内村鑑三 ヨブ記の概要 第3,4章

約百記三、四章(六月六日)
約百記は全体の結構(けっこう)より之を一の劇(げき)として観る事が出来る、而も此劇たるや外面の劇でなくて内側(うちがわ)の劇である。未だ之を劇に演じたる者あるを聞かぬが、思ふに如何なる名優と雖どもヨブを演じ得る程のものはあるまじく、之を演じ得る程の人物たらば恐らく俳優にはなるまい、又余りに霊的であつて是に興を持つ事の出来る観客があるまじければ旁〔かたが〕た未だ曾〔かつ〕て劇として演ぜられた事はないが、組織は劇的であつて全部四十二章中明かなる区分がある。第一は一、二章の緒言であつてヨブの場合を記し、第二はヨブ対三友人の問答であつて三章より二十六章に至り約百記の大部分を占めて居る、第三はヨブが三人との議論に勝ちて後の独語にて二十七章より三十一章に至り、第四は三十二章より三十七章に至るヨブ対エリフの記事にて、エリフは傍に在りてヨブと三人のものとの議論が結末が付かぬため仲裁に出で、一方にはヨブを戒め又一方には三人のものを戒めたのである、第五はヨブ対ヱホバの記事である、エリフの言ふ所も亦不完全であつたゝめに遂にヱホバ御自身顕(あら)はれてヨブと語り給ふた
ので、これが三十八章より四十一章に及ぶ、而して第六が最後の四十二章にて元の緒論に返りて簡短明瞭にヨブは元に勝(まさ)る幸福を以て恵まれたりとの結末の記事である。
約百記の主要部は第二のヨブ対三人者の記事であつて之が誨(おし)へんとする所は何であるかを知つて他は講議や註釈を待たずして各々自身にて解り、約百記は諸君の最もおもしろき読み物となるのである。三人のものゝ立場は如何〔いかん〕、三人各自、経験、智識、年齢を異にするため勿論多少の相違はあれども大体に於ては同じ人生観を持つて居たのである。
七日七夜唯(ただ)声を挙げて泣くのみにて一語をも発〔は〕する事が出来なんだが、ヨブは遂に堪え兼ねて火山の噴火の如くに発言した。ヨブ語を発して神を詛(のろ)ひしか、人を怨みしか将た己れを責めしか、これ共にヨブには出来なんだ、而も此苦みの中に在りて何ものかを詛はずしては居られぬ、茲にヨブは己の誕生の日を詛つたのである。神を詛
ふ能(あた)はず、人を怨(うら)み又自己を責むる能はずして己が誕生の日を詛ふ、誠に無意味の如くであつて而も吾等何人も遭遇する実験である。種々の語を以て繰り返して誕生の日を詛ひ、胎にやどりし夜を詛ふ、要は「生れざりせば」の意を許す限りの語を以て痛切に言ひ表はさんとしたのである、何故に斯く迄激(はげ)しき艱難がヨブの身に臨んだのであらふか、彼は神を探(さぐ)る者の立場として最も辛(つ)らき所に立つのである。人には何人にも多少の苦しみの経験はあれどもヨブは更に更に深き苦みを持つたのである。普通の懐疑ではなく、艱難の底に陥りて神を見失つて一点の光もなくなつた深刻なる苦みである。世の極貧者は猶最も憐む可きものでない、曾て富み栄えたる者の一躓(いつてつ)して極貧者となりしものが最も憐む可きであつて、栄華の味を知れるだけに一入〔ひとしお〕の苦痛があるのである。基督者クリスチヤンが光を失ひし苦痛はこれであり、ヨブの詛(のろひ)はこれがためである。ヨブに於て最も善きは生れない事にて、次は生れて直ちに気息(いき)の絶える事であり、其次ぎは育てられない事である。人生が無意味となりし時の歎きは実に斯くも切なるものである。ヨブの此歎きの語が如何に力あるものであるかは説明は出来ぬが、仮令〔たとえ〕ヨブ程でなくとも艱難に遭遇して訴ふるに所なく独り悶(もだ)え苦みし経験を有するものは之を読みて最もよく解り、繰り返されたる語の中に一も冗漫(じやうまん)の言語なく、深き苦痛を発表せるものである事が知らるゝであらふ、此経験なきものに対しては説(せつ)明損(めいぞん)である。世の多くの人は基督者の歓喜を知らないと同時に又其苦痛を知らないのである。吾等には吾等特別の歎きがある、富のなき事ではない、事業の失敗ではない、一家の不幸事の如き事ではない、深き々々心霊の奥の歎きである。年少者にして此消息の解らぬものは須〔すべから〕く他日を待つて解る可きである。憐む可き哉ヨブ、神を見失ひ光に離れて悶ゆる彼は蔵〔かく〕れたる宝を索(たずぬ)るよりも切なる思を以て死を望み、墳墓(はか)の彼方〔かなた〕の休息こそ今は唯一の慕(した)はしきものであつた。
