内村鑑三 マタイ伝 24講

24 マタイ伝
第二回夏期講談会に於て読まれし聖書の部分並に其略註
1901(明治34)8
 
第九日馬太〔マタイ〕伝第五章十三より十六節まで
なんじらは地の塩なり、塩若し其味を失はゞ何を以てか故(もと)の味に復〔かへ〕さん、後は用なし、外に棄てられて人に践〔ふま〕るゝのみ。なんじらは世の光なり、山の上に建られたる城は隠るゝことを得ず、燈〔ともしび〕を燃して斗〔ます〕の下に置く者なし、
燭台に置きて家に在る凡ての物を照らさん、此の如く人々の前になんじらの光を輝かせ、さすれば人々なんじらの善行〔よきおこない〕を見て天に在ますなんじらの父を栄(あが)むべし。
吾等キリストを信ずる者は地の塩なり又其光なり、塩は其量少しと雖も多量の腐蝕物の腐敗を止むるの力を有す、一個の燈光は広き室を輝らすの力を有す、故に少量なるが故に無能なりと做〔な〕すべからず、小数なるが故に無力なりと做〔な〕すべからず、然り、世の腐敗を止むる者は常に少数の義人なり、世の暗黒を輝らす者は常に二三の聖人なり、多数にのみ依頼する今の人は深く此事に注意せざるべからず。
キリスト信者は世の少数なり、亦〔また〕真正にキリストを信ずる者はキリスト信徒中の小数なり、吾等此事を見て時には大に失望す、然れども此最小数のキリスト信徒こそ、実に教会を救ひ世を救ふの力なるなれ、吾等をしてキリストに忠実ならしめよ、然らば吾等は確かに此腐敗せる大社会を潔むるを得ん。
 
第十日
イヱス彼等(弟子達)に曰ひけるは徧〔あまね〕く世界を廻〔めぐ〕りて凡ての人に福音を宣べ伝へよ(馬可〔マルコ〕伝第十六章十五節)
吾等がキリスト教を信ずるは特に吾等自身が救はれん為に非〔あら〕ず、神が我等を救ひ給ひしは吾等が世の人を救はん為也、伝道は基督信者の身に添ふ義務なり、伝道せざる者は基督信者に非ざるなり。
我に美はしき名二つあり、二者共にJを以て始まる、イヱス(Jesus)なり、日本(Japan)なり、我は之を称して二つのJ(two js)と云ふ、我の宗教は此二者を離れて存在せず、イヱスの為めなり、日本の為めなり、イヱスの栄光を顕はさんため、日本の名誉を傷けざらんためなり、我が夏期講談会も此等二つの美しき名のために開かれ
しなり、吾等は是より各々家に帰らんと欲す、然れども吾等は大重任を負はずしては此所を去らじ、イヱスの為
め、日本の為、イヱスの為めに不義に陥る勿れ、日本の為めに外国宣教師の補助を受くる勿れ、日本を救ふに日本人の力を以てせよ、二つのJを忘る勿れ。
 
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