内村鑑三 マタイ伝14講ーその3

馬太伝第五章-3
明治391110日― 40年1月10
『聖書之研究』818283号「研究」  署名内村鑑三
 
3マタイ伝5
○「そは汝等より前の予言者をも如此せめたりき」彼等は……窘〔はずか〕しめたれば也、彼等不信者は今汝等を窘〔はずか〕しむるが如く、汝等より前に世に送られし予言者をも窘〔はずか〕しめたれば也、此く罵られ、辱しめられ、窘〔はずか〕しめられ、悪口せらるゝ者は惟〔ひと〕り汝等に止まらざれば也、福〔さいわ〕ひなる理由の第二なり、世に責めらるゝは福ひなり、天に於て汝等の報賞多ければ也、然れども迫害に耐え忍ぶの報賞は之に止まらざる也、地に在りては汝等は昔時の予言者と同情的関係に入るを得るなり、而して是れ大なる報賞なりとなり、迫害は我等を神と繋ぎ又偉人と繋〔つな〕ぐ、我等は之に由りてイザヤ、ヱレミヤの友となり、パウロヤコブヨハネの兄弟となるを得るなり、天に在りては聖徒と共に永生を楽しむの報賞(むくひ)あり、地に在りては士師、予言者、使徒、其他すべて義のために窘(はずか)しめられし者と霊交を結び最も深き意味に於ての兄弟的関係に入るの快楽あり、我等は福音のために窘しめらるゝ時に、不信者が穀物と酒との豊かなる時に歓ぶが如くに喜ぶべきなり(詩の四篇七節)
(改訳) 喜べ、躍り歓べ、天に於て汝等の報賞(むくい)多ければ也、そは彼等は汝等より前の予言者をも此く窘(くる)しめたれば也。〔以上、・〕
 
地の塩と世の光
 
汝等は地の塩なり、塩もし其味を失はゞ何を以てか故の味に復(かえ)さん、後は用なし、外に棄てられて人に践まるゝ而已〔のみ〕。 (13)
「汝等は」我少数の弟子なる汝等は
○「地の塩なり」全地の腐敗を防止し、之に味を附する者なり、少数の基督信者に依て社会全体の道徳は維持せられ、人生の興味は供せらる、世は永久にキリストを信ぜざるべし、然れどもキリストの弟子に由て其道徳的生命は維持せらる、塩の日常生活に必要なるが如く、キリストの弟子は社会の存在に必要なり、基督信者なくして社会は永久に存在する能〔あた〕はず、是れキリストの言にして亦〔また〕歴史の事実なり
○「塩若〔も〕し其味を失はゞ」塩若し塩たるの性を失はゞ、其鹹味〔かんみ〕を失ひ、其の防腐力を去らばと。斯かる事はパレスチナ産の塩に往々有る事なりと云ふ、純粋の塩にあらずして、多くの混合物を含有するに因るなるべし
○味を失はゞと訳せられし原語(moranthē)は感覚を失ふの意義に於て昔時医学上の術語として用ゐられしと云ふ、故に此場合に於ては地の塩たるべきキリストの弟子若し其信仰的感覚を失ふに至らばの意なるべし
○「何を以てか故の味に復さん」何を以てか塩つけられん、「故の味に復さん」は訳者の意訳なり、而かも正確なるものと称すべからず、地の塩たるべき弟子若し其信仰的感覚を失はゞ、地は何に由てか其腐敗を防止せん、亦塩自身は何を以てか其鹹味を回復せん、塩にして其鹹味を保たば地の腐敗は恐るゝに足らず、然れども塩若し其鹹味を失はゞ、地の腐敗に恐るべき者あり、基督信者の腐敗は信者自身に取りては勿論、社会全体に取りて、最も寒心すべき事なり
○「後は用なし」鹹味を味ひし後の塩、信仰的感覚を失ひし後の信者、世に用なき者と
て之に如〔し〕くもの他にあるべからず、馬糞と牛骨とは之を肥料として用ゐるも益あり、愚者も俗人も全く用なきにあらず、然れども鹹味なき塩と信仰なき信者とは廃物中の廃物なり、如何なる智者と雖〔いえど〕も其利用法を発見する能はず
○「外に棄られて人に践まるゝ而已」人に践まれんとて外に棄てらるゝ而已、「外」とは戸外なり、道路の意なるべし、昔時ユダヤに於ては今の朝鮮支那に於けるが如く、道路は掃溜(はきだめ)の用をなしたり、人に践〔ふ〕まれんとて外に棄てらるゝとは道路を固めんために其上に散布せらるべしとの意にあらず、腐敗せる塩は砂利の代用をも為すに足らざるなり、唯不用物として戸外に棄てらるゝのみ、而して用なき、賎むべき、嫌ふべき者として行人に践まるゝ而已〔のみ〕、是れ鹹味を失へる塩の運命にして、亦信仰を失へる信者の運命たるなり
○地の必要物は地の無用物と化するの恐れあり、最も貴き者は最も賎むべき者となる、天使若し堕落すれば悪魔と化す、信者若し堕落すれば世の汚穢(あくた)又万(よろず)の物の塵垢(あか)と成る、大なる恥辱は大なる栄光に伴ふ、天国に登らんと欲して若し之に達し得ざれば地獄に堕つ、我等は畏懼戦慄(おそれをのゝき)を以て我等の救を全うすべきなり(腓立比〔ピリピ〕書第二章十二節)
 (改訳)汝等は地の塩なり、塩もし其感覚を失はゞ何を以てか塩つけられんや、後は用なし、人に践まれんとて外に棄てらるゝ而已。汝等は世の光なり、山の上に建られたる城は隠るゝことを得ず。(14)
 
