武士道とキリスト教
新渡戸稲造著“武士道 BUSHIDO,THE SOUL OF JAPAN”は英語で書かれ、明治32(1899)年にアメリカで出版された。その後、日本語はもちろん、ドイツ語、フランス語はじめ様々な言語に翻訳され、今も読み継がれている。
「新渡戸(1862-1933)は、武士道の淵源(えんげん、成り立ち)・特質、民衆への感化を考察し、武士道がいかにして日本の精神的土壌に開花結実したかを説き明かす」(岩波文庫版『武士道』のカバー解説より)
[ある時私は、ベルギーの法学者に「日本には宗教教育がない」と話したところ、「宗教なしで、どうやって道徳教育をするのか」と自分に善悪の観念を吹き込んだのは武士道であることに気がついた。封建制と武士道がわからなくては、現在の日本の道徳観念はまるで封をした「巻物」と同じことだとわかったのである。
第1章 倫理システムとしての武士道
武士道は、戦う貴人が職業だけでなく日常生活においても守るべき道で、「騎士道の規律」「ノーブレス・オブリージュ」(身分高い者に伴う義務)である。それはむしろ不言不文の語られざる掟、書かれざる掟であったというべきだろう。それだけに武士道は、いっそうサムライの心の肉襞に刻み込まれ、強力な行動規範としての拘束力を持ったのである。
第2章 武士道の源(sources)
12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
第3章 義(rectitude)もしくは正義(justice)
義は、サムライの規範の中で最も厳格な教えである。裏取引や不正や卑怯な行為ほど嫌われるものはなかった。
第4章 勇気、勇猛心と忍耐
勇気は、義のために行われるものでなければ、徳として数えられる価値はないと見なされた。勇気とは、正しいことを行うことである。
第5章 仁(benevolence)、惻隠(そくいん)の情(the feeling of distress)
愛、寛容、他者への愛情、同情、哀れみは、常に至高の徳として認められてきた。仁は、優しい母のような徳である。孟子は「惻隠(そくいん)の情は仁のルーツである」と言った。か弱き者、敗れたる者、虐げられた者への仁の愛情は、とくにサムライに似つかわしいものと称揚された。
第6章 礼儀正しさ
礼儀のルーツは、他人の気持ちを尊重することから生まれる謙虚さや丁寧さである。
第7章 真実性(veracity)と誠意
真実性と誠意がなければ、礼儀は茶番か芝居である。サムライの約束は、通常、証文なしに決められ実行された。証文を書くことは面子を汚すことであった。
第8章 名誉
名誉は、この世における最高の善として尊ばれた。若者が追求しなければならない目標は、富や知識ではなく名誉だった。
第9章 忠誠の義務
自分の命は主君に仕えるための手段と考え、それを遂行する名誉が理想の姿だった。
第10章 サムライの教育と訓練
教育で第一に重視されたのは、品性の形成(to build up character)であった。
第11章 克己心(セルフコントロール)
武士道は、一方において不平不満を言わずに耐える不屈の精神を訓練し、他方においては、自分の悲しみや苦痛を外面に表すことで他人の楽しみや平穏を損なわないように、という礼儀正しさを教えた。
第14章 女性の訓練と地位
女性が夫や家庭、ファミリーのために自らを犠牲にするのは、男性が主君と国のために身を捨てることと同様、自分の意志に基づくものであって、それは名誉あることとされた。
第15章 武士道の影響
俗謡に「花は桜木、人は武士」と歌われ、武士道精神を表す「大和魂」は、日本の民族精神(フォルクガイスト)を象徴する言葉となった。
第16章 武士道は生き続けるか
武士道はこのまま廃れるのだろうか。芳しくない兆候が漂いはじめている。
第17章 武士道の遺産
武士道は独立した倫理的な掟としては消え去るかも知れない。しかしその光と栄光は、廃墟を越えて生き延びるだろ
(未完)