正直なる老人テマン人エリパズは口を開かざるを得なかつた、己が人生観を説いてヨブの苦痛を癒さんとした。
テマンは死海南方に位する当時商業上枢要(すうよう)の大都会であつて学者をも多く出し一種の人生哲学をもつて居つたので、エリパズは之を代表した者と見る事が出来る。而して其説く所はヨブには何の慰とはならずして正に傷所に針の痛みであつた。「汝〔なんじ〕は曾て人に誨(おし)え之に力を与えしも今汝の身に艱難臨めばおぢまどふではないか」とはエリパズが発したる最初の語であつた。彼は学者ではあつたが未だ苦痛の学校に入つたことのない世に多くある所の友人たるに過ぎなんだため艱難に在るものを慰むるの道を知らなかつた。彼は更に語を続けて言ふた、「人は各其播(ま)く所のものを穫る、罪なくして亡び義(ただ)しくして絶(た)たれしものは古(いにしえ)より曾てない、猛獣(もうじゅう)獅子(しし)の群も一朝神の気吹(いぶき)に遭(あ)へば脆(もろ)く四散す」と、畢竟〔ひつきよう〕人の栄枯盛衰は自己の行為の結果に由るとするものにして今や艱難の極に在るヨブにはこれ己の不義を責めらるゝの言であつて、傷所に刺さるゝ第二針、歎きの上の歎き、実に堪え難き痛棒である、誠に無慈悲なる慰である。十二節(四章)以下は世界文学に有名なるエリパズの幽霊談と称せらるゝものにして或人は沙翁(シェクスピア)のマクベス劇の幽霊も斯くまで凄(すご)くはないと云つた程である、「人いかで神より正義(ただsひ)からんや」、今日の吾等には已(すで)に屡々(しばしば)之を聞きしが故に至つて平凡の語ではあるが、人生の奥義を斯(かか)る物凄き時に聞かされて生涯深く心魂に入るのである、同じ真理も之を聞く場合によりて深く心に徹するのである。此語ヨブには稍慰〔やや〕となるも又神に対して呟〔つぶや〕くの資格なしとの伏線になるのである。要するにエリパズの根本精神は不義には必ず禍あり、義者には必ず幸福が報ゐらるゝと言ふにあるのである。ヨブも亦曾ては斯く信ぜしも今や自身が此災難〔わざわい〕に遭ふては解からなくなつた、勿論ヨブは自己を以て完全なるものとは思はぬがさりとて己が行為の罰として斯る災難が臨まふとは思はれぬ。単に友人に責めらるゝのみに非ずして自己の半分と友人とに責めらるゝのである、外には友人に責められ内に自己の謀叛(むほん)があるのである、友人に対するは寧(むし)ろ易けれども内なる自己の征服が至難である。曾ては三人のものと同じ信仰を語つた事であらふが今は境遇一変して信仰も亦同からず、三人のものはそれ〲の経験と学識と元気とにより各方面より好意を以てヨブに迫り、其身に臨みし災難を以て罪の確証となして懺悔(ざんげ)を強(し)ゐんとするのである。ヨブは今大難の中に在りて神は見へず藁一筋(わらひとすじ)の扶けにも縋(すが)る恰(あたか)も繊(かよは)き少女が骨肉親戚の迫害の中に危く所信を保つが如きつらき場合である。ヨブにして此所に己が罪を懺悔(ざんげ)して神に謝すれば友人と説は合ふなれどもヨブにはそれは出来ない、ヨブの信ずる所は災難は神が不義の罰として下
すものではなくて原因は他に有るのである、此所に劇的の興味がある。ヨブは今言ひ難き苦痛の中に其原因を知る能はずして苦んで居るが、神は彼を憎むためではなくて之を救はんとして秘密の中に災難を与え給ふのである。
神は不公平なるものであらふ乎、或は人を翻弄〔ほんろう〕さるゝのであらふ乎〔か〕、天道果して是耶非耶(ぜかひか)の疑問を抱くもの多き時に茲に約百記のあるありて吾等に大なる慰を供するのである。
 
