内村鑑三 創世記 洪水以前 エデンの園(上)

4.エデンの園()〔創世記第二章第四節―第一四節〕
四、ヱホバ神地と天を造り給へる日に天地の創造られたる其由来は是なり。
 
創世記、一名之を由来記又は伝の書(ふみ)と称〔い〕ふを得べし、之に天地創造の由来記、アダムの伝の書(五章一節)、ノアの伝(六章九節)、ノアの子の伝(十章一節)セムの伝(十一章十節)伝、総て十伝あり、第一章一節より二章二
節に至るまでは之を全記の序文と見て可ならん、各伝おの〱其之れに先〔さきだ〕づ伝記の簡短なる再説を以て始まる
○前には神(Elohimエロヒム)天地を創造り給へりと云ひて茲〔ここ〕にはヱホバ神(Jehovah Elohim)地と天とを造り給へりと云ふ、以て前後の記事の間に重要なる差異の存するを見るべし、ヱロヒムは能力(ちから)の神にしてヱホバは恩恵(めぐみ)の神なり、前者は天然の神にして後者は特別に人類(歴史)の神なり、同一の神にして宇宙を創造り給ふに方〔あたつ〕ては重〔おも〕に其力
(フオース)を顕はし給ひ、人類を導き給ふに方ては其恩(グレース)を示し給ふ、創世記々者が本節に於て神を称〔よ〕ぶにヱホバの名を以てするを見て、以て彼が茲に始めて人類の歴史に入りしを知るべし、彼は第一章に於て主として物質的宇宙に就て語れり、彼は今より人類歴史と神の摂理とに就て述へんと欲す、彼が本節に於て「地と天と」と曰〔い〕ひて「天と地と」と曰はざるを見ても今後の彼の観察点の全く人類の歴史に在るを知るを得べし、
○「ヱホバ」は自顕の神の名称なるは之を出埃記三章十三節以下に於て見るべし○本節以下七節までは亦第一章に於けるが如く天地創造の記なり、然れども人類のために造られたる天地創造の記なり、地理学者ライン(有名なる「日本論」の著者) 曰〔いわ〕く地を地其物のために講ずるを地学(地質学)と云ひ、之を人類の住所として講ずるを地理学と云ふと、本節以下に於て記者は天地を歴史の舞台として講じつゝあるなり、
○「是なり」下の如し、即ち以下の記事を指して云ふ。
 
五、野の諸ての灌木は未だ地にあらず、野の諸ての草蔬は未だ生ぜざりき、そはヱホバ神雨を地に降らせ給はず、亦土地を耕す人なかりければなり。
「野」は耕地なり、荒野にあらず、故に野の灌木又は草蔬(くさ)とは野生のものを云ふにあらずして、栽培されたる植物を云ふなり、橄欖かんらん、無果樹いちじく、葡萄樹ぶどう等、又麦、西瓜すいか、扁豆あじまめ、栗、粗麦はだかむぎ等 総て人類に衣食の料を供する者を指して云ふなり、即ち歴史以前、未だ地に犂鋤〔すき〕の入れられざりし前、麦も米も桑樹も葡萄樹も未だ野生植物として繁茂せし時の状を云ふなり、○「雨を地に降らせ給はず」、今日吾人が称して雨となすものは是れ天地の始めより此地上に降りしものにあらず、空中に存在する水蒸気が雨てふ有益なる流動躰となりて地の面を湿すに至りし
は是れ地質学上最近の事に属す、石炭時代に蕃殖せし巨大なる棕櫚〔しゆろ〕類は膏雨の灌漑を受けて成育せしものにあらず、水と水蒸気とは早くより存せしものなりと雖も、其雨となりて地上を湿ほすに至りしは実に人類現出に先〔さきだ〕つ遠からざる時にありき。○「土地〔つち〕を耕すの人なし」、雨未〔いま〕だ降らず、人未だ顕はれず、故に地は天然有りの儘にして、山は森林を以て掩はれ、野は草原たりし、罪悪の地面を穢〔けが〕すことなかりしも而も地は人工に依らずして其完全に達し得べき者にあらず、処女林の人手を竢〔ま〕ちし時、是れ実に歴史の曙光時代なりし。
 
六、露地より上りて土地の面を遍く潤せり。
雨の未だ降らざりし時の状を云ふ、深雲全地を蓋〔おお〕ひ、日光未だ地相を乾かすに至らず、水気常に空中に充満して凝〔こつ〕て濃霧と成て万物を潤ほせり、是れ実に人類顕出以前の空気の状態たりしなり。
 
