内村鑑三 ヨブ記の研究-2 第15講 ヨブ終に贖主を認む

第十五講 
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 約百記第十九章の研究
(十月十日)
 
○論理整然たるビルダデの攻撃に会してヨブ答ふるに語なく、その悲寥〔ひりよう〕は絶頂に達して遂に友の憐〔あわれ〕みを乞ふに至る、これ十九章一節―二十二節である、一節―六節に於〔おい〕ては友に対する不満を述べ、七節よりは悲痛極まる哀哭(あいこく)の語を発する、まづ神かれを撃ちしことを述べ、次には「我を知る人々は全く我に疎(うと)くなり」し有様を精細に描きて、知人、兄弟、親戚、友人、僕婢、妻さへも我を離れし現在の寂寥孤独を呻〔うめ〕くが如〔ごと〕く訴ふるが如く述べてゐる、彼はビルダデの辛辣〔しんらつ〕なる攻撃に会して茫々〔ぼうぼう〕たる天地の間に唯〔ただ〕一人なる我の孤独を痛刻に感じたのであらう、
されば彼は二十一、二節に於て言ふ「わが友よ汝等われを恤(あは)れめ、我を恤(あは)れめ、神の手われを撃てり、汝等何とて神の如くして我を責め我肉に饜(あ)くことなきや」と、友の無情を怨(えん)じ又その憐(あわれ)みを乞ふのである、今までは友の攻撃を悉〔ことごと〕く撃退したる剛毅〔ごうき〕のヨブも遂に彼等の同情、憐愍〔れんびん〕、推察を乞ふに至る、その心情まことに同情に値するのである。
 
○十九章を見るに二十二節と二十三節の間に何等の間隔もないが実は此間に一の休止(pause)を置いて読むべき
ものであらう、ヨブは二十二節までの語を発して友の同情を乞ひ茲〔ここ〕に暫〔しばら〕く発語(ことば)を止めて三友人の顔を見まもつて居たことであらう、そして彼等が如何〔いか〕なる態度を以て彼の言に対するかを見てゐたのであらう、彼は心中ひそかに彼等の変化を予期してゐたのである、然〔しか〕るに三友の容貌は少しも和〔やわら〕がないのみか却〔かえつ〕て傲然〔ごうぜん〕として彼を見下す其態度にヨブは彼等の心を斯〔か〕く読んだであらう「汝遂に憐愍(あわれみ」を乞ふに至つたか、さらば何故早く其謙遜を示さなかつたのか、汝早く謙遜を示せば我等他に言ふべき事があつたのである」と、実に三友はヨブの哀切なる懇求に接しても依然としてヨブを圧する態度を取りて、庇護〔ひご〕同情を少しも現はさうとはしなかつた、ヨブは三友の此
心を知りて悲憤が胸中に渦まき立つを感じた、彼は此時此世にありて絶対の孤独境に入つたのである、併〔しか〕し乍〔なが〕ら物窮〔きわま〕れば道おのづから通ずる、此時今まで友の顔を見つめつゝあつたヨブは急遽〔きゆうきよ〕として眼を他に転ずることが出来た、そして遥か彼方〔かなた〕を望み見るを得た、かくて二十三節以下の語が発せられたのである。
 
○二十三、四節には三つの願が記されてゐる、第一は「望むらくは我言(ことば)の書き留められんことを」である、第二は「望むらくは我言書(ふみ)に記(しる)されんことを」である、第三は「望むらくは鉄(くろがね)の筆と鉛とをもて之を永く磐石8いわ」に鐫(え)りつけ置かんことを」である、之は友の無情に失望して今の人の誰人にも訴ふるの無益を悟りて後世に知己を求めんとの心より出でし言である、先づ我言の書き留められんことを望み、次には書物に記されて遺らんことを望み、最後には其言が鑿(のみ)を以て磐(いわ)に刻まれて其中に鉛(なまり)を流しこんで永久に遺らんことを望む、思想は順を逐(お)ふて強まるのである、かくして彼が己の言を後世に遺すときは必ず彼の罪なきに受けし災禍(わざわひ)を認めて彼の同情者、弁護者、
証人となるものが出づるであらうとの期待を抱いたのである、(王の功績などを石に刻みて其永久に伝はらんこ
とを期する風は古代東方諸国に於ては盛であつたと見え、今日時々この種の石が発見せられて歴史学及び考古学
上の有益なる資料となる事がある)
 
