内村鑑三 マタイ伝 37講 マタイ伝六章三十三節

37 マタイ伝
 
馬太伝六章三十三節
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大正2710日『聖書之研究』156  署名内村鑑三
 
汝ら先〔ま〕づ神の国と其義(ただしき)とを求めよ、然らば此らのものは皆な汝らに加へらるべし。
「先づ」 先づ第一に、何よりも先きに、主(しゅ)として。
神の国」 神の治め給ふ国、彼の聖旨(みこころ)の行はるゝ所、神との和平(やわらぎ)成りて彼の怒(いかり)の宿らざる所、国と称〔とな〕ふるも必しも国土を要せず、霊魂の平和の状態、其れが神の国の特徴である、今始まりて後に完成せらるゝ事、神の国()汝等の衷〔うち〕にありと云ふ(路加〔ルカ〕伝十七章廿一節)、後、彼れ諸(もろ〳〵)の政事(まつりごと)及び諸の権威と能力(ちから)を滅(ほろぼ)して国を父の神に付(わた)さん、是れ終(おわり)なりとある(哥林多〔コリント〕前書十五章廿四節)神の国は人を離れて神の事である、地を離れて天の事である、肉を離れて霊の事である、我等の霊が霊なる神に接する所である。
其義神の国の義にあらず神の義なり、故に「彼の義」と読む方が意味が明白である、神の義は人の義と異なる、其如何〔いか〕なる義であるかはパウロの左の言〔ことば〕に由て見て明かである、今律法(おきて)を離れて神の義は顕はれたり……即(すなわ)ちイエスキリストを信ずるに由る神の義にして、すべて信ずる者に及ぶ義なり(羅馬〔ロマ〕書三章廿一、廿二節直訳)
是れ信仰に託(よ)り神より出る義、即ち律法に由る己が義に非ず、キリストを信仰するに由る所の義なり(腓立比〔ピリピ〕書三章九節)
 
神が人に求め給ふ義は斯(かく)の如き義である、己が作りし義の資格ではない、信仰に由りて神に被(き)せられし義である、自から義とするの義ではない、神に義とせらるゝの義である、倫理道徳の義とは全く質(たち)を異にする義である、
十字架上のキリストを仰瞻(あをぎみ)て義とせらるゝの義である、キリストの福音独特の義である、神の義、一名信仰の義、謙遜と信頼と自捐(じえん)とを以てのみ得らるゝ義である。
求めよ飢え渇く如くに求めよ、祈り求めよ、之(神の義)を祈祷の主(おも)なる題目とせよ、信者が物を獲るの途は祈祷を除いて他にない、故に「求めよ」といふは「祈れよ」といふと同じである。
ほか然らば神の国と彼()の義を主(おも)なる目的物として祈るならば。
是らの物衣、食、住、肉に関するすべての物、健康長寿も多分其中に含まるゝならん、此身のすべての幸福、必要の知識と、相応の地位、妻と子と家庭と交際、此世の人々が千辛万苦して求むるすべての物。
加へらるべし汝が求めざるも神より汝に加へらるべし、是れ皆な祈り求むるの必要なき物である、先づ神の義なる第一のものを求めんには第二以下のものは求めずして汝に加へらるべし、神より汝に押附けらるべし、食ふための食物や、着(き)るための衣類や、住(すま)ふための家屋やは汝が殊更(ことさ)らに求めざるに汝に加へらるべし、此意味に
於て信者に生存競争なる者はない、彼は唯一(たゞひとつ)を求むれば、他は神より彼に加へらるべしとの事である。
驚くべき哉主イエスの此言、簡短にして深玄、之を読む者をして不信に耻ぢて堪ゆる能〔あた〕はざらしむ。
 
此事たる惟(ひと)り個人に限らない、国家に取りても爾(そ)うである、国家も亦(また)先づ第一に神の国と彼の義を求めて其他のものは求めずして之に加へらるゝのである、先づ第一に純粋なる福音の義を求めて国の隆盛は求めずして来る
 
のである、宗教改革後の英国并〔ならび〕に和蘭〔オランダ〕は其善き実例である、彼等は比較的に純粋なる福音を求め得て一躍して欧洲第一流の富強に達したのである、其反対に仏国と西班牙〔スペイン〕とは福音を斥〔しりぞ〕けて終〔つい〕に今日の衰退を招くに至つた、
 
此事に就て歴史家カーライルは彼の『フレデリック大王伝』第壱巻に於て、宗教哲学者プフライデレルは彼の『基督教発達論』に於て同じ事を述べて居る、余輩は読者の注意までに茲〔ここ〕に一言して置く。