ロマ書を終わって、

ロマ書を読了して、60講より、
 
彼は、かく常に注意しておのれを隠して、神とキリストとをあらわさんとした人であつた。ゆえに、ロマ書を讀みて、彼の姿がかなり強く見ゆるとはいうものの、それにも増して --しかり、幾十倍も増して -- 強く見ゆるものは、神とキリストの姿である。實にこの事において神の愛とキリストの救いとは、パウロのすべての特徴を押しのけて立つてゐる。しかり、神とキリストは滿天の輝きを受けしごときあざやかさをもつて立つてゐるのである。ゆえに、
この書を讀んでさらに知りたく思うは、パウロではなくして、神とキリストであるパウロが極力自己を隠してあらわさんとした
この神、このキリストは何であるか、
その愛、その救いについてなお深き知識はいかにして得べきかと、
人々はこの研究に對する熱心を燃やすのである。
この意味において、ロマ書は大なる傳道書であるというべきである
 
「この書を讀んでさらに知りたく思うは、パウロではなくして、神とキリストである。」
 
 
神とキリストを更に深く知るために、内村の「マタイ伝」を次ぎに読み解く。
 
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