内村鑑三 創世記 エデンの所在地

エデンの所在地
 
(此篇を読むに方て成るべく精細なる西部亜細亜の地図を参照するを要す。)
創世記二章八―一四節の研究
昭和2910  『聖書之研究』号326      署名なし
 
○聖書は宇宙並に人生に関する大問題を提出する。其他に又多くの地理学上並に歴史上の大問題を提出する。聖書に依て科学並に哲学の研究が促進されしやうに、地理学並に史学の研究も亦大に其の奨励刺戟する所となつた。
今やエジプト学並にアツシリヤ学は儼然たる専門的学科であるが、其起因は聖書にある。幾多の大学者は其研究に没頭し、多くの驚くべき知識を近代文明に貢献した。聖書を知らずしてナイル、ユフラテ両岸に起りし太古文明を究めんと欲するの熱心は起らない。而して亦太古文明を知るは近代文明を知るに最も肝要である。考古学、其れより人類学、是れ皆聖書の刺戟を受けて始つたものである。
 
○其一例が我等が今夕研究せんと欲する「エデンの所在地」問題である。人類の始祖が置かれしと云ふエデンの園は何処に在つた乎と云ふ問題である。
 
創世記二章八節以下に曰く
ヱホバ神エデンの東の方に園を設けて其造りし人を其処に置き給へり……河エデンより出て園を潤し、彼処より分れて四の源となれり。其第一の名はピソンと云ふ、是は金あるハビラの地を繞(めぐ)る者なり。其地の金は善し、又ブドラクと碧玉と彼処(かしこ)に在り。第二の河の名はギホンと云ふ、是はクシの全地を繞(めぐ)る者なり。第三の河の名はヒデケルと云ふ、是はアツシリヤの東に流るゝ者なり。第四の河の名はユフラテなり。
問題は「此説明に合ふ地は何処にありや」と云ふのである。
 
○先づ第一に知るべきはエデンとは園の名でなくして、園の在つた地方の名である事である。「神エデンの東の方に園を設けて云々」とある。エデンと云ふ地方、其地は何処に在りし乎と云ふ問題である。そして之を定むるに四の河の名がある。ピソンとギホンとヒデケルとユフラテ、是等の四つの河が其源をエデンに発したりと云ふのである。故に若し是等の河を確かめる事が出来るならば、エデンの所在地は判明る筈である。故に問題は河の
名の研究に帰するのであつて、そして其研究が甚だ困難なるのである。
 
○四の河の名の内で明白なるは第四のユフラテである。ヒブライ語のPerath はギリシヤ語のEuphrat に当るとは解し難い事でない。次に稍明白なるはヒデケルである。ヒブライ語のHiddekel はアツシリヤ語のIdiklat の訛であるとは、是れ亦受納るゝに難い事でない。そしてイヂクラトは今のチグリスである事は判明つて居る。
然し乍ら第一のピソンと第二のギホンとに至つては、その何れの河を指して云うたのである乎、判明(わか)らない。そして考古学者の知識は其探究の為に注がれたのである。
 
ユフラテとチグリスが其源を同一の地方に発して居ることは判明つて居る。即ち二河共にアルメニアの西南部に発して居るのであつて、ユフラテは初めは西に向つて流れ、チグリスは東に向つて流れて互に相離るゝと雖も、メソポタミヤに至り相接近し、終に合して一流となりてペルシヤ湾に注ぐのである。故にピソンとギホンとは不明なりと雖も、ユフラテとチグリスとの源の在る所を知つて、我等はエデンが今の土耳古領のクルヂスタン、並に其北方のアルメニヤに在つた事を推測する事が出来る。若しさうであるとすればピソンとギホンとは同じく此地方に発する河でなくてはならない。そしてさう云ふ河がある乎と問ふに在るのである。其一はAraxes であり、其他の者はKu r である。二者孰れも頗る大河であつて、二流は合して裏海に注ぐのである。故に若しギホンとピソンとはアラキシスとクールであると証明する事が出来るならば、問題は茲に容易く解けて、エデンの園はアルメニヤの南部、ワン湖畔、アララツト山の南麓に在つたと指定する事が出来るのである。
 
○しかし乍ら問題はさう容易でないのである。もしピソンがアラキシスなりと仮定すれば、其河は金とブドラク其他の宝石を産するハビラの地を繞りて流れねばならぬ。しかるにアラキシスの沿岸に斯かる地の在るを知らない。
又ギホンはクシの全地を繞(めぐ)る河なりとあり、しかしてクシとはエジプト国ナイル河の上流、今のスーダン、アビシニヤ地方の名であつた。故にカウカサス山の南方を流がるゝ二大河何れも之に合はないのである。茲に於てエデンはアルメニヤであつたとの説は全く破れて、他に説明を求むるの必要が起るのである。
 