約百記従三章至三十一章(六月十三日)
ヨブ対三人の議論は三回繰り返されて居る、ヨブ語りエリパズ答へ、ヨブ語りビルダデ論じ、ヨブ論ずればゾパル答へ、ヨブ述ぶる毎〔ごと〕に友人はかはる(がわる)語る、斯(か)くして友人は三回宛、ヨブは九回に亘(わた)りて論議した。ヨブの議論は漸次(しだいに)に強烈となりて流石(さすが)の三人も遂には辞〔ことば〕なきに至り、最後にはビルダデが第二十五章に於ける短かき答へをなせし外答ふる事が出来なくなつた、答へざれば負けとなる故に止〔や〕むを得ず答へたのである。ヨブは猶(なお)も之に答へて友人の言を待ちしも遂に何等の答がなかつたゝめ二十七章以下の感情有りのまゝの独語をなした、これヨブ対三人及ヨブの独語の大意である。論ずる所は長けれども其主意は明瞭である、三友人は神は義(ただ)しきが故に不義者を罰するには不幸を以てし、義しきものには幸福を恵むものなればヨブの身に臨みし痛ましき災難を以て彼自身の不義悪行の招く所となし、之を隠さず言ひ表はして神の赦〔ゆるし〕を受けよと言ふのである。流石(さすが)に教育あり情誼〔じようぎ〕に厚き友なれば初めには是を露骨に述べず、神学を述べ歴史を語りてヨブの悟るを待つた。然るにヨブは悟る所なく此艱難を以て罰せらるべき己が罪を認めなんだ故に第二回目は攻撃が強くなりて肉迫したるも猶ほ罪を
言い表はさなかつたゝめ最後に老人エリパズは思ひ切つて単刀直入「なんぢの悪大なるに非ずや、汝の罪はきはまり無し」(二十二章五節以下)云々と正面より其罪を数へ上げて悔改を迫つたのである、無慈悲極まる語なれども初めより之を言つたのではなく最後に止むを得ずして言つたのである、而も好意を以てゞある、世間に此種の友人多く吾等も亦経験せし所である。ヨブの身に臨みし艱難を以て罪の確証となして責むる事は今日の裁判法よ
りしては容(ゆる)す可らざる所なれども神の賞罰を斯の如く信ずるものゝ立場としては当然である。神癒を信ずるものゝ如きも又此類〔このたぐい〕であつて、疾病は不義を懲(こら)すための刑罰なれば不義ありて其身に疾病あり、不義を改むれば病(やまひ)癒ゆと言ふので極めて簡短に説明は付くと雖ども、人生は然く簡短に説き去り得可きものではない、艱難には更らに深遠なる意味があるとは約百記の記者の言いたき所であつて、ヨブの答に深き味があるのである。三人の言ふ所は条理整然主義一貫、議論としては堂々たるものなるに反して、ヨブの言ふ所は支離滅裂(しりめつれつ)、感情に走りて或は友人を責め、神を責め、或は己が罪を歎(なげ)くかと思へば又罪を犯さずと言ひ、友を憤るかと思へば之に頼(たよ)るが如き語をなし論旨の乱れたる到底三人の議論堂々たるに比す可くもない、而かも此価値なき議論が万世に伝はりて力ある事は吾等に何を教ゆるであらふか。此世に於て条理の整つた議論に最も力があるのではなく、議論に勝つ事は必ずしも最後の勝利ではない、議論は立たず対者に説き伏せられて散々に敗らるゝとも而も負けない場合があるのである。十六世紀の中頃ルーテルに由りて唱へられし宗教改革の気運が漸〔ようや〕く盛んならんとするや羅馬〔ローマ〕教会にては博学強記の雄弁家エツクをしてライプチヒ議場にルーテルを論破せしめ、以て事は終つたと思ふた、然るに何ぞ計らん、真理と良心の上に立ちしルーテルは議論に負けても信仰には負けなかつた、勝利は遂にルーテルに帰した、博学や雄弁や茲に於てか誠に憐む可き者である。約百記の記者はよく此事を解したる劇的技倆に富みし者であつた事が思はれる。パウロが猶太〔ユダヤ〕教を駁(ばく)せし羅馬〔ロマ〕書や加拉太〔ガラテヤ〕書に於ける議論も殆〔ほと〕んど議論にはならぬ者であるとは斯る事に熟達せる頭脳を有〔も〕つたる人の等しく云ふ所なれども世界は之に由りて動きパウロは大なる捷利〔しようり〕を博したのである。