内村鑑三 マタイ伝 46講 キリストの表白

46 マタイ伝
 
キリストの表白
五月廿七日角筈自宅に於て
明治39610 『聖書之研究』76号「講演」  署名なし
 
凡そ人の前に我を識ると言はん者を我も亦〔また〕天に在す我父の前に之を識ると言はん、人の前に我を識らずと言はん者を我も亦天に在〔いま〕す我父の前に識らずと言はん。馬太〔マタイ〕伝十章卅二、卅三節。路加〔ルカ〕伝十二章八、九節。
姦悪なる此世に於て我と我道を耻づる者をば人の子も亦聖使(きよきつかひ)と共に父の栄光を以て来る時之を耻づべし。
 
馬可〔マルコ〕伝八章三十八節。路加伝九章二十六節。
 
若〔も〕し汝口にて主イエスを認(いひあら)はし、又汝心にて神の彼を死より甦(よみがえ)らしゝを信ぜば救はるべし。羅馬〔ロマ〕書十章九節。
是に類したる聖書の言葉〔ことば〕はまだ他にも沢山ある、ユダヤ人の宰(つかさ)ニコデモが人の目を憚かり夜イエスを訪ふたとの事の如き(ヨハネ伝三章)、ペテロが鶏(にはとり)鳴かざる前に三次(みたび)イエスを識らずと言ひしとの事の如き(馬太(マタイ)伝廿六章六九節以下)パウロが我は福音を耻とせずと言ひしが如き(羅馬書一章十六節)、皆な此類である、キリストの直弟子(じきでし)ですら彼に就て耻ぢたことがあると見える。
不信者は公然と其不信を発表して憚〔はばか〕らない、然かるに基督信者はキリストに於ける其信仰を公言するに躊躇〔ちゆうちよ〕する、貴族にして其地位を耻(はじ)る者はない、然るに神の子なりと称する基督信者は神より賜はりし特権に就て耻る、是れは最も奇異なる現象である。
 
多くの基督信者は曰ふ、「我は心にキリストを信ず、故に之を人の前に発表するに及ばず」と、斯くて彼等は不信者の前には之を包(つつ)んで言はない、彼等は「耶蘇(やそ)信者(しんじゃ)」として世に認められんことを懼〔おそ〕る、彼等は隠れたる信者として存在せんことを欲す、彼等は信仰の表白は用なきのみならず害ありと言ふ、彼等は信念と実行とを以て彼等の信仰を顕はすべしと云ふ。
然かしキリストは斯〔か〕かる臆病的沈黙を喜び給はない、彼は我等より明白なる信仰の表白を要〔もと〕め給ふ、勿論〔もちろん〕、我等は人の問はざるに我等より進んで我等の信仰を吹聴(ふいちやう)するに及ばない、我等は豚の前に真珠を投じてはならない、
人を見れば直に之に我が宗教を説くが如きは是を無礼の行為と云はざるを得ない、我等は我等の信仰を展覧物(みせもの)となさゞるやうに注意すべきである、然かし濫(みだ)りに之を世に示さゞるのは之を沈黙に附するの謂(いひ)ではない、我等は時と場合に由ては明白に我等の基督教的信仰を表白しなければならない、我等は人の前に基督信者たることを耻てはならない、我等は人をして我等の基督信者たることを疑はしめてはならない、殊に日本人多数のやうに基督信者を忌み嫌ふ者に向つては我等は予〔あらかじ〕め明白に我等の基督信者たることを告白して置かなければならない。
キリストが我等より信仰の表白を要求し給ふのはキリスト御自身の利益を思ふてゞはない、キリストは今時(いま)の医師や代言人のやうに自己を世に向て広告して呉れないとて怒るやうな賎〔いやし〕い者でないことは何よりも明白である、
 
信仰の表白がキリストの為であるならば彼は之を我等より求め給はないに相違ない、然かし之は彼のためではない、我等彼を信ずる者のためである、我等は彼を人の前に表白するにあらざれば彼を我が所有、我が救主となすことが出来ない、キリストを我が友となさんためには我等が世に嫌はるゝの必要がある、我等が世人に彼等の一人として認められる間はキリストは我等の心に臨み給はない、我等は彼を我等の心に迎へ奉るために、我等の信
仰を世に表はし、我等はキリストの属(もの)であつて、世の属でないことを明白に世に告げなければならない。
羅馬〔ロマ〕書十章九節に由れば人の救はるゝのは心でキリストを信ずるに由〔よ〕るばかりではない、是れと同時に口にて主イエスを認はすに由るとのことである即ちイエスは主なることを認(いひあら)はすに由るとのことである、此公然たるキリストの識認なくしては我等は救はれざるべしとのことである、爾〔そ〕うして其理由は明白である、キリストに救はるゝとはたゞ無意識に救はるゝのではない、実際に救はるゝのである、即ちキリストを我が所有(もの)となして救はるゝのである、キリストを実験し、其苦難を我が苦難とし、其歓喜を我が歓喜として救はるゝのである、キリストと深き同情推察の関係に入て我等は彼に由て救はるゝのである、爾うして世に向つて我等の彼に於ける信仰を、、、表白せずして我等は彼に対する此深き同情推察に入ることは出来ない、信仰の表白は実に我等の救霊上の必要である。
我が信仰を衷(うち)に蔵(かく)し置くはキリストに対して不忠であるばかりではない、世に対しても不実である、我等は神と自己とを欺いてはならないばかりではない世をも欺いてはならない、我等は世の忌み嫌ふ基督信者であるに係はらず、恰〔あた〕かも彼等の親愛する世人の一人であるかのやうに自己を見せかけるのは彼等に大なる迷惑を懸くることである、
予は予の敵人は明白に予の敵人たることを予に告白せんことを望む、予の味方なるが如くに見せかけて予に近〔ちかづ〕き、終〔つい〕に予を捕へんと欲するやうな敵人は予の甚だ賎む所の者である、其如くに我等も基督信者たるとを世に公言すべきである、我等はキリストの僕〔しもべ〕にして世の敵である、世人は宜しく我等に就て注意すべきである。
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ノルウエーから来られたこのご夫婦は、克って仙台の近くで伝道活動をなさっていた経験をお持ちの宣教師ご夫婦である。
6人の子持ちで、内一人がノルウエーで麻薬患者になって居ると祈って居られれた。サタンの手は北欧の地にも容赦なく伸びて、信仰者の家庭を破壊しようとしておられる。サタンは弱いところを巧みに突いてくる。主の守りを祈りましょう。