内村鑑三マタイ伝 49講 平安獲得の途

49 マタイ伝
 
平安獲得の途 (カルト教会から脱出の方)
明治421110 『聖書之研究』114号「講演」  署名内村鑑三
 
十月十三日東京青山なる監督ハリス氏宅に於て故ハリス夫人紀念のために開かれたる美以教会信徒組会に臨み其席上に於て述べし者の大略なり。
 
凡〔すべ〕て疲れたる者、又は重きを負へる者は我に来れ、我れ汝等を息(やす)ません、我は心、柔和にして謙遜(へりくだ)る者なれば我軛(くびき)を負ひて我に学べ、汝等心に平安(やすき)を得べし、そは我が軛は易く我荷は軽ければ也。馬太〔マタイ〕伝十一章廿八―三十節。
茲〔ここ〕に言ふ「凡て疲れたる者、又は重きを負へる者」とは必しも「凡て患難(なやみ)に在る者」と云ふ事ではない、前後の関係より推して見て或る特別の疲労を感じ或る特別の重荷を負へる者を指して云ふたものである事が判明(わか)る、それは即ち其当時のユダヤ人の中に行はれし神学上并に宗教上の疑問并に煩悶を指して云ふたものである、其時に於ても今の時に於ての如く宗教家の間に多くの議論が闘はされた、聖書は如何〔いか〕に解釈されべきものである乎〔か〕、何〔いず〕れの教会が真正(ほんとう)の教会である乎〔か〕、其他種々雑多の問題が正直なる信者の頭脳(あたま)を悩(なや)ましたのである、而〔しか〕して之を解釈せんとして多くの人は疲れ、又之を重荷に感じ、或時は信仰が嫌(いや)になつたのである、宗教は元々人の本性に在る者であつて、之を健全に発達すれば多くの利益を彼に供する者であるが、然し、一朝其途〔みち〕を誤れば宗教ほど世に害を為す者は無いのである、而して其当時のユダヤ人も此誤謬〔ごびゆう〕に陥つて居つたのであつた故に、イエスは茲に彼等に対して此教訓を叙べ給ふたのである、即〔すなわ〕ち彼は曰〔い〕ひ給ふたのである、凡て神学問題を以て心を労し、教会問題を以て身に苦痛を感ずる者よ、汝等之を去て我に来れ、我れ汝等を息ません云々
と、彼は茲に世の所謂〔いわゆる〕宗教問題解決の秘訣を伝へ給ふたのである、而して其秘訣とは外ではない、是れは哲学の研究に於て在るのでもなければ、亦〔また〕教会の選択に於て在るのでも無い、単に心の持様(もちよう)に於て在るのである、即ち柔和にして謙遜なるに於て在るのである、宗教問題の解決に苦むとは云ふものゝ、其源(もと)は智識の不足に於てあるのではなくして心の傲慢〔ごうまん〕なるに於て在るのである、故に若〔も〕しイエスに傚〔な〕らひ、彼の如くに柔和に、彼の如くに謙遜になれば、問題は自(おの)づから解けて了(しま)ふとのことである。
而して是れ誠に簡単なる教であつて、別に語るの必要はないやうに見ゆるなれども、然し実際此難問題に接した者はイエスの此教訓の如何に深い、如何に力ある者である乎を能く知ることが出来る、実は宗教問題の研究程益の尠〔すくな〕い者は無いのである、其範囲の余りに広いが故に、又其終極点の余りに遠いが故に、之に従事するは恰〔あた〕かもサハラの沙漠に迷込(まよいこ)みたると同然であつて、殆〔ほと〕んど際涯(はてし)のない事である、茲に於てか多くの無益の問題は簇出〔そうしゆつ〕し、之に嫉妬、忿恚〔ふんい〕等の劣情の伴ふありて、神聖なるべき此問題は時には陋劣〔ろうれつ〕の極を演ずるに至るのである、教会問題も亦同じである、人世を悩ます者にして実は此問題ほど険悪なる者はないのである、教会問題を解決せんがために多くの大戦争は闘はれた此問題あるが故に、信者の間に犬猿も啻〔ただ〕ならざる憎悪と反目とが行はれ、愛の標目たるべき基督教会は終〔つい〕に今日の如く紛争、結党、兇殺の府と化したのである、如何にして神学思想を統一せん乎、如何にして基督教会を結合せん乎とは常に起て常に結ばれざる問題である、而して此等の二大問題を解決するに足る大神学者も大牧師も未〔いま〕だ世に出でないのである。
然るにイエスは既(すで)に業に其解決法を供し置き給ふたのである、即ち此等の大問題を放棄して彼の柔和と謙遜を学び、彼の命じ給ひし愛の軛(くびき)を頚(くび)に懸けよとのことである、然らば是等の大問題は倏(たちまち)にして解け、其れより来る
煩悶(はんもん)と心労とは直〔ただち〕に去るべしとのことである、人が己れを知らず、有ることなくして自〔みずか〕ら有りとして己を欺きつゝあるが故に此煩悶と心労とがあるのである(加拉太〔ガラテヤ〕書六章三節)、柔和と謙遜と愛の軛(くびき)、是れがすべての神学問題解決の秘訣、教会問題解釈の根本であるとの事である。
然らば我等はイエスの如くに謙遜(へりくだ)るべきである、心に低くなりて我等は頭(あたま)を無用の問題に触れざるに至る、而して深く己の衷〔うち〕を探ぐるを得て其処〔そこ〕に真理と神とを発見し得るに至る、又イエスの如くに柔和になりて我等は人と衝突せざるに至る、而して友を深く己が衷に迎へて其処に彼等と共に見えざる霊の教会を作り得るに至る、柔和にして謙遜なるイエスに在りては今日の所謂る神学問題もなければ教会問題もない、彼に在りてはすべてが平安である、世に無益の問題と無益の要求とを以て我等を煩はす者の多き今日、我等は再びイエスに復〔か〕へりて彼の与ふる休息と平安とを我有〔もの〕となすべきである。
 
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