「汝等は世の光なり」地の塩たる我少数の弟子たる汝等は亦同時に世の光たるなり、汝等は内より地の腐敗を防止し、外より其闇黒を照すべき者なり
○「山の上に建られたる云々」山の上に建られたる城市は隠れんと欲して隠るゝことを得ず、世に注目さるべきが其特性たるなり、光として世を照らし山上の城として世の注意を惹〔ひ〕く、是れ汝等我弟子たる者の避けんと欲して避くる能はざる所なり。
改訳の要を見ず。
 
燈(ともしび)を燃(とも)して斗(ます)の下に置く者なし、燭台に置きて家に在るすべての物を照らさん。 (15)
「燈を燃して云々」汝等の中、何人か燈を撚して之を斗の下に置く者あらんや、之を燭台の上に置て家に在るすべての物を照らさしむるに非ずや、其如く神も亦汝等の心に点火して、即ち汝等に福音の真理を降して、汝等を隠所(いんしょ)に隠(かく)し置き給はんや、必ず世を照らさしむるために汝等を燭台の上に置き、又世の注意を惹〔ひ〕かんために汝等を山の上に曝〔さ〕らし給ふべし、汝等は世を照らすための燈台として、又我を世に示すための証人として立てられし者なり、我弟子たる汝等は既に公的人物たるなり、汝等は今より後、自己のために生くる能はず、又自己のために死する能はず、汝等は自己の利益をのみ計りて、独り密かに我福音を信ずる能はざるなり、我福音は異邦人の哲学と異なる、是れ自己一個人のためにのみ信じ得る者にあらず、是れ内を照らすと同時に亦外に向て輝くべき者なり、山の上に建てられし城の如く難攻不落なると同時に亦敵の注意を惹く者なり、神が福音の真理を汝等
に授け給ひしは汝等が独り自ら之を楽まんがためにあらざるなり。
(改訳) 燈(ともしび)を燃(とも)して斗の下に置く者なし、燭台の上に置くなり、而して燈は家に在るすべての物を照らすなり。此の如く人々の前に汝等の光を耀(かがや)かせ、然かすれば人々汝等の善行を見て天に在〔いま〕す汝等の父を崇むべし。(16)
「此の如く云々」燈は燭台の上に置かれて家に在るすべての物を照らすが如く汝等の光も亦人々の前に耀(かがや)きて其闇黒(くらき)を照らすべきなり、我は汝等に汝等自身を人々の前に耀かすべしと言はず、そは光りは神より臨みて汝等の衷〔うち〕に存する者にして、汝等自身は光りにあらざれば也、汝等は自己を銜(てら)ふべからず、汝等の衷に存し、汝等に託せられし光をして耀かさしむべきなり、汝等は汝等の衷に耀く光を掩はざれば足る、汝等は自(おのづ)から努めて己より光輝を放つ能はず、そは汝等自身も亦闇黒の子供なればなり、然れども汝等の衷に降りし光は自から光輝を放つ者なり、唯〔ただ〕人、往々にして之を蔽はんとするが故に其光輝を朦朧〔もうろう〕たらしむるなり、汝等は燈明台なり、燈光にあらず、而して善き燈明台は善く燈光を四方に放つ者なり、汝等は世の注目する所となるを恐れて、汝等の衷に在る光を蒙蔽し、以て其放光を妨ぐべからざる也