○今ここに学者に由て提出されし説の主なる者を挙ぐれば大略左の通りである。
 
(a)  カイルKeil に循(したが)へばピソンPishon はアラキシスAraxes 又はクールKur であつて、ギホンGihon はアラル(a) 海Aral に注ぐオクザスOxus である。オクザス一名之をジホウンJihoun と云ふに徴(ちょう)して此説の事実らしきを知るべしとの事である。
(b)  老デリツチFranz Delitsch 並にヂルマンDillmann に循(したが)へばピソンは印度のインダス河Indus であり、ギホンはエジプトのナイル河Nile であると云ふ。創世記々者の地理に暗らきが故に、古代に知られたる四大河が同一の地方に源を発したりと想像したるより此記事が成つたのであるとの説である。
(c)セイス教授Sayce に循へば、ピソンはメソポタミヤの河の名であつて、ペルシヤ湾に注ぎ、ギホンはチヨアスペス河Choaspes であつて、ザグロス山脈の東南を排水して同湾に注ぐ者である。エデンの園はペルシヤ湾頭の西岸に位ゐし、四大流の河口は相接近して同湾に注ぎしが故に「彼処より分れて四の源(或は水脈)となれり」と記されたりとの説である。
(d)若デリツチFriedrich Delitsch に循(したが)へばピソンはユフラテの右岸に開鑿(かいさく)されしパロコーパス大運河Palloko-pus であつて、ギホンはチグリス、ユフラテ両河の間に開鑿され、今なおShatt-en-Nil と称して其跡を留むる、是れ又大規模の運河である。故にエデンの園は二大河が相接近し、二大運河がユフラテより分水する辺に在つたのであるとの説である。
(e)ホムメルHommel の説に由れば、ヒデケル、ピソン、ギホンの三流はアラビヤ砂漠を流るゝ渓水であつて、Sirhan Rumma Dawasir 三渓水がユフラテ河の河口近くにペルシヤ湾に注ぎし辺にエデンの園は在つたのであるとの説である。
(f)パウロ・ハウプトの説に由れば、セイス教授の説が大躰に於て正しく、但しピソンはチヨアスペスであつて、ギホンは其東南に流るゝカルンであると。
 
○かくしてエデンの所在地は未判定である。大家の説の斯くも異なるを見て、或る学者は是れ解決を見る能はざる問題であると見做し、之を不問に附せんとしてゐる。然し我等は彼等に傚(なろ)ふて失望するに及ばない。アラビヤ半島の地理学的探検は今始つた計りであると云ふ事が出来る。何時大発見がありて我等を驚かすか知れない。しかして学者は今や大なる熱心を以てアララツト地方、並にカウカカサス方面を研究しつゝある。或はノアの方舟の破片を発見し得ないとも限らない。難問題の解決は容易でない。百年二百年を経て解決し能はずと雖も失望すべきでない。忍耐して研究を継け、又静かに解決を待つべきである。
 
○私自身は未だアルメニヤ説を棄てない。アラキシスの上流をPasis 又はPhasis と云ふ。此はピソンに近い音である。而して又彼地方に於ては川は普通にジホンと称すとのことであれば、今日のクールをギホンと呼んだ時があつた乎も知れない。クシはカス(Kass)の事であつて、ザグロス山脉(山脈)北部の地名であつた乎も量られず。何れにしろエデンはチグリス、ユフラテ二大河の源なるアルメニヤ南部ヷン湖の辺に在つたとの説は容易に棄つべき者でない。
 
アダム、エバは人類の始祖ではなく、白人種の祖先であつたのである。シエム、ハム、ヤペテと称してアルメニヤ辺を中心に、亜細亜、阿弗利加、欧羅巴の三大陸に散在せし白人種の祖先である。而してアダムを以て人類の文明 一名救済が始つたのである。聖書は神が人類を救ひ給ふ其順序事績の記録であつて、救ひはアダムとエバとを以て始つたのである而して文明即ち救済史が亜細亜大陸の西部アルメニヤ辺に於て始つた事は甚だ事実らしくあるエデンの的確の所在地は知る能はずと雖も、其の大体の位置は之を知るに難くない。裏海、黒海、地中海、紅海、波斯(ペルシャ)湾の沿岸より殆んど同距離の地点に在つたと見て多く誤りないと思ふ。斯くて創世記も亦「巧(たく)みなる奇(あや)しき談(はなし)」ではない(ペテロ後書一章十六節)。此は歴史的事実を語る者であつて、地理学に基礎を置く者である。
 
(大正十五年二月八日並に十五日の二回に渉りて為しゝ講演の梗概)