内村鑑三 ヨブ記の研究 第16講 ゾパル再び語る

第十六講ゾパル再び語る 約百記第二十章の研究(十月二十四日)
○ヨブは十九章に於て大〔おい〕なる啓示に接して光明全心に漲〔みなぎ〕るに至り、今は友の上に優逸なる信仰の地歩を占むることゝなりて、今までは友に撃たれつゝありしに今は威迫を以て友に臨み得るに至つた、一瞬にして局面は一変し彼は勝利者として鮮かに現はれた、故に約百〔ヨブ〕記は十九章を以て終尾とすべきでないかと思はれる、然〔しか〕るに著者は以後に二十三箇章を加へて尚〔なお〕大に読者を教へんとするのである、まことに不思議な事である。
 
○そして約百記のみに限らない、聖書に於ては他にも此種の事がある、以賽亜〔イザヤ〕書の如〔ごと〕きはその第五十三章の救主予言を以て光明の絶巓〔ぜつてん〕に達したのである、然るに之を以て以賽亜書は終らずして六十六章まで続いてゐる、又新約聖書は約翰〔ヨハネ〕伝の十三章―十七章を以て絶頂に達せりと見らるゝにも係〔かかわ〕らず、之れを以て終らないのである、其理如何〔いかん〕。
  
けだし吾人は信仰の絶頂に攀〔よ〕ぢ登り希望の全光明にその身をひたすと雖〔いえど〕も之を以て充分ではないのである。尚吾人に学ぶべきものが残つて居るのである、「それ信仰と望と愛と此三つの者は常に在るなり此中最も大なるものは愛なり」と云ふ、我等は尚ほ愛について学ばねばならぬのである、されば約百記は十九章を以て終つてはならぬのである。
 
○十九章の最後を見よ、其処〔そこ〕にヨブは明かに友に勝つてゐる、しかしそれは信仰による勝利ではあるが愛による勝利ではない、故に之は最上の勝利ではない、ヨブは信仰に由て友を蹴破(しうは)して終るべきではなかつた、愛を以て友を赦〔ゆる〕して終るべきであつた、彼は尚ほ此上学ぶ所があつて遂〔つい〕に愛を以て友を赦〔ゆる〕し得るに至らねばならぬ、即ち愛による勝利の域に達せねばならぬ、彼は四十二章に至つて真に友を愛し得るに至つたのである、それまでの道程を我等は二十章以下に於て学ぶのである、約百記が十九章を以て終るべくして終らなかつた理由は茲〔ここ〕に在る、故に二十章のゾパルのヨブ攻撃は実に辛辣〔しんらつ〕非礼を極めたもので、十八章のビルダデの攻撃に勝るも劣らぬものであるが、之に対してヨブは甚だ平静であつて決して激語を以て酬〔むく〕いず、遂には進で自己を罪人となし友を赦し得るに至るのである。
 
これよりヨブの学ぶべき事は其終局に於て愛であるが、その中道に学ぶべき二三の重要なる事柄があつたので
ある、先づ知るべきは「摂理」のことである、神は如何〔いか〕に人間を―又人間社会を導きつゝあるか、義人と悪人とに対する神の態度如何、義人に患難を下す神の摂理の意味如何、之をヨブは学ばねばならぬ、一言にして云へば神を認めて上の人生問題の解決を得ねばならぬ、次ぎには自然界の事、世界宇宙の秘義を学ばねばならぬ、即ち宇宙問題を研究せねばならぬ、ヨブは十九章に於て自己心霊一個の問題をその根原に於て解きし故、これからは眼を広く世界に放つて人生問題、宇宙問題の研究に従はねばならぬ、かくして自己心霊の問題、自己以外の世界宇宙の問題など凡〔およ〕そ世にある大問題を解き終へて、遂に己を苦めし友を赦し得る愛にまで到達するのである、われらは二十章以後の研究に当りては上述の事を深く心に留めて置かねばならない。
 
○二十章のゾパルの語は十八章のビルダデの語と同じく悪しき人の滅亡を描いたものである、即ちヨブの目下の
惨苦及び来らんとする滅亡を以て悪の結果と断定したのであつて、時代思想の罪とは云へ如何にも峻酷であると
云はねばならぬ、その中十九節に「こは彼れ(悪き人を云ふ、暗にヨブを指す)貧しき者を虐げてこれを棄てたれ
ばなり、たとひ家を奪ひとるとも之れを改め作る事を得ざらん」とあるが如き、貧者を虐げ其家を奪ふ罪悪をヨ
ブに帰したのであつて理不尽なる批難と云ふべきである。
 
○又二十四、二十五節の如きは文章美の点より注意すべき語である、「かれ鉄(くろがね)の器(うつは)を避くれば銅(あかがね)の弓これを射透す、是に於て之をその身より抜けば閃〔ひらめ〕く簇(やじり)その胆(きも)より出で来りて畏怖(おそれ)これに臨む」とある、これ神が悪人を撃ち給ふ事を比喩的に述べたのであつて、其描くが如き書振(かきぶり)の鮮かなること比類少きを思はしめる。
 
○又二十七節には「天かれ(悪人)の罪を顕はし地興りて彼を攻めん」とある、これ十九章二十五節にあるヨブの
言たる「われ知る我を贖〔あがな〕ふ者は活く、後の日に彼必ず地の上に立たん」に対する嘲笑〔ちようしよう〕的皮肉である、我れを贖ふ者が後必ず地の上に立たんとのヨブの大信仰の披瀝〔ひれき〕に対して、天はヨブの罪を顕はし地は興りてヨブを攻めんと云ふ(明かにヨブとは云はず、しかし勿論ヨブを意味するのである)、まことに毒を含める嘲笑の語である、ヨブが霊界神秘の域に独り神と交はりて得たる黙示は、心なき友のために斯〔か〕くも汚されんとするのである。
 
○実に二十章のゾパルはヨブに対して毒ある矢を放つたのである、併〔しか〕し今日のヨブはもはや昨日のヨブではない、彼は今や黙示の深かきに接し信仰の絶巓に登りて、遥か下に友の陋態〔ろうたい〕を眺むるの余裕を抱いてゐる、故に友の毒矢は彼を怒らせない、故に彼は二十一章に於て決して激語を以てゾパルに酬いない、たゞ静かに彼等を諭さんとするのである、そして遂には斯かる嘲笑を以てヨブの信仰に対せしほどのゾパルをも容易〔たやす〕く赦し得て、みづから手を伸ばして彼等と握手するに至つたのである。
 
さらば我等の学ぶべきは愛である、我等は信仰を以て人に勝ちて満足してはならない、これ未だ人を敵視する
ことである、愛を以て人に勝つに至つて―即ち愛を以て敵人の首に熱き火を積み得るに至つて初めて健全に
達したのである、信仰よりも希望よりも最も大なるものは愛である。
 
 
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