○「然かすれば云々」汝等自身耀かんとする勿〔なか〕れ、汝等の衷に在る光をして自由に耀かしめよ、其放光に何の妨害をも加ふる勿れ、然かすれば善行〔よきおこない〕は求めずして汝等より出づべし、而して世の人々は汝等に由て為〔なせ〕る善行を見て汝等を誉めずして、天に在〔いま〕す汝等の父を崇〔あが〕むべし、汝等我弟子は我に傚〔なら〕ひ、汝等の名誉の揚らんことを需〔もと〕むべからず、天に在す汝等の父の崇められんことを計るべし、汝等は聖人君子として世に迎へられざるも可なり、然り、偽善者、奸物、国賊として待(あへしら)はるゝも可なり、只、汝等の天の父の名の崇められんことを努めよ、而〔しか〕して斯くなさんがために汝等の美名、安全、幸福を犠牲に供し、世に耶蘇〔やそ〕信者として指弾(つまはじき)せらるゝを厭〔いと〕はず、教会に不信者として排斥せらるゝを意とせず、大胆に、勇ましく、汝等の心に臨みし自由の神の霊をして自由に其光を放たしめよ。
(改訳) 此(かく)の如く汝等の光をして人々の前に耀(かが)かしめよ、斯(か)くて彼等は汝等の善行を見て天に在(いま)す汝等の父を崇(あが)むべし。
 
塩と光
 
○少量の塩能〔よ〕く団塊の腐敗を止む、少数の基督信者、能〔よ〕く全地の堕落を防ぐ、信者にして信者たらん乎、少数にして能〔よ〕く多数を制するを得べし、汝等の一人は千人を逐ふことを得んと(約書亜〔ヨシユア〕記第廿三章十節)、信者は社会を制せんとするに方〔あたつ〕て、其多数なるを要せず、信者が多数に頼らんとする時は既に其信仰を失へる時なり。
○信者は己れ自から地の塩たり、世の光たる能はず、彼も亦世の人と等しく防腐剤と光輝とを要する者なり、彼が地の塩たり得るは身に救済(すくい)の鹹味(かんみ)を受けしが故なり、彼が世の光たり得るは心に福音の光に接したれば也、彼は信仰を以て救済の鹹味を失はざれば足る、然かすれば彼は努めずして地の大腐敗を防ぐを得べし、彼は亦世を懼〔おそ〕るゝの余り、俗智を弄して彼の衷に臨みし光明の発輝を妨げざれば足る、然かすれば彼は欲せざるも世の真闇を照らすを得べし、彼の衷に働く塩をして自己に鹹味(あじ)をつけしめ、又世に鹹味(あじ)つけしめよ、亦彼の衷に耀く光をして自己を照らし亦世を照らさしめよと、是れ完全に彼の大使命を果たすの秘訣なり、信者の堕落は道徳の堕
落を以てにあらず、信仰の減退を以て始まる、己れキリストなる塩を失つて、地の塩たり得ざるに至り、己れキリストなる光を蔽(おお)ふて、身に光を放ち得ざるに至る、キリストは茲に彼の弟子等に道徳を教へ給ふにあらず、信仰を伝へ給ふなり。
 
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