内村鑑三 創世記の研究  (天地の創造)-Ⅰ

創世記の研究(天地の創造)-
昭和5年110日・210日・310日『聖書之研究』354355356
 
其一天地の創造創世記第一章
○西洋の神学者は曰〔い〕ふ「創世記第一章はヒブライ人の天地創造説である、其価値はそれ丈〔だ〕けである、それ以上にない」と。我等は之に答へて曰ふ「まことに然〔しか〕り、然れどもヒブライ人の天地創造説であるが故に殊更〔ことさ〕らに貴いのである、之に印度〔インド〕人又は希臘〔ギリシア〕人のそれに無いものがある。勿論〔もちろん〕近代科学の結論を其内に看出〔みいだ〕す能〔あた〕はずと雖〔いえど〕も、然れども近代科学の眼の達せざる所のものを我等に示す。ヒブライ人の天地創造説なりと称して之を賎視(いやし)めてはならない、近代科学も亦〔また〕之より大いに学ぶ所がなくてはならない」と。
○其発端が顕著である。其第一、第二節に曰〔いわ〕く
元始(はじめ)に神天地を創造(つく)り給へり。地は定形(かたち)なく曠空(むなし)くして黒暗(やみ)淵(わだ)の面(おもて)にあり、神の霊水の面〔おもて〕を覆ひたり、と。天地に創造があつた、そしてそれが自然に発達したのでなくして、神が之を創造(つく)り給うたのであると云(い)ふ。
事の真偽は別として思想は実に遠大である。殊に驚くべきは第二節である。地は定形(かたち)なく曠空(むなし)くあつたと云ふ。外には整形なく、内には整理なしと云ふ状態であつた。無形の塊(かたまり)amorphous mass であつたと云ふのである。そして黒暗其上に漂へりと云ふ。混沌〔こんとん〕の状を記(しる)す言辞(ことば)として之よりも深刻なる者はない。然れども黒暗は際限なき黒暗でなかつた。神の霊水の面を覆ひたりとある。母鶏(めんどり)が其卵子(たまご)を翼(つばさ)の下に抱くが如くに、神の霊が宇宙の卵子を抱けりと云ふ。何んと優(やさ)しい、希望に充てる宇宙観でない乎。ヒブライ人は神に示されて如斯〔かくのごと〕き宇宙観を抱いたのであつて、之を伝へし聖書は永久に貴いのである。
○茲(ここ)に造化の徴兆(きざし)があつた。そして之を根本として造化は始つたのである。無形は有形にならねばならぬ、曠空は充実されねばならぬ、是が造化の順序である。斯くして造化は六日を以つて行はれた。六期に分たれたる時期を以つて行はれた。始めの三日に外形が成り後の三日に充実が行はれた。そして無形は有形と成り、曠空は充実されて、宇宙は完成されて神はその聖業(みしごと)を止(や)めて休み給へりと云ふのである。
 
○そして外形は如何(いか)にして成りし乎と云ふに、判別の方法に由つてゞある。第一日に神光と暗を分ち給ひ、第二日に穹蒼〔おおぞら〕の下の水と穹蒼〔おおぞら〕の上の水とを判(わか)ち給ひ、第三日に海と陸とを分ち給へりと云ふ。判分又判分である。判
ちては又分ち、そして天地は終(つい)に成れりと云ふ。混沌状態が判別状態と成つた。茲に形が整(ととの)ふて整頓(せいとん)せる天地が現はれたのである。
 
○然れども無形が有形と成つた丈けでは造化は完成(まっと)うされたのではない。形を充たすに物を以つてせねばならぬ。
第三日を以つて無定形の状態は終つたが、曠空状態は依然として存した。茲に於てか神は先〔ま〕づ穹蒼を充たし給うた、日と月と星とを以つて之を充たし給うた。神は之に次いで空界と水界とを充たし給うた。空界を充たすに「羽翼(つばさ)ある諸(もろ〳〵)の鳥」を以てし給うた。諸て空中を飛ぶ動物との謂であらう。又水界を充たすに「巨(おほひ)いなる魚と水に饒に生じて動く諸の生物」を以つてし給うた。水産動物の総称であるは明かである。如斯くにして空界Atmosphere と水界Hydrosphere とは生物を以つて充実せらるゝに至つた。空と水とは曠空(むなし)からざるに至つた。
 
○残るは陸界Lithosphere である。之も亦充実されねばならなかつた。そして神の命に従つて「地は生物を其類に従ひて出し、家畜と昆虫と地の獣とを其類に従ひて出し」た。そして其上に神御自身に象(かたど)りて其像(かたち)の如くに人を造りて、之に万物を治むるの権能を賦与し給うた。是で万物の造化は其終りを告げた。そして天地及び其衆群
悉〔ことごと〕く成りたれば神は第七日に其造りたる工(わざ)を竣(をへ)て安息(やす)み給へりと云ふ。
 
○まことに整然たる天地創造説である。近代の科学と調和も衝突もあつたものでない、科学の眼の達せざる所を示してゐる。判別Separation と充実Fulfilling 神の聖業の順序と方法とを示してゐる。そして天地万物に限らず、
凡〔すべ〕ての者が此順序方法に従ひて完成せらるゝのである。混沌に始つて整斉に終る。暗と光と分れ、上と下と判れ、右と左と別れ、善と悪と判る。真の進歩は判別に於て在る。曖昧〔あいまい〕は混乱状態である。冷かにも有らず、熱くも有らず、堪え難き生温(なまぬる)き状態であつて、正義の神の最も憎み給ふものである。「我れ汝〔なんじ〕我口より吐出さん」と彼がラオデキヤの教会に言ひ給ひし其嫌ふべき状態である(黙示録〔もくしろく〕三章十五節)。判別の上に充実が行はれて万事が完成するのである。
○そして天地に限らない我が霊魂が救はるゝも亦此順序方法に依る。始めは無形曠空、暗黒其周囲に標ふの状態である。然れども神の霊暗黒の面を覆ふが故に茲に恩恵の工(わざ)が始まるのである。そして判別に次ぐに判別が行はれ、キリストを迎ふるの殿堂が成つて、聖霊之に充ちて茲に救拯(すくい)が完成せらるゝのである。