我等は斯る事実をヨブ対三人の議論に照して見て一入(ひとしお)深き興味を覚ゆるのである。今日の語を以て言へばヨブは実験家にて三人は神学者である、ヨブは精神を語り、三人は智識を語つたのである。今日の神学者が端然と構へて宗教家を以て自から任じ、若し深き苦痛に堪え兼ねたる老翁又は老媼ありて彼等を訪ふて教を乞〔こ〕ふあれば彼等は言ふであらう、アウガスチン曰〔いわ〕く、カント曰く、聖書に斯くありと、而かも彼等は少しも其苦痛を慰める事が出来ないのである、学校にて学びし神学は以て人生の深き疑問を解くには足りないのである。此席に在る一少年と雖ども猶オツクスフオード大学にてもケンブリツヂ大学にても学ぶ事の出来ない事を人生の実験によりて学ぶのである、去れば如何なる神学者にても吾智識以外のものは世にないと言ふ事は出来ない、殊に人と神との関係に至りては彼等の解し得ない事が多い、これ神学を修めないものゝ力とする所にて、神学者の大に慎む可き所である。今日吾国に送られし外国宣教師の如き、彼等の多数は或は神学には通ずる所あらんも人生の実験に学ぶ所極めて浅きが故に、今日の日本のヨブの心になれない、随〔したがつ〕歴史を異にし、生育情性を異にする日本人の教化が、彼等に出来やう筈がないのである。エリパズ、ビルダデ、ゾパルは神学者にてヨブは平信徒である、平信徒たるヨブは救を神学者に求めんとすればあはれ砂漠に於ける渓川(たにがわ)の流の如く(六章十五節)空しく消へて何の慰藉〔いしや〕をも得ずして失望あるのみである、「誠に汝等はみな憐れなる慰人(なぐさめびと)なるかな」(十六章二節)と言はざるを得ない。「わが朋友(とも)は我を嘲〔あざ〕けれども我目は神にむかひて涙を注ぐ」(同二十節) 汝等に訴へずして神に訴ふるの意、千万無量の想を述べたる一語である、「わが友よ汝等我を恤(あわ)れめ、我を恤(あわ)れめ、神の手われを撃てり」(十九章二十一節) 我を責むる友に対して憤(いか)り詈〔ののし〕るのみに非ずして同情を要求するもこれ又友人には解ら
ぬ事にて彼等は「汝は宜〔よろ〕しく悔改めよ」と言ふの外はないのである、論理家は矛盾(むじゅん)せる語を執(と)つて「汝の態度を鮮明にせよ」と言いたいであらふが、併〔しか〕しこれ真人ヨブの詐(いつは)らざる告白である。神学者の言ふ所は条理立ちてよく神学に応(かんあ)ふては居るけれども同一事を繰り返すに止まりて霊性に些(すこし)の進歩がなく依然として陳腐(ちんぷ)である。ヨブは大河の如く迂余曲折(うよきよくせつ)時に右に寄り左に曲る観はあれども、愈々〔いよいよ〕流れて愈々〔いよいよ〕清く次第に神に近づき、責めらるれば責めらるゝ程光明に向ふ、暗黒の波に漂(ただよ)ふ時にも前途に光明を失はない、茲にも知識の人と実験の人の対照が見らるゝのである。艱難の中に友に責められ苦み論じつゝ漸く光明を認めて議論は十九章に至りて其絶頂に達するのである、世に第十九章は約百記の分水嶺と唱へらる、これより後のヨブの生涯は苦しき中にも判然と光明を認め、連続せる勝利の進軍である、都を遥かに望みての旅行である。
 
我れ知る我を贖(あがな)ふものは活(い)く、後の日に彼かならず地の上に立たん、わがこの皮この身の朽(くち)はてん後我れ肉を離れて神を見ん(十九章二十五、六節)
彼はキリスト前千余年のものなれども既に明かにキリストを望み見しものである、彼の生涯は仮令艱難の中に終るとも彼は不幸の者ではない。実に信仰の進歩には高き価を要する、よき書物を読みて美〔うる〕はしき感情は得らるゝも信仰は書籍よりは得られない。ヨブは殆んど堪え難き代価を払ふて此所に一段信仰の進歩を得たのである。
