内村鑑三 創世記 アダムの創造

昭和4710  『聖書之研究』348   署名内村鑑三
 
創世記第一章、二章                                                                               
 
○創世記に於〔おい〕て人間の創造に関する記事が二箇(ふたつ)ある。其一はエロヒム系の記事であつて、第一章の終りより第二章三節までの記事である。即ち神は御自身の像(かたち)の如〔ごと〕くに人を造り、之に万物を治むるの権能を与へ給へりとの事である。而〔しか〕して第二章四節を以つて全然新らしき記事が始まる。以下は単に神と云〔い〕はずしてヱホバ神と云〔い〕ふ。
「ヱホバ神土の塵をもて人を造り」と云ふ類〔たぐい〕である。故に此記事を称してヱホバ系の記事と云ふ。エロヒム系の記事とは全く趣きを異にしてゐる。天地の創造に就ては多くを言〔い〕はない。主として人の創造に就いて云ふ。第四節に曰〔い〕ふ、ヱホバ神土の塵より人を造り、生命(いのち)の気(いき)を其鼻に吹入れ給へり、人即ち生ける霊となりぬ。と。殊に女の創造に就いて委〔くわ〕しく記す。
茲〔ここ〕に於てヱホバ神アダムを熟(ふか)く睡(ねむ)らしめ、其肋骨(あばらぼね)の一を取り、之をもて女を作り云々。と(廿一、廿二節)。其他エデンの園、善悪を知るの木等に関する重要なる記事がある。
 
○さて其詳細なる説明は後日に譲りて、今日茲に究めんと欲するは、我等は創世記に於て同事の記事を二箇有〔も〕つの乎〔か〕、或〔あるい〕は二箇の異なりたる事実の記事を二箇有〔も〕つの乎、其事である。そして私の今日まで読みし所の註解書は凡〔すべ〕て前説を取るのであつて、唯〔ただ〕或る学者は同一の事実を両方面より見たのであると云ひ、或る他の学者は二箇は全く相互に何の関係も無き記事であつて、創世記の編纂〔へんさん〕者は唯〔ただ〕二箇の旧記を茲に列べた丈〔だ〕けであると云ふに過ぎない。然〔しか〕し私は夙(はや)くより此解釈に疑を挟(さしは)さんでゐた。何の関係もなき記事をたゞ二つ列べたと云ふては意味を為〔な〕さない。是は余りに子供らしい編纂法である。縦〔よ〕し記事の出所は別であつても、之を列べた以上は、其間に何か深い関係がなくてはならぬ。エロヒム系の人間創造の記事と、ヱホバ系のそれとの間に何にか深い聯絡(れんらく)関係がなければならないと、私は常にさう思ふて来た。
 
○そして今日に至つて猶〔な〕ほ其説を変へない。而已〔のみ〕ならず是れが唯一の解釈であると思ふ。一言にして云へばエロヒム系の記事は天然の産として見たる人間に関すする記事であつて、ヱホバ系の記事は歴史の立場より見たる人類祖先に関する記事である。若〔も〕し学者の言葉を以つて云ふならば、前者は聖書的人類学の記事であつて後者は聖
書的歴史の発端であると。科学的に見たる人類の創始と歴史的に見たる人類のそれである。アダムとエバとを以つて人類の歴史は始つたのである。
○人類学の立場より見てアダムが初めの人であつたとは何〔ど〕うしても思はれない。聖書年代記に依ればアダムより今日に至るまで六千年乃至〔ないし〕八千年経過した事になる。如何〔いか〕に計算しても一万年以上に達する事は出来ない。然し乍〔なが〕ら人類学の明白に示す所に従へば、人類の出現は決して一万年や二万年前の事でない。二十万年と云ふが最小限度である。若し一八九一年に爪哇(ジャワ)に於て発掘せられし骨(頭蓋骨の一部並に左側大腿骨)が、或る学者の唱ふるが如くに半猿半人の動物の骨であつたとするならば(彼等は此仮想的動物にPithecanthropus erectus の学名を附けた)、人類の出現は既に地質学上第三紀に兆(きざ)してゐたのであつて、之を数百万年の昔と称して可〔よ〕いであらう。何〔いず〕れにしろ聖書が記すが如くに僅々〔きんきん〕一万年以内に人類が初めて地上に現はれたとは、近代科学は如何〔どう〕しても承知しないのである。今や人類学の初歩を知る者は所謂〔いわゆる〕「アダム・エバ説」を真面目〔まじめ〕の事実として受納れないのである。
 
○然らばアダムとエバは単に作話(つくりばなし)として排斥すべき乎と云ふに、決して爾〔そ〕うでないと思ふ。アダムは良心に覚めたる初めての人間であつた、即ち本当の意味に於ての人間であつた。彼れ以前に人類はあつた、動物として見たる人間はあつた。ギリシヤの哲学者が云うた「羽毛無き両脚の動物」はあつた。更にまた猿類以上に知能の発達した人間はあつた。然し乍ら人間としての人間、善悪を識〔し〕るの存在者としての人間はアダムを以つて初めて現はれたのである。そして創世記二章の人間創造の記事は此意味に於ての人間の創造に関する記事であつて、第一章の記事を当然補ふべき者である。
 
○更に注意すべきは神とヱホバとの使ひ分けである。神即ちエロヒムが能力の神であつて、所謂全智全能の神である。之に対してヱホバは自顕の神であつて、正義と恩恵の神である。神はエロヒムとして我等の肉体を造り之に知能を授け給ひしに加へて、ヱホバとして霊魂を造り之に御自身を顕はし給うた。斯〔か〕くして人は神の被造物であるに相違ないが、肉に於ては他の万物と同様に能力の神(エロヒム)に造られ、霊に於てはヱホバの神を父とし
て有つのである。曰〔いわ〕くヱホバ神土の塵を以て人を造り(他の動物同様に、而して之に加へて)生命の気(霊魂)を其鼻に吹入れたれば、人即ち生ける霊(霊的存在者)となれりと。アダムは此意味に於ての人間の始祖であつた。
 
1929(昭和4)7