婆の言つたと云ふ言を証拠立て得るものがあるならば此金額を与へんと云つて、証拠の出るのを待ちましたけれども、幾年すぎても此事を証拠立つるものなく、今は終にトム・ペインの死状の悲惨であつたと云ふことは何時(いつ)となしに消滅して仕舞つたのみならず、近頃に至つてトマス・ペインはワシントン、フランクリンとの三人中最も多く信仰を有したる人にて、彼が仏蘭西〔フランス〕に行つた時には彼国人の神を信ずること甚だ少なきを慨〔なげ〕き、書を著して大に宗教心を彼等の中に鼓吹〔こすい〕したと云ふことが明かになり、コンウエイと云ふ学者が其伝を書いて、彼は彼時代に於て人類の為めに多く尽したる人であつたことを世人に知らしめる様になりました。
ジヨン・バンヤンの書いた『悪人の伝』に悪人は安らかに死んだと書いてあります、そこで私共は基督をしてかゝる声を発せしめし人類の罪の如何に大なるかを感ずると同時に、人の死状によつて其善悪を判断することの誤謬〔ごびゆう〕なるを了〔し〕りますれば、斯かる考は此懇話会を限りとして一切止〔や〕めて仕舞いたいと思ひます。
1906(明治39)9
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