今は解するに難き吾身に臨みし艱難に付ても何れの日か肉を離れて神を見奉り神御自身が説明して下さる時があるであらふと。ヨブは激しき苦痛の実験によりて止むを得ずして此結論に達したのである、此確信が実に非常の力である、此確信に達して艱難も苦痛も堪ゆる事の出来ないものではない。彼の三人の友人は立派なる議論を繰り返すに止まりて此信仰に達する事は出来なんだ。ヨブは最早(もはや)彼等の慰藉を要さない、議論に勝ちしに非ず、神を認めて勝つたのである。此精神の高潮に達したる約百記第十九章は実に荘美絶大の大文章である。此所に峠(とうげ)を越へて後の約百記の文章は一段の美はしさを加へた、第二十九章のエリパズの攻撃に対して間接に答ふるヨブの独語の如き別けても美はしくある。
 
約百記従三十二章至四十一章(六月二十日)
エリフの言(三十二章より三十七章)は約百記中最も興味なしと称せらるゝものであつて、其中に三四の貴き言語がないではないが、然し約百記全体が荘厳優雅の言語を以て充たされて居るに比較して如何にも平凡であり、其前後との関係が薄くして其懸隔(けんかく)が甚しい事より推して或人はこれは約百記々者の筆に成つたのではなく後人の加へたものであると言ふ。然しながら此中に約百記中の大切なるものがあるのである。エリフは抑〔そもそ〕も如何なる人であるか、彼は名もなき一青年であつて今までヨブと三人との議論を立ち聞きして居つたが、三人がヨブに言いまくられて答ふる事が出来なくなり、ヨブが論壇を独占せるを見て黙視するに堪えず飛び入り演説とも言ふ可きものをなしたのであつて、此事其れ自身が既に大なる興味のある事である。彼は今の人が老人を軽蔑(けいべつ)する如きでなく老年者に対し大なる尊敬を払ひ、己れ年少の故を以て彼等の議論には満腹の不満を抱きつゝも謙遜して今まで沈黙を守り居りしも、ヨブが己を正義(ただ)しとして下らず、三人のものはヨブの災難を証拠として理不尽に彼を責むるを見て不平抑(おさ)え難く遂に沈黙は破れて言ふたのである。
我れ意(おも)へらく日を重ねたるもの宜しく言を出すべし、年を積みたる者宜しく智慧を教ふべしと、但し人の衷(うち)には霊あり、全能者の気息(いき)人に聡明(さとり)を与ふ、大なる人すべて智慧あるに非ず、老たる者すべて道理に明白(あきらか)なるに非ず云々(三十二章七節以下)
と、而して其述る所の他の三人者と異なる所は彼が徹頭徹尾ヨブに対して同情を持ち其弁護者を以て自から任じて居る事である、三人の人生観は誤れるもので災難は決して彼等の言ふが如くに解す可きではなく、これ神が人をして其弱きを知らしめ、心に傲慢(たかぶり)の生ずる時に之を除かんための神の警告であるとはエリフの言ふ所であつた、人は動(やや)もすれば己の弱きを忘れて自己に頼り自己に誇らんとするものにて之を放任すれば遂(つい)にその霊魂を失ふに至る、故に神は先〔ま〕づ災難を以て警告を下し給ふのである。三人の者は此意味深き災難を余りに簡短に説き去りて貴き真理を逸するものである。善人にも亦災難はあるのである。是れ更に大なる災難を免れしめんための警告であれば善人たる事は災難の予防とはならないのである。深く学を修めたとも思はれぬ未だ経験浅き無名の一青年に此考を起さしめたる事は実に味ある事にて、同情といふものが人に最上の智識を与ふる事が知らるゝのである、学者の探り得ざる真理は屡々(しばしば)同情に富みたる無名のつまらなきものによつて発見さるゝのである。エリフは元より学者でもなく実験家でもないが同情の心よりして此浄(きよ)き真理を酌(く)み得たのである。約百記の記者が此真理を神学者に言はしめずして無名の青年エリフに言はしめた事は偶(たまた)ま以て記者の思想を窺(うかが)ひ知る可きである。吾等が盗難に遭ふや実に不快にて一の不幸事には相違ないが、僅〔わず〕かのものを盗み去られし事が更に大なる財産を盗まれざらんための警告と解すれば自(みず)から慰むるを得るのである、疾病(やまい)亦無益の入費と時とを費して苦む事誠に好もしからぬ事であるが、これ亦生命を失はざらん為の警告となりて摂生(せっせい)に注意するに至らば疾病も亦感謝す可きである。凡そ人の不幸中の最大不幸、災難中の最大災難は実に神を不必要に思ふ考の起る事である、人生是に勝さる災難はない、而して此世の総〔すべ〕ての災難といふ災難は実に此大なる災難に遭はざらんための警告である。