七、ヱホバ神土の塵を以て人を造り生気を其鼻に嘘入れ給へり、人即ち生霊となれり。
万物は人類の顕出を待ち、地と天とは彼を迎へんとする頃、神は土の塵を以て人を造り給へりとなり、神は如何〔いか〕にして彼を造り給ひしや、陶師が人形を造るが如くに瞬間にして彼を造り給ひしや、或は彫刻師が像を刻むが
すえものし如くに永年に渉る技工の結果として彼を作り給ひしや、是れ吾人の能く知る所にあらず、吾人は唯一事を知る、
即ち人は其躰質に於て確かに土の塵なる事を、彼の身躰髪膚〔はつぷ〕皆な土より出て土に帰る者ならずや、吾等は天に属する者なるのみならず亦地の産なり、吾等が神は父と呼んで地を母と言ふは吾伝の地的起原を認めてなり、吾等
或は猿猴の進化せし者なるやも知れず、吾等或は蠕虫〔ぜんちゆう〕を吾等の祖先と称すべき者なるやも知れず、吾等の産出の由来は吾等の茲に問はんと欲する所にあらず、吾等は紛〔まご〕ふべきなき地の産たるを知るのみ、○「生気を其鼻に嘘(ふき)入」、人類は地の産なり、彼の肉躰に於て彼は猿猴、馬族と質を異にせず、彼は飲み、且つ食ふ者なり、彼は怒り又喜ぶ、動物学的に彼を観察して彼に特殊の栄誉あるを発見する能はず、然れども神は生気を其鼻に吹入れ給ひしとなり、而して人は生霊〔いけるもの〕となれりとなり、即ち動物以上の者となれりとなり、人の人たるは其鼻に嘘入れられし此生気に存す、彼が猿猴と全く類を異にするも亦〔また〕茲に存す、ソロモン曰く人の魂は上に昇り獣の魂は地に下ると(伝道之書三章廿一節)、二者の躰質に於て異るにあらず、其霊魂に於て異るなり、○人は成れり、之より彼の歴史は始まりぬ。
 
八、ヱホバ神エデンの東の方に園を設けて其造りし人を其処に置き給へり。
園はエデンの東の方、或は東の方(著者所在の地より)エデンに設けられたり、「園」は灌漑の効に由て砂漠の中に造られし肥沃の地を指して云ふ、即ち伊蘭〔イラン〕高原の地に多く散在する所の沃地の如き者、メルブ、バルク、イオエーシス、スパハン地方等は其好例なり、(「興国史談」参考)、時には之を楽園と称するは之を週囲の荒漠に較べてなり、之、、を普通の庭園と解して本文の意を汲む難し、○「人を其処に置き給へり」、人類(歴史的人種)の始祖は其始め亜非利加〔アフリカ〕内部の叢林の中に置かれざりし、彼は亦欧洲北部の山嶽巍々たる間に産出されざりしなり、或はナイル河の沿岸ならんか、或はチグリス、ユフラテ間の沖積地ならんか、或はオクザス、シルダリヤ間の壌土ならんか、其孰〔いず〕れに於てせられしも彼の揺籃が耕すに易く、獲(か)るに難からざりし処に置かれしは論を俟〔ま〕たず、地学者カールリツテル曰く太古の文明は河的(Potamic)なりと、ヱデンの園は或る大河に沿ふて設けられしものなり。
 