○併し此願を発しつゝある時ヨブに又一の思想が起つた、よし磐に我言を刻して後世に遺すも後世の人も亦〔また〕人である、現代の人と同様に、又彼の三友と同様に人である、然らば友を後世に求めんとするは焦土に樹木を求めんとする類であつて全く無効であると、かくヨブは心に思つた、ために失望が再び彼を襲はんとした、その時忽焉〔こつえん〕として二十五―二十七節の大思想が彼に光の如く臨んだ、後世に訴ふる要なし我の弁護者、我の証者、我の友は今天に在りとの新光明が今や此世に於て又人の中に於て道窮まりたる彼に臨んだのである。
 
○二十五―二十七節は左の如くである。
われ知る我を贖(あがな)ふ者は活(い)く、後の日に彼れ必ず地の上に立たん、わが此皮此身の朽ちはてん後われ肉を離れて神を見ん、我れみづから彼を見奉らん、我目かれを見んに識らぬ者の如くならじ、我心これを望みして焦(こが)る。
「我を贖ふ者」は我の弁護者(我を義なりと証して我の汚名を濺〔そそ〕いでくれる者)の意である、この者が今活きてゐる事を我は知る―我は確信する―と云ふのである、彼は存在し居るのみならず今活きて活動し居り、我の味方たり我正義の保護者であると云ふのである、これ実に暗中より探り出したる強烈なる信仰の珠玉である、そして「後の日に彼れ必ず地の上に立たん」とは此弁護者が他日地上に出現するとの予感である、そして二十六節に於ては「わが此皮此身の朽ちはてん後われ肉を離れて神を見ん」とて死後に神を見んとの確信を発表し、二十七節には「我れみづから彼を見奉らん」と之を反覆強調し、次に「我目かれを見んに識らぬ者の如くならじ」と三度繰返して其確信を発表してゐる、最後の語は神を我友として認識せん(今日の如く敵として相対する如きこ
とあらじ)との意味を言ひ表したのである。
 
○この偉大なる語の最後に「我心これを望みて焦(こが)る」とあるに注意すべきである、我を贖ふ者は後日地上に現はれんと云ひ、死後われ神を見んと云ふ、実にこれ偉大なる希望である、彼は此の聖望心に起りて心の琴の高く鳴るを感じた、此語を発しつゝある時彼の心は九天の上にまで挙げらるゝを感じた、この大希望を以て熱火の如く彼の心は燃えた、彼の心は湧〔わ〕きたつた、大歓喜は彼の全心に漲〔みなぎ〕つた、故に彼はこの心に燃える熱き望を言ひ表はして「我心これを望みて焦る」と云ふたのである。
 
○この語の中に注意すべき二三の思想がある、第一は贖ふ者は神であると云ふ思想である、二十五節と二十六節
を併〔あわ〕せ見れば此事は明瞭である、第二は此の贖ふ者が地上に現はると云ふ思想第三は或時に於て人が神を見る眼を与へられて明かに神を直視し得るに至るとの思想である第一はキリストの神性を示すもの、第二はキリストの再臨、第三は信者の復活及び復活後に神を見奉ることを示すのである、絶望の極この三思想心に起る時―否この三啓示心に臨むとき―絶望の人は一変して希望の人、歓喜の人となるのである。
 
○近世の神学はその本文批評を武器として右の如き見方を破壊せんと頻〔しき〕りに努力する、本文を改訂して右の如き意味を除き去らんとするのである、しかし福音的信者は之を承認しないのである、救主の神性、その再臨、信者の復活をヨブの右の語に読みて過らないと思ふ、そして之を以て必しも新約的意味を強ひて旧約聖書の解釈に用ひたと難ずべきではない、ヨブは己の義を証するもの地上に一人もなきを悟りて遂に神に於て之を求むるに至つたのである、即ち彼は心の自然の動きに追はれて贖主の観念にまで到達したのである、彼に限らず何人にても彼の場合に立ちて光明探求の心を棄てずば終〔つい〕に茲に至るのである、之を特殊の天啓と見ずとも人間自然の要求と見れば少しも怪むを要さない、今日基督者の中に再臨復活等の信仰を喜び受くる者多きはそれが我本来の要求に合致するからのことである、信者は神学を求めず信条(ドグマ)を要せず、たゞ魂の中におのづと湧き出づるものにして同時に天父より啓示さるゝものを求むる、即ち己の要求と上よりの啓示と相合致せし所の真理を要するのである。
 
