老年の祝福

老年の祝福
 
大正151110日   『聖書之研究』316号  内村鑑三
 

 

老は老耄、老いぼれることではない。老熟、すなわち人生に熟練することである。長く神に導かれた経験からくるものである。信者はこの経験を持って神に仕え、人にも仕えねばならない。これに勝る幸福はない。それゆえ老はなるべく長く続くことを期待したい。老年の1年は壮年の十年、青年の20年に相当する。いのち長ければ恥多しとは不信者の言うことであって、信者の言うべき事ではない。「汝の力は汝の歳に従わん」とエホバはモーセに言われた。(申命記)能力の不足を心配する必要はない。神はキリストによって求める者には与えて下さるからです。「34:7 モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。」重大な責任を負って、その一生を送ったモーセにおいてすら、その様であった。まして我等のような平凡な信徒においては健康で長生きが出来ましょう。
まさしく永久に若く生きる道は神に使われて生きる道でありましょう。自分のために働く時に人は早くに老衰します。いつも神と共に働き、その御心を為そうと努めて働くときに青年の若さを維持することが出来ます。
リビングストンは「常に神のために大望を抱き、大事を計画せよ」と言うた。真にその通り。
自分の欲望のために、名誉や利益のために働いて老衰しないように望むのは無理なことである。(内村鑑三