九、ヱホバ神観るに美麗しく、食ふに善き各種の樹を土地より生ぜしめ、又園の中に生命の樹および善悪を知る樹を生ぜしめたり
 
「観るに美麗(うる)はしき樹」、桃金嬢(てんにんくわ)、夾竹桃(けうちくとう)の如く、果実のためにあらずして葉と花とのために耕さるゝ者、植
うる物の用は経済的なるのみならず亦審美的なり、春桂の山を飾るあれば楓樹の岸を装ふあり、宇宙を代表せるエデンの園は此種の植物に於て甚だ富みしならん
○「食ふに善き樹」、海棗(デートハーム)の如き、胡桃(くるみ)の如き、安石榴(じゃくろ)の如き、又香櫞樹の如き、栗の如き観るに甚だ美はしからざるも食ふに甚だ佳き果樹は亦楽園の産なりしと云ふ、山林素〔もと〕
ぶしゆかん
是れ松、檜(ひのき)欅(けやき)等木材用の樹木に限るべきものにあらず、神の種〔う〕え給ひし天然林に於ては栗あり、柿あり、梨ありて何人も之に甘味を取るを得るなり、果樹は之を囲むに必ず牆壁を以てせられ、人は額に汗するにあらざれば果実一つをも獲るを得ざるに至らしめしものは抑々是れ誰の業(わざ)ぞや○「生命の樹」、その何の樹なるやを知る能はず、或は所謂麺麭樹(ぱんおき)と称して南洋諸島に産する棕櫚の類なりしか、或はマナの樹と称してザクロス山中に生ずる檞(かし)の一種なりし乎、或は乳香、没薬等痍傷を癒すための薬品を生ずる霊木なりし乎、或は吾人を其下に導き天の微声を聴かしむる蔭樹なりし乎、「生命の樹は」一にして足らず、吾等は其エデンの園に在て著明の地位を占めしを知るのみ、○「善悪を知るの樹」、是れ亦植物学的に指定する難し、只其果実が之を食ふ者に善悪鑑別の識を供せしものにあらざりしは明かなるが如し、「善悪を知るの樹」は之に接する人の善悪を判別するために植え附けられし者にして、其観るに美はしく食ふに善きも、身に害毒を及ぼす果実を結びし者なるが故に斯く名附けられしが如し、即ち一名誘惑の樹とも称すべき者にして人の智愚善悪を試すための樹なりしが如し。
 
十、河エデンより出て園を潤し、彼処より別れて四の源となれり。
エデン(edinn)はアツシリヤ語にて平原を意味すといふ、而して博士デリツチの説に依ればバビロニヤ平原を昔時はエデンと称へしことありと、それは兎もあれ、エデンは一箇所の名にあらずして一地方の名たりしは其四川の水源たりしに由て明かなり、然れども四川の配布流域に就ては記事錯雑して之を判別する難し。
十一、十二、其第一の名はピソンといふ、是は金あるハビラの全地を繞る(めぐる)者なり、其地の金は善し又ブドラクと碧玉彼処にあり。
河エデンの地に発し、其中にある園を潤し、園内に於て分れて四川となり、其第一をピソンと云ひしとなり、是を古代地理に稽〔かんが〕ふるにピソンなる河の曾(かつ)て記録に止まる者あるなし、或は是れアルメニヤ洲に流がるゝアラキシス(Araxes)河の支流なるクル(Kur)なりと云ひ或はギホンはナイル河にしてピソンはインダス河なりととふ、然れども論拠薄弱にして孰〔いず〕れも頼るに足らず、ハビラと称せられし地は亜拉比亜〔アラビア〕半島の一部分たりしや明かなり、然れども其或は北部に或は西南部に指示せらるゝを見て以て其確乎たる地理的区域を定むるの難きを知るべし、ブドラクは普通護謨〔ゴム〕の一種として知らる、金並に宝石と共に亜拉比亜の特産物なり。
 
十三、第二の河の名はギホンといふ是はクシの全地を繞る者なり。
ギホンの名又之を古代地理に見る難し、ナイル河がエシオピヤ人( 埃及〔エジプト〕南部の民)に依てゲウオン(Gewon)又はゲヨン(Geyon)と称はれしを見て或人はギホンは埃及〔エジプト〕のナイルなりと云ひたり、而して聖書にクシと称〔い〕はるゝ地の常にナイル上流に指示せらるゝを知て此説の能〔よ〕く本節の記事に適合するを見るべし、唯困難なるは他の三河と比対して其位置の余りに一隅に偏したるにあり。
 