○次に見るべきは二十八、二十九節である、ヨブが上述の如き心理的過程を経て遂に贖主(あがないぬし)を発見するに至るや友に対する彼の態度は一変したのである、前(さき)には「我を恤(あは)め我を恤(あは)れめ」と友に哀願せしに今は友を審判(さば)くに至つた、「汝等もし我等いかに彼を攻めんかと言ひ、また事の根われにありと言はゞ剣(つるぎ)を懼れよ、忿怒(いかり)は剣の罰を来らす、かく汝等遂に審判(さばき)のあるを知らん」とは即ち其語である、もし三友等あくまでヨブを罪ありとしてヨブを如何にして攻めんかと腐心するならば、心せよ神の恐るべき審判(さばき)臨むに至るであらう、神は遂に或時ヨブの無罪を証明すると共にヨブを苦めし三友を罰し給ふであらう、怒(いかり)の剣を以て攻め給ふであらうと、かくヨブは三友に
威圧的警告を与へたのである、ヨブは新光明に接せしため屈辱の極より一躍して勝利の舞台に登り、友等を眼下
に見るに至つたのである、屈辱より栄誉に、敗北より勝利にとヨブは一瞬の間に大変化を経たのである、それは
光明に接せしためである、僅〔わず〕か一章の間に此大変化が潜んでゐるのである。
 
○第十九章は実に約百〔ヨブ〕記の分水嶺である、依て我等は茲に今までの経過を回顧して四五の真理を学び度いのである、第一、ヨブは議論にては度々負けた形で茲まで至つたのであり、殊に十八章に於てはビルダデのために手痛く撃たれたのである、然るに其間彼は常に実験を積みつゝありて、遂に十九章に至りてその霊的実験の高調に達するや見事なる勝利を占めたのである、ビルダデのために最後の大敗衂〔はいじく〕をなした如く見えし其瞬間実に新光明は彼に臨みて主客顛倒(てんどう)の態を表はし、三友は勿論彼自身すら予期せざりし真理の把握に依りて彼等を見事に撃退したのである、負くるは必ずしも負くるにあらず、勝つは必ずしも勝つにあらず、これ注意すべき第一点である。
 
○第二に見るべきはヨブの信仰が徐々として進歩せし事である、先づ「贖主」のことを見るに九章三十三節には
「また我等(神と人と)の間には我等二個(ふたり)の上に手を置くべき仲保あらず」とありてたゞ仲保者のあらんことを切望してゐる、然るに十章十九節に至れば「視よ今にても我証(あかし)となる者天にあり、わが真実を表明(あらわ)す者高き処にあり」と云ひて証者の天にあることを暗中に悟り初めしを示す、そして十九章に至つては遂に贖主の実在を確信するに至り、それが神にして他日地の上に立つことを予知するに至る、「われ知る」と云ひて其確信の言たるを言ひ表はしたのである、而して此信仰の進歩は「来世存在」のことに於ても亦同様である、十四章十四節に於ては「人もし死なばまた生きんや」と来世問題を一の疑問として提出せし有様であつたが、再生の要求彼に根ぶかくして遂に十九章に至つては二十六節の如き明白なる来世信仰を抱くに至つたのである、かくヨブは友の攻撃に会へば会ふほど益す明かに、益〔ますま〕す高く、益〔ますま〕す深く信仰の境地に入るのである。
 
○第三にはヨブの苦痛に会ひし意味が解るのである、神が彼に堪へ難きほどの災禍(わざわひ)痛苦を下せし目的が解るのである、それは贖主を示すにあつたのである、ヨブは苦難を経て贖主を知るに至りその苦難の意味がよく解つたのである、キリスト出現以前のヨブにありて此贖主のことは暗中に模索せし宝であつた、今日の我等に於ては此贖主をイエスに於て認めて全光の中に見る珠玉である、人生の目的如何、何故の苦悩、何故の煩悶(はんもん)懊悩(おうのう)ぞ、それはキリストを知らんためである、而してキリストを知り、その贖罪(あがない)を信じ、その再臨を望み、そして自身の復活永生を信じ得るに至るときは我等も亦ヨブと共に叫んで言ふ「我心これを望みて焦る」と、人生の凡〔すべ〕ての苦難は此希望と此信仰とを以て償(つぐな)ひ得て余りあるのである。
 
