内村鑑三 マタイ伝 15講

マタイ伝15
美訓と其註解
明治3255日 『東京独立雑誌』30号「講壇」  署名内村鑑三
 
美訓(Beatitudes)は基督教聖書(バイブル)馬太〔マタイ〕伝第五章に載する耶蘇の言にして、実に西洋倫理の基礎とし称せらるゝものなり、茲〔ここ〕に余の自訳并〔ならび〕に註解を掲げて読者の参考に供す。
 
一、心の貧しき者は幸福〔さいわい〕なるかな、天国は既に其人の有〔もの〕なればなり。
二、哀しむ者は幸福なるかな、其人は慰めを得べければなり。
三、柔和なる者は幸福なるかな、其人は地を譲り受くべければなり。
四、饑ゑ渇くごとく義を慕ふ者は幸福なるかな、其人は飽かせらるべければなり。
五、矜恤〔あわれみ〕あるものは幸福なるかな、其人は矜恤に与〔あず〕かるべければなり。
六、心の清き者は幸福なるかな、其人は神を視ることを得べければなり。
七、平和を求むる者は幸福なるかな、其人は神の子と称へらるべければなり。
八、義の為めに責めらるゝ者は幸福なるかな、天国は既に其人の有なればなり。
九、我の故を以て人汝等を詈〔ののし〕り責め、且つ偽りて各様〔さまざま〕の悪しき言をいはん、其時は汝等幸福なるかな、喜べ、躍り喜べ、天に於ける汝等の報賞〔むくい〕おほければなり、そは汝等より前の預言者をも如此〔かく〕せめたればなり。
 
一、心の貧しき者心の虚なるものなり、即ち私心を悉〔ことごと〕く脱せし人なり、寸毫の慾心を蓄へざる人なり、自己の何者たる乎〔か〕を悟て恩恵を要求せざる人なり、即ち謙遜の人なり。幸福は幸運の意を含む、数多からざることを指す。既にの一字に注意せよ、天国若〔も〕し吾人心中の和楽を謂〔い〕はん乎、謙遜の人は既に之を有せり、若し未来の栄光を謂はん乎、之れ亦既に彼の掌中にあり、要は先づへりくだるにあり、全く神に倚〔よ〕り頼むにあり、然れば宇宙万物皆我物なり、保羅〔パウロ〕は此状を記して曰〔い〕ふ、憂ふるに似たれども常に喜び、貧しきに似たれども多くの人を富まし、何も有たざるに似たれども凡ての物を有てり。(哥林多〔コリント〕後書六章十節)
藤樹は謙を賛して曰へり「天徳ハ此ニ由リテ明、五福ハ此由リテ得ル」と、基督教訓を垂るゝに方て劈頭〔へきとう〕謙の原理を解く、基督教の要髄亦〔また〕此に存すと謂はざるべけんや。カーライル曰く「基督教は謙徳の宗教(Religion of Humility)なり」と。
 
二、哀しむ者罪の為めに自己の瑕疵〔かし〕欠乏を嘆ずる者なり、故に罪を悔い悩む者と解して可なり、如此〔かくのごとき〕人が天の慰藉に与〔あず〕かる人なり、自己を以て足る人に基督教の要あるなし、懺悔〔ざんげ〕は天国に入るの門なり。
三、柔和なる者原語に世に踏み附けらるゝ者の意あり、即ち呟(つぶやく)ことなくして世の侮蔑〔ぶべつ〕無礼に忍ぶものなり即ち世の目して以て意気地なしとなすものなり、
地を譲り受く世界の主人たるを曰ふなり、之れ逆説の最も著しきものなるが如し、優勝劣敗は世界の精神なり、然るに世に踏み附けらるゝ者が世界を専有するに至ると謂ふ、妄信の最も甚だしきものなるが如し、然れども余輩は断じて曰ふ、是れ実に世界を得るの途なりと、争て得し物は終〔つい〕に失ふべき物なり、天の与ふる物は自然に来るものなり、競争は禽獣の道なり、人の道は謙退にあり、視よ古昔より争つて得し物にして永く之を保持せし者なきを、アレキサンドルなり、シーザルなり、ナポレオンなり、彼等の栄光は朝の露の如くなりし、ナポレオン謫竄〔たくざん〕せられて曾〔かつ〕て耶蘇を評して曰く「余は一度欧洲全土の盟主たりしに今一人の余の為めに命を捨つるものなし、然れども見よ耶蘇は貧に死して今や億万の人は生命を彼に捧げんとす」と、那翁の感慨実に然り、彼は地を得るの道を知らざりしなり。
 
四、義を慕ふ者義人と曰はず、基督教の原理より推す時は世に義人一人もあるなし、一人もあるべからず義人を以て自ら任ずるものは義人にあらず、基督信者は義人にあらず、神の義を慕ふ者なり、充実云々、彼の義は神より充たさるべきもの、基督教の贖罪説なるものゝ原理は実に此に存す。
我儕〔われら〕この幕屋(肉躰を指す)に居りて嘆き、天より賜ふ我儕が屋(霊躰)を衣の如く着んことを深く願ふ(保羅〔パウロ)
五、矜恤(あわれみ)、情(なさけ)なり明論卓説を唱ふる人も、正義の為めに焼かるゝ人も、情(なさけ)なき人は天の恩恵を感じ得ざる人なり、詩人ゲーテは神を永遠にまで女らしきものEwige Weibliche と称へり、正義は神の道にして情(なさけ)は神の心なり、情なき人は神に接し得ざる人なり、嗚呼〔ああ〕情ある人、推察心に富める人。
 
