内村鑑三 マタイ伝 10講

10講 東方博士の訪来
馬太伝二章一―十二節
大正2年1210日 『聖書之研究』161号  署名なし
 
友有り遠方より来る亦〔また〕楽しからず乎〔や〕、イエスユダヤベツレヘムに生れて、猶太(ゆだや)教会の祭司と学者等、今で云へば監督と神学者等は、暴虐の君主へロデと共に之を聞いて甚(いた)く痛みしに反して博士等の東方より来り、彼等を導きイエスの所に到らしめし星を見て甚〔はなは〕だ喜び、嬰児(をさなご)を見て拝し、宝(たから)の盒(はこ)を開きて黄金(わうごん)乳香(にうこう)没薬(もつやく)等の礼物(れいもつ)( 祭物(そなえもの)を献げて其国に帰りたりと云ふ。
ベツレヘムの東に方(あた)る東方とは何処(いずこ)ぞ、博士とは誰ぞ、東方之を訳すれば日之出国の謂(いい)なり、然れども此場合に於ては黄金乳香没薬を産したる国とあれば亜拉比亜(あらびや)砂漠の北方に方(あた)り、ヨブの三人の友が来りしと云ふテマン、シユヒ、ナアマ等の地方を指して云ふならん乎〔か〕、ハビラの金は善しと云ひ(創世記二章十二節)、ギレアデは其乳香を以て名あり没薬又熱地の産なれば、茲〔ここ〕に云ふ東方とは西はヨルダンの渓谷より東はペルシヤ湾頭に到るまでの地を指して云ふなるべし、文化の盛なりし地とは称すべからず、当時の神学即〔すなわ〕ち猶太教神学の行はれざる地方なりしは勿論なり、選民の郷土より見て異邦なり、而〔し〕かもイエスを求むるの心は此地に存せり。
「博士」は今日我等の称する博士にあらず、ドクトルに非ず、magos と称し当時の識者なり、天文に通じ、時勢を解し、王を輔(たすけ)て民を導く者なりき、政治家にあらず、然ればとて哲学者にも非ず、天に問ふて地に答ふる異邦の預言者とも称すべき者なりき、霊感鋭(するど)くして常識に富み学説に拘泥(こうでい)せずして能く真理を弁別するの明(めい)を有せり、異邦の智識と敬虔とを具備せし者なりき。
猶太教会の神学者等、大光明の己が間(うち)に顕はれしを知らざるに先だちて東方の先覚者来りて之に宝物を献げたりと云ふ、イエスは如斯〔かくのごと〕くにして毎年我等の間に生れ給ふ、彼は教会の内に生れ給ふと雖〔いえど〕も監督と神学者とは彼の彼たるを認むる能〔あた〕はず、唯〔ただ〕、旧き聖書を開き、其章節を引きて所論(いわゆる)基督論を闘はすに過ぎず、活ける真(まこと)のイエスは神学論の闘はさるゝ教会に認められずして、教会以外の識者の迎ふる所となる、イエスは今や西洋に忘れられて、東洋に崇(あが)められんとしつゝあり、イエスの朋友(とも)は近所(ちかき)にあらず遠方(とおき)に在り、教会にあらず、教会以外に在り、欧米にあらず、亜細亜〔アジア〕に在り、モーセを学びパウロを講ずる者の間にあらずして、直〔ただ〕ちに天然に接し、星を見て其霊気に触るゝ者の間に在り、祭司の長(おさ)と民の学者とは聖書を繙(ひもと)きて嬰児イエスの所在を知れり、然れども
都城に止まりて往て之を訪はんとせざりき、東方の博士は然らず、遠方遥かに駱駝〔らくだ〕に乗じて来り、嬰児を其産室に求め、祭物を献げて之を拝したり。
時に瑞星(ずいせい)天に露(あら)はれ、異邦の識者を導きてイエスの許(もと)に至れりと云ふ、古来学者にして其説明を求むる者尠からず、或ひは謂ふ、此時二星或ひは三星相合して茲に燦々(さん〳〵)の光を放てるなりと、然れども星は西方に現はれしに
止まらず、博士等に先だちてヱルサレムよりベツレヘムに至り嬰児の居る所に止まりぬと云ふ、依て知る此星の天体の星にあらざりしことを、博士は星を見る者なりしも、ベツレヘムの星は恒星又は遊星の一ツにあらざりしは明かなり。
然(さ)らば何乎(なにか)、天に現はれし大なる異象か、(黙示録〔もくしろく〕十二章一節を見よ)、或ひは其時現はれて直ちに消えし新星か、
 
(一時的新星の現出は星学上実例なき事に非ず)、偉人の生るゝ時に大星天に現はると云ふ古人の迷信に基く者なる乎、我等今に至りて其実体如何〔いかん〕を究むる能はず、我は輝(かゞや)く曙あけの明星(みょうじょう)なりとはイエス自身が自己に就て言ひ給ひ
し所なりとあれば(黙示録二十二章十六節)ベツレヘムの星はイエスの霊なりと解するも敢て不当にあらざるべし、博士マゴスは当時の星学者なり、星学者を導くに星を以てす、道は人の光なりと云へば(約翰〔ヨハネ〕伝一章四節)、イエスの霊又星学の精神に非ずと云ふを得んや、ベツレヘムの星の現象たる、是れ星学と心理学と信仰と三者相俟〔まつ〕て
解釈すべき者に非ずや。
猶太教会の神学者等は旧き聖書を繙(ひもと)きてイエスの所在を知りしと雖も往て之に事〔つか〕へんとはせざりしに、東方の博士即ち日之出国の識者は天の光明に導かれて彼を尋ね、彼を看出(みいだ)して甚(いた)く喜び、宝(たから)の盒(はこ)を開き物を献げて之を拝したりと云ふ、預言か、黙示か、比喩か、希望か、耳ありて聴く者は聴くべし。
191312月「聖書の研究」)
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