○第四に信仰は由来個人的のものである、社交的又は国家的又は人類的のものではない、ヨブは独り苦みて独り
贖主を発見し「我れ知る……」と云ふに至つた、誰人もヨブの如くあらねばならぬ、我等は人類と共にキリスト
を知るのではない、一人にてキリストを知るのである、今日の人はとかく一人にて神を知らんとせず社会と共に
国家と共に世界万国と共に神を知らんとする、これ大なる過誤である、かゝる謬見〔びゆうけん〕より出発するがために今日の信者には信仰の浅い者が多いのである、我等はヨブの如く独りみづから苦みて遂に「我れ知る我を贖ふ者は活く」と云ひ得るに至らねばならぬ。
 
○第五に此の救主再臨の希望は己に対し、他人に対し、万物に対する態度を一変せしめるものであることを知る、
此光に触れしため今まで失望の極にありしヨブに根本的の変化が臨んだのである、絶望の底より希望の絶頂に上
り、悲愁の極より歓喜の満溢に至つた、そして友に対するその態度の変化の著しきは実に驚くべきほどである、
我を罵〔ののし〕る友―罪なき我を罪ありとして責める友―親友なる我に無情の矢を放つ友に向つてさへ「我を恤〔あわ〕れめ、我を恤〔あわ〕れめ」と屈辱的な憐愍(れんびん)を乞ふに至つたほどのヨブが、此光に接して後は友の上に優越なる地歩を維持して、正は我にあり曲は彼等にありとなして、彼等に向つて堂々たる威圧的警告を与ふるに至つたのである、実に一瞬の前と一瞬の後との此大変化は驚くべきものである、そしてヨブの場合に於て然るが如く我等の場合に於ても然るのである、この新光明、新黙示に接して我等は全く別人となるのである。
○我等は以上の如く約百記を発端より十九章まで学び来つた、そして今日は約百記の絶頂たる十九章を研究し、
且〔かつ〕また全体にわたりて四五の注意を述べ終へた、かくて我等は既に約百記といふ高山の絶頂を極めたわけである、
ヨブは既に苦痛の果を受けて人生の秘義を悟りその目的は達せられたわけである、約百記著者が普通の文士なら
ば茲で約百記を終局とすべきであつた、然し乍ら著者は十九章を以て擱筆〔かくひつ〕しなかつた、此信仰の絶頂に達しても尚〔なお〕その後に学ぶべき多くの事があるのである、恰〔あたか〕も山の頂きを極むるも尚之を越えて向側を下りつゝ種々の新しき風光に接するが如くである、かくて約百記は十九章を以て終らずして尚ほ其後に今迄よりも多くの二十三章を附加して、遂に全巻四十二章を以て完了するに至つた、ヨブは信仰の絶頂に達して已〔や〕むべきでなかつた、信仰に依て友に勝つは決して最善の道ではない、ヨブは尚ほ学ばねばならぬ、約百記は尚ほ続かねばならぬ、之を十九章を以て終へずして四十二章まで続けたる著者の天才と慎慮は大なるかな。
 
附録
二十三節以下の言を発するに方〔あた〕りてヨブの態度に左の如き変化ありし者と見て、其意味を解する事が容易になると思ふ。
ヨブ暫らく三友人の面を眺めつゝありしが、少しも同情推察の色の現はれざるを視て取りければ、彼の面を
友人等の面より反(そむ)け、遥かに遠方を望み、独り声を揚げて曰〔い〕ひけるは 嗚呼〔ああ〕我言〔ことば〕の書き留められんことを、嗚呼我言の書籍に記(しる)されんことを、嗚呼鉄(くろがね)の筆と鉛(なまり)とをもて永く磐石に鐫(きざみ)つけおかんことを、斯く言ひて少時(しばら)く黙し、眼を転じ天を仰いで言ひけるは我は、然り我は知る我を贖ふ者は活く、後の日に彼れ必ず地の上に立たん、我が此の皮此の身(自己を指して言ふ)の朽果(くちはて)ん後、我れ肉を離れて神を見ん、我れ自(みづ)から彼を見たてまつらん、
我が眼彼を見奉らん、識らぬ者の如くならじ。
嗚呼之を望みて我が心衷(うち)に焦(こが)る。
斯く言ひて後、ヨブ再び其面を三友に向けて儼然として言ふ
汝等「若し我等如何に彼を攻めん乎」と言ひ、又「事の根源我に在り」と言はゞ、
剣(つるぎ)を懼れよ、忿怒(いかり)は剣の罰を来らす、
斯くて汝等遂に審判(さばき)のあるを知らん。
〔以上、・〕