内村鑑三 マタイ伝14講-その1

マタイ伝5章-1
14講マタイ伝5章(14講は長文のため、4分割して掲載します。)
 
馬太伝第五章
明治391110日― 40年1月10
『聖書之研究』818283号「研究」  署名内村鑑三
 
エス許 多(おおくの)の人を見て山に登り坐し給ひければ弟子等も其下に来れり(1)
 
「許多の人」群衆の意なり、爾(し)か訳するを宜(よし)とす、奇を好み、利を求むる群衆なり、イエスに由りて其肉体、、の疾病(やまい)を癒〔いや〕され、此世の幸福に与〔あず〕からんと欲して彼に従へる者なり( 前章廿四、廿五節)
○「見て」群衆を見、之を避けて
○「山に登り」気爽(さわや)かにして四囲(しい)静かなる山に登り給へり、高山にあらず、幽邃〔ゆうすい〕の地なり、山に、、入り給へりとの意なるべし、イエスは俗衆の彼の迹〔あと〕に従ふを見給ひければ之を避けて静かなる山に入り給へりと、、なり、彼の之を為〔な〕し給ひしは勿論〔もちろん〕俗衆を忌み嫌ひてにあらず、静かなる所に天の父と交はり、又彼の近親の弟子を教へんためなり
○「座し給ひければ」単(ただ)に端座し給へりとの意にはあらざるべし、所謂〔いわゆ〕る山上の垂訓なる者は一席の講演にあらず、数回に渉〔わた〕りし垂訓を編纂せしものなり、イエスは数日に渉りて之を宣べ給ひしが如し、今日の夏期講演会の如き者なりしならん、イエスは此時、世の喧噪を避けて、静かなる山中に其弟子と偕〔とも〕に留まり、祈祷と教戒とに聖〔きよ〕き時日を送り給ひしが如し
○「弟子等も其下に来れり」「も」の字を除くべし、彼の弟子等彼に来れり、群衆は山中にまで彼に従はざりし、弟子等彼に従ひてその居る所に来れり、イエスは此静かなる山中に特に彼の弟子等を教へ給ひしなり、山上の垂訓は群衆に対する説教にあらず、弟子に対する訓誡なり、其心して之を読まざれば能く其真義を解する難し。
(改訳)群衆を見給ひければ彼れ山に登り給へり、彼れ座し給ひければ彼の弟子等彼に来れり。
 
エス口を啓〔ひら〕きて彼等に教へ曰ひけるは、 (2)
「口を啓きて」粛然〔しゆくぜん〕口を啓きて彼等に教へ給へり、イエスは多くを語り給はざりしならん、然れども一たび口を啓き給へば金玉の言其中より出たり
○「彼等」弟子等なり、後に十二使徒として立てられし者の其中に
ありしは勿論なり、然れども聴衆は彼等少数者に限られざりしなるべし、誠心を以て彼に従はんと欲せし者はすべて此会合につどふの特権を与へられしなるべし。
(改訳)彼れ其口を啓きて彼等を教へ給へり、曰く、
 
心の貧き者は福〔さいわい〕なり、天国は即ち其人の有〔もの〕なれば也(3)
「心の貧き者」心に貧き者なり、心に貧しきを感ずる者なり、自己(おのれ)の頼(たよ)りなきを感じ、罪深きを感ずる者なり、必しも世の所謂〔いわゆ〕る貧者(ひんじや)をのみ指して言ふにあらず、世の財貨に貧しくして心に貧しからざる者あり、心に貧しき者とは貧を憤る者にあらず、貧を悲む者なり、最大唯一の宝なる神を離れたる心の状態を歎く者なり、貧(ひん)を身に於て感ぜず、心に於て感ずる者なり、真実(まこと)に人生を解して人何人か貧者ならざらん乎、棲〔す〕むに家なく、食ふに食なき者は勿論、億万の富を積む者と雖〔いえど〕も亦貧者ならざるを得ず、誠心より貧者たる者、身に貧しくして又心に貧しき者は勿論、身は富むと雖も心に謙遜にして貧しき者、斯かる者は福なりとなり
○「福なり」幸福(かうふく)なり、幸(さち)多き者なり、神に恵まれし者なり、幸運(こううん)の人なり、人に羨まるべき者なり、神の眼より見て多幸多福の人なり
○「天国」神の国なり、後に事実となりて此世に現はるべき者、然れども今は霊的状態として聖徒の心
に存する者なり、此世以上の国なり、之を「天国」と称するは天上の高きに在るが故にあらず、地上の王国と其性質を全く異にするが故なり、其律法の一斑は之を約翰〔ヨハネ〕伝十三章五節より十五節までに於て見よ
○「其人の有〔もの〕なれば也」其人に属すれば也、彼は此世に於ては寸地を有せざるべし、然れども彼は幸福なり、そは彼は天国を其属となし得れば也、身は貧しくも心に富むを得れば也、今は何物をも有せざるも、後に万物を其有となし得れば也。哥林多〔コリント〕前書三章廿一―廿三節
○「有(もの)なれば也」今既に其人の有(もの)なれば也、キリストの再来と万物の復興とを待つを要せず、天国は今既に心に貧しき者の有なれば也、天国は来世と混同すべからず、来世とは天国が事実となりて後に此世に現はるゝ者を云ふに過ぎず、天国は今既に存す、キリストの霊の灑〔そそ〕がるゝ所、聖徒の愛を以て互に相交はる所、是れ天国なり、今は肉眼を以て見る能〔あた〕はざるも、霊覚を以て感じ得る者なり、天国はキリストの降臨と同時に此世に臨めり、而して心を虚(むなし)うして吾人何人〔なんぴと〕も今日、今、之を吾人〔ごじん〕の有となすを得るなり。
改訳) 心に貧しき(者は幸福なり、天国は即ち其人の者なれば也。
 