十四、第三の河の名はヒデケルといふ、是はアツシリヤの東に流るゝものなり、第四の河はユフラテなり。
ヒデケルは確かに今のチグリスなり、希伯来〔ヘブライ〕語のヒデケル(Hiddekel)はスメラニヤ語のイヂクラ(Idikla)にして、イヂクラ後にヂクラ(Dikla)と変じ、波斯〔ペルシア〕人に依てチグラ(Tigra)と称せられ、希臘〔ギリシア〕人に依て今のチグリス (Tigris)と名附けられたり、此河名の変遷に六千年の歴史と四大文明の継承との顕はるゝあり、且つ其チグリス河なるはアツシリヤの東に流るゝことあるを見て疑を容るべきに非ず、○第四の河はユフラテなり、今日尚ほ其名を存す。
ピソン、ギホン、チグリス、ユフラテ、此等四河の源を発する所、是れ人類の始祖が置かれしエデンの園の在りし処なりと云ふ、今其地理学上の地位を指定せんとするに方〔あたつ〕て吾等は幾多の難問題の吾等の前に横たはるを見
るなり、今左にエデンの園の所在地に就き聖書学者に依て提出されし仮説の四五を掲げん。
一、アルメニヤの山中にありしとの説
チグリス、ユフラテの二流が其源を二者相遠からざる所に於てアルメニヤの山中に発するは事実なり、而〔しこう〕して若しクルをしてピソンならしめ、アラキシスをしてギホンならしむれば四河同所に発するの一事は此仮説を以〔も〕て稍〔や〕や説明するを得べし、然れどもクルはピソンにしてアラキシスはギホンなるの確証一つも存するなきが故に此説の以て取るに足らざるを知るべし。
 
二、西方亜細亜全躰に渉りしとの説、、、、、、、、、、、、、、、
此地域内にチグリス、ユフラ〔テ〕スの二流あり、又ギホンと稍〔や〕や同音なるゲウオン又はゲヨンの名を有したるナイル河の其西疆を限るあり、而して若しインダスを以てピソンと称し得べくんば、此説亦〔また〕全く依る所なきものにあらずとせん、然れどもインダスが曾てピソンの名を帯びし事あるを聞かず、又創世記著者が埃及〔エジプト〕又はパレスチナの地にありながら「東の方エデン」と云ひしを見て其斯くも大区域に渉りし地方にあらざりしを知るに足る。
 
三、土耳其斯丹(トルキスタン)地方にありし説、、、、、
オクザス(ジホン)をギホンに、シルダリヤ(シホン)をピソンに擬して成りし説なり、然れどもジホン、シホン
の名或は此仮説に依て起りし名なるやも未〔いま〕だ以て知るべからず、且つ四河の水源地を一にするの重要なる一点の此仮説に依て些少の解釈だも得る能はざるを如何せん。
 
四、バビロン城市附近にありしとの説、、、、、、、、、、、、、、、、
此仮説に依ればピソン、ギホンはユフラテス河より分岐せる大運河の名称にして之にチグリスを加へて四河の
一所に相集まるを見るべしと、エデンが平原を意味してバビロニヤ平原が一時はヱデンと称へられし事は此仮説を強むるに足るの一証ならん、且つ大運河の一がグハナ〔(Guhana)ギボン(Gihon)に類す〕の名を帯びしは偶〔たまた〕ま
以て此仮説に学者の注意を喚ぶの一因とはなれり、殊に運河の西に流がるゝ者(Pallakopas Canal)が亜拉比亜〔アラビア〕砂漠の一端に沿ふて流がるゝを以て或は其辺を金属宝玉を産するバピラの地と称すべしと言ふ者あり、要するにバ
ビロン附近説は前三者に比して依る所稍や多き者なるが如し。
 
五、ペルシヤ湾頭にありしとの説、、、、、、、、、、、、、
是れカルビンに依て始めて提出されし説にして今日に至るも尚ほ多くの有力なる賛成者を有する者なり、其説く所に依れば四の源とあるは水源の意にあらずして水流の義なりと、而〔しか〕して昔時ペルシヤ湾頭の今日の如く沖積層を以て填充せられざりし時に当てはチグリス、ユフラテの二流は合して一水となり、後、また分れて二水となりて海に注げり、而して園は上下四水の一水と成りて流れし所にありたり、即ちピソン、ギホンは下の二流にし
てチグリス、ユフラテは上の二流なりと。
然れども以上諸説は孰〔いず〕れも創世記々者の叙述を悉〔ことごと〕く説明するに足らず、吾等は今日地理学的にエデンの園の所在地を確定するに足るの材料を有せず、只二三左に読者の注意を促すべき要点を掲げん、
一、ヱデンの園の実在せし事、其単に詩人の夢想に上りしものにあらざりし事
一、ヱデンの園の西方亜細亜の或所に存在せし事、
一、ヱデンの園のチグリス、ユフラテ両河に瀕せし事、
而して近世に至てアツシリヤ学の進歩に由り最旧文明の両大河々辺に起りし者なる事の愈々明白なるに及んで吾等は創世記々者の此記録の何時か明瞭に解説せらるゝの日の至らん事を望んで止まず。
〔以上、明治341020