内村鑑三 創世記 女の創造

女の創造     創世記研究 附録 創世記二章一八節以下  
1930(昭和5)1
 
 
○神は人を男と女とに造り給へりと云ふが第一章の教である。神は先づ男を造り、男より女を造り給へりと云ふが第二章の示(しめし)である。第一章に依れば男女は同等であつて、第二章に依れば男尊女卑である。現代婦人にして第十八節以下の言〔ことば〕を読んで甚(いた)く憤らざる者はあるまい。之を現代語に直して言へば左の如くになる。
 
エホバ言ひ給ひけるは人()独りあるは宜〔よろ〕しくない、我れ彼の為に彼に適する助者(たすけ)を造るであらうと。茲に於てヱホバは土を以つて種々(いろ〳〵)の獣と鳥とを造り、之をアダムの所に持来り、彼が欲〔おも〕ふまゝに之を調査し其価値を定めしめ給うた(名を附けたりとは此事である)。然るにアダムは其内に一も己が助者たる者を発見しなかつた。依てヱホバは土よりに非ず直〔ただち〕にアダムの骨より女を造り、之を彼に与へ給うた。アダムは之を以つて満足し、茲に初めて幸福なる家庭が成立したのである。
即ち女は家畜家禽同様に男を助け彼に奉仕する為に造られたのである。即ち野蛮人が女を男の動産と見る其見方である。低い賎しい女性観であつて、文明人の到底許容する能〔あた〕はざる所の者である。
 
○然し乍〔なが〕ら女は男の為に造られたりとの見方は聖書全体を通うしての見方である。現代人が之に対して如何〔いか〕に反対しやうとも聖書は此立場に立つて動かない。預言者は二三人を除いては凡て男であつた。キリストは勿論〔もちろん〕男子として世に臨み給ひ、彼が選び給ひし使徒達は凡て男子であつた。聖書は女子を敬ひ、之を顧み、之を愛護すると雖〔いえど〕も、彼女に此世の至上権を与へなかつた。パウロは男女の位置を明かにして曰うた。
 
すべての人の首(かしら)はキリストなり、女の首は男なり、キリストの首は神なり………男は神の像(かたち)と栄なり、女は男の栄なり、そは男は女より出しに非ず女は男より出たれば也。また男は女の為に造られしに非ず女は男の為に造られたる也云々(コリント前書十一章)
 
此は女権拡張論者が最も忌み嫌ふ言であつて、彼等の或者は之が為にキリストを離れ、基督教を棄た。然し乍ら縦〔よ〕し現代婦人が之が為に尽〔ことごと〕く基督教を去りても、聖書の言は覆(くつがへ)すべからずである。
 
智慧〔ちえ〕は其子に義(ただ)しとせらる」と主が曰ひ給ひしが如し(馬太〔マタイ〕伝十一章十九節)。真理は事実に由て証明せらる。女性跋扈〔ばつこ〕の今の世界が聖書の言の善き証明者である。英米聖公会は時世に媚〔こ〕びて結婚に関する祈祷文を改正して明かに聖書の教に叛〔そむ〕きつゝある。女の首は男、男の首はキリストなりと見て秩序ある社会は成立するのである。
 
○現代人が嘲〔あざ〕けりて止〔や〕まざるは創世記が録〔しる〕す女性の造られ方である。神が男の肋骨の一を取り、之を以て女を造り之を男に与へたりと云ふ。笑止千万とは此事である。新約聖書に云ふ「女は子を生むことに因りて救はる」とあると共に嘲笑(あざけり)の二大事項である。彼等は曰ふ女性はそんな簡短なる方法に由て成りたる者でない。進化の永い途程を経て成つた者であつて、之を委〔くわ〕しく知らんと欲せば生物学に学ぶべきであつて、旧い時代遅れの聖書に教へらるべきでない。西洋に於てはアーサー・トムソン、F・H・A・マーシヤル等の碩学〔せきがく〕、我国に於ては永井潜、故木村徳蔵等の哲学的生物学者、彼等は何〔いず〕れも性の発達に就て多く我等に教ふる所があつた。創世記の記者は現代生物学の初歩をも知らなかつた。故に此んな荒唐無稽を記載したのであると。
 
○慧(かしこ)い哉〔かな〕、蛇に欺かれたるエバの娘たる現代婦人! 彼等は創世記を嘲けりながら創世記が彼等に就て記す所の事を実行しつゝある。彼等は恋愛を信じ之を熱心に実行しつゝある。彼等各自は意中の男子を求め、之を求め得ば最大幸福なりと信じ、彼の為には喜んで其父母をも棄つゝある。勿論男も同一の事を為しつゝある。男女共に其理想の配偶を求めつゝある。其事は何を示す乎。一人の男に一人の女が定められてあるとの事でない乎。広き世界に我が夫、又は我が妻が一人、然り唯一人ありと信ずるからでない乎。若し両性が単に進化の途に順〔したが〕つて天然的に発達し来つたものであるならば、何故に無雑作に雑婚を行はないの乎。人の結婚が禽獣の交合と異なる根拠は茲に在る。創世記の此記事に由らずして結婚の神聖なる理由は解らない。
 
○神はアダムを熟(ふか)く睡らしめ、彼が知らざる間に彼の心臓〔ねむ〕を護る肋骨の一を取り、之を以つてエバを造り、彼女を彼に与へ給へりと云ふ。事は秘密に属す。男女関係は神のみ之を知り給ふ。我が助力より成りし者は誰か。彼女は今何処〔どこ〕に在る乎。人は何人も之を知らず神のみ知り給ふ。結婚の困難は茲に在る。
神、之をアダムの所に携〔つ〕れ来り給へりとある。人は其配偶の発見を神に委〔ゆだ〕ねねばならぬ。選択ではない発見である何千万人の内より「是れこそは我が骨我が肉」と称〔よ〕び得る者を発見する事である。こは人なる媒介者の為〔な〕し得る所でない。祈祷に依つて神に為して戴くより他に途がないのである。
 
〔以上、3101930(昭和5)1