哀(かなし)む者は福なり、其人は安慰(なぐさめ)を得べければ也。(4)
「哀む者」損失を哀み、失敗を哀み、死別を哀み、堕落を哀む者、悲境を自覚する者、悲哀の身に臨みし道徳的源因を索(たず)ねて、改悔の憂に沈む者、斯かる者は福(さいわい)なりとなり
○「其人は安慰を得べければ也」其人は今は泣くべし、然れども後に其涙を拭はるべし、悲哀を経ずして歓喜は来らず、憂苦に由らざる慰安あるなし、慰安の快楽を知らんと欲せば、憂愁の苦痛を味はざるべからず、故に神に撃たれし者は福なり、其人は神の医術を其身に於て実験するを得べければ也、其傲慢(たかぶり)を砕かれし者は福なり、其人は謙遜(けんそん)の衣(ころも)を着せられて再び高くせらるべければ也、キリストは悲哀(かなしみ)の人なりし(以賽亜書〔イザヤ〕五十三章三節)、而して悲哀を知るにあらざればキリストを知る能はず、而して人生最大の慰藉はキリストを知るにあり、悲哀はキリストに到るの途なり、哀む人の福なるは是れがためなり。
(改訳)哀む者は幸福なり、其人は慰めらるべければ也。
 
柔和(にうわ)なる者は福なり、其人は地を嗣(つ)ぐことを得べければ也。(5)
「柔和なる者」我意(がい)を張らざる者、人に地歩を譲る者、無抵抗者、剣を以て争はざるのみならず、口を以ても、又筆を以ても害を他人に(特に敵に)加へざる者、斯〔か〕かる者は幸福なり、神に恵まれたる者、人に羨まるべき者なりとなり
○「其人は地を嗣ぐことを得べければ也」天国を其有(そのもの)となし得るのみならず、彼の譲りし地を終〔つい〕に己が有(もの)として神より賜はるべければ也、無抵抗主義者の幸福は特に茲に〔ここ〕在り、即ち其自(みず)から譲りしものを再び与へらるゝにあり、争て得んと欲する者は失ひ、争はずして譲る者は得、世に所謂る優勝劣敗なるものはキリストの法則にあらず、剣を磨き武を備へて地を得んと欲する者は得るも終には之を失ひ、強圧に耐え、侵略を忍ぶ者は地を失て終に之を得る、是れ単(ただ)に道義的原理にあらず、歴史的事実なり、アッシリア国今何処(いづこ)にある、バビロン国今何処にある、羅馬〔ローマ〕帝国今何処にある、今より一千年を経て露国もなかるべし、英国もなかるべし、米国もなかるべし、剣を以て起ちし国はすべて剣を以て仆〔たお〕るべし、而して柔和の民は彼等の後を承けて、広き彼等の領土を占有すべし、剣を帯ぶる軍人に勢力あるが如くに見ゆるは唯其表面に於てのみ、国家の実力は常に腰に寸鉄を携へざる農夫商人に存するにあらずや、宇宙万物を造り給ひし神は平和の神なり、故に彼は平和の民を愛し給ひて好戦の人を憎み給ふ、神は其造り給ひし此美はしき地を永久に軍人と武国とに賜はず、平和は終〔つい〕に水が大洋を掩〔おお〕ふが如く全地を掩ふべし、而して其時、謙譲の民は之を享有すべし、戦ふは地を得るの途にあらず、地を譲るこそ地を嗣ぐの途なれ、依て知るべし、今の所謂る基督教国なる者の絶対的偽善国なることを。
(改訳) 改訳の要を見ず、但し希臘〔ギリシヤ〕語のpraeis を柔和なる者と訳するは物足らざる心地す、然ればとて之に優るの訳語を案出する能はず。
饑(う)え渇(かわ)く如く義を慕ふ者は福なり、其人は飽(あ)くことを得べければ也。(6)
 
「饑え渇く如く義を慕ふ者」意訳なり、直訳の意義の明白にして力あるに如〔し〕かず、義に饑え且つ渇く者は福なり云々〔うんぬん〕と、物に饑え渇くとは之れなくば死すべしとの感を懐くことなり、義に饑え渇くとは義の生命的必要を感ずることなり
○「其人は飽くことを得べければ也」原文の通り飽かせらるべければ也と訳すべし、義に饑えるも若し之に飽くことを得ざれば返〔かえつ〕て苦悩を増すに過ぎず、然れども人は何人も努めて自(みづ)から義に飽くこと能はず、彼は容易に慾と悪とに飽くことを得べし、然れども義と善とに飽くこと能はず、彼れ若し義に飽くことを得ば、是れ飽かせられて也、即ち神に其義を帰せられて也、義に饑え且つ渇く者が之に飽くことを得るは神に飽かせられて也、神の義はイエスキリストなり、信仰を以てキリストを我が有〔もの〕となして、我は義に飽かせられて、之に飽くことを得る也、義に饑え渇きてのみキリストを識るを得べし、而してキリストを識るを得て我等は義に飽かせらる、イエスが山上に此教訓を垂れ給ひし時に、彼の贖罪の義はいまだ全うせられざりし、然れども、既に己れに在りて神の義の完(まつと)うせらるべきを識り給ひしが故に、予〔あらかじ〕め此言を発して彼の弟子等を励まし給へり、聖
書は霊に関はる事実を示して誤らざるなり、聖書は人は努めて飽き足るまでに義を行ひ得べしとは教へず、神に義を帰せらるべきを教ゆ、故に飽くことを得べしと読むべからず、飽かせらるべしと読むべし。
(改訳) 義に饑え且つ渇く者は幸福なり、其人は飽かせらるべければ也。
 
(続く)
 
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