六、清き心は無慾の心なり、慾は心の目を塞〔ふさ〕ぐものなり、情慾なり、利慾なり、名誉慾なり、皆信仰の正反対なり、慾の減ずる比例に神は明白に見ゆるなり、神は学識を以て見るを得ず、慾を節してのみ彼は吾人の眼に顕はるゝなり、禁煙禁酒等の利は此に存す、施与慈善の益も此にあり、是故に汝等奸淫 汚穢 邪情 悪慾及び貪婪〔どんらん〕を殺すべし、貪婪は即ち偶像を拝することなり。(保羅)
 
然らば慾は全く断つべき乎、食するも慾なり、婚するも慾なり、無慾とは此等の慾をも絶つを云ふか、人生に正当なる快楽なきや、是れ屡次〔しばしば〕吾人を苦しめる問題なり。
無慾とは何ぞ、近江聖人は最も簡明最も剴切〔がいせつ〕なる註釈を供せり、引用して吾人の註に換ふ、
 
人道の無慾は義ある事を知りて利を知らず公義に従て私心なきを無慾とす、取るべき義あればとり、与ふべき義あれば与ふ、蓄ふべき義あれば蓄へ、施すべき義あれば施す、只心の義に随ふを無慾となし、利に依るを慾とするなり、
 
七、平和なり、安逸にあらず、安逸は偽の平和なり、平和は正義の結果なり、故に平和に達せんが為には幾多の正当なる戦ひを経過せざるべからず、神の子と称へらるゝ者は平和を目的とする者なり、必ずしも戦ひを避くる人を謂〔い〕ふにあらず、世間此節を解して無事安逸を教ふるものとなすが如きは非なり、コロムエルの如き人、ワシントンの如き人、ルーテルの如き人が真正の「平和を求むる者」なりし。
 
八、九、義の為めに、義の代表者なる基督の為めに責めらるゝ者は幸福なり、是れ喜ぶべき事なり、躍り喜ぶべき事なり、そは天の恩寵は此時に最も多く感じ得べければなり、義の為めに苦しまずして天国に入るものは戦功なくして凱陣する兵士の如き者なるべし、勲章の希望彼にあるなし、勇士は敵軍の寄せ来るを見て躍り喜ぶにあらずや、後陣に控へて遥かに砲声を聞くものは最も不幸なる兵士ならずや、迫害は義の戦功を建つる為めの好機会なり。
上もなく又外もなき道のために身をすつるこそ身を思ふなる(藤樹)
汝等より前の預言者云々吾人は迫害に依〔よ〕て過去の聖人君子と推察的霊交を結ぶに至る、神学博士の註釈を借らずして聖書を能く解し得るに至る、迫害は実に吾人を聖人社会に仲間入りせしむるものなり、異教人士に責めらるゝ甚だ可し、基督教会に責めらるゝ最も可なり、真理の真意を知〔し〕らんと欲せば世に捨られ、誤解せらるゝに若かず。
 
Do you ask me the place of the Valley,
Ye hearts that are harassed by care?
It lieth afar between mountains,
And God and His angels are there ;
And one is the dark mount of sorrow,
The other the bright mount of prayer.”
以上十節を称して英語に「ビヤチチユード」Beatitudes と云ふ、拉典〔ラテン〕語のbeatus (幸福なるもの)より来りし語
 
なりと雖〔いえど〕も今は美訓の意を含むに至れり、余輩は以来此名を以て之を称せんとす。
 
美訓総て九条、()謙なるもの、()哀むもの、()柔和なるもの、()義を慕ふもの、()情(なさけ)あるもの、 ()心の清きもの、()平和を求るもの、()義の為めに迫害さるゝもの、()基督の為めに責めらるゝもの、
皆な幸福なるものとして算へらる、余輩は之を称て天国市民の資格と謂はん、嗚呼〔ああ〕地上世界の標準と相異る何ぞ夫〔そ〕れ甚だしきや、此世の幸福なるものとは、()富めるものなり、()歓ぶものなり、()威あるものなり、()利に敏きものなり、()慾に猛きものなり、()娯楽に耽〔ふ〕けるものなり、()権力に誇るものなり、()人に賞めらるゝものなり、()十字架の耻辱を受けし耶蘇にあらずして有力の君を主とするものなり、基督教(純粋の)が容易〔たやす〕く世に容れられざるは宜なり、其信徒(真正の)が忌まるゝは宜〔むべ〕なり、基督教が社会に容れられしとて喜ぶ信者()あり、余輩は恐る彼の奉ずる基督教は基督の教訓其儘〔そのまま〕ならざる事を、余輩は特更〔ことさら〕に世の反抗を求むるものにあらず、然れども喜んで社会の容るゝ所となる基督教に就ては多くの疑惑を懐くものなり。
 
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