以上はエリフが災難に対する第一の解釈である、而して第二の解釈は第一の如くに解釈が出来なくも吾等人間は神のなさる事を総〔すべ〕て知り尽す事は出来ぬと言ふのである。
彼その行ふところの理由(ことわり)を示したまはずとて汝かれにむかひて弁争(いいあら)そふは何ぞや、まことに神は一度二度と告示したまふなれど人これを暁(さと)らざるなり(三十三章十三、四節)以下同章末節に至るまではエリフの有名なる語であつて読者は宜しく反覆誦読して深く其意味を味ふ可きである。人は多く現世の幸と不幸との理由を直ちに知らんとして、永遠者の折角の深意を余りに簡短に浅薄に解き去らんとするのである。エリフの語は予言的であつて半分は解るやうで半分は又解らぬやうであるが、是をキリス
ト出現の予言と見て解するに難くないのである。一箇(ひとり)の使者(三十三章二十三節)ありて(彼自身に擬(なぞら)へて言つたのであらふ)神と人との間に立ち仲保者となりて両者の間の平和を計らんには人の心に平和生じ、神の憐憫(あわれみ)によりて神と人とが和(やわら)ぐ事が出来るであらふ、然し乍ら実はこれ人間には出来ない事にて真の仲保者は神でなければならぬと。エリフは茲に自身を語りつゝ心霊の奥に囁(さゝや)く他の仲保者を予告するものである。人煩悶〔はんもん〕に陥るや如何なる道理も哲学も之を如何ともする事が出来ず、是を解くものはキリストの外にはない。ヨブの苦痛を解釈せん
ために全世界の智識を要するなれどもキリストは更に大なる苦痛を嘗(な)められたのである、一箇(ひとり)の使者と云ふは実に彼である、畢竟(つまり)ヨブの苦痛を解釈せんとするはキリストの更に大なる苦痛を解釈せんとすることになる、然れば吾等はヨブの苦痛が解(わか)らずしてキリストの苦痛を解(わか)る事は出来ず、キリストの苦痛が解(わか)りてヨブの苦痛を解るに難くないのである。
斯くてエリフは茲(ここ)に彼の言ふ能(あた)はざる所を語りつゝあるのである。要するに苦痛の第一の理由は更に大なる苦痛を免るゝためにて、第二は神のなさる所を総て知り尽す事は出来ない事を知るためである。是を容易(たやす)く解(わか)るために一の例を以てせんに、此所(ここもと)に一人の父の許に五人の兄弟ありとせん乎、其第四子は殊に父の寵愛〔ちようあい〕受けつゝありしが或日父は突然彼を激しく折檻(せつかん)した、何の理由に由てゞあるか解らぬ、三兄は共に弟を責めて平素特別に寵愛されし父に斯く折檻さるゝには彼が何か悪い事をなしたためであらふ故に早く之を謝して父の許を受けよと交〔こもご〕も言ふて彼を諭せしも、本人は身に欠点ありといへばあれども斯く折檻さるゝ程の悪事を為したる覚えなきが故に己れの無罪を弁じて止まざりしかば、兄たちは父より折檻された事を証拠として承知せなかつた、そこで年若き末弟が出て小兄に対する大なる同情を以て之を弁護した、彼は言ふたのである、父の折檻は小兄が悪事をなしたためではなくて彼が父の愛に心を許し油断(ゆだん)して悪事を犯す様の事のなからんためであらふ又仮令そうでないにしても父の心の程は尽〔ことごと〕く知る事は出来ない、故に之を以て直ちに小兄が悪事をなしたと云ふ証拠とする事は出来ないと、斯くて末弟は年は若けれども其言ふ所誠に同情ある語にて長兄等の言ふ所よりは遥かに真理に近く、随て稍(やや)小兄を慰むるを得しと雖ども猶ほ父の折檻の悉く説明がついた訳(わけ)ではなく、故に彼れ小兄は止むを得ず沈黙はせしものゝ元より満足は出来なかつたのである。此所に於て父自身現はれ五人のものを並(なら)べて殊に第四子(ヨブ)に向つて言ひ給ふたのである(三十八章)、これ実に偉大の言である、父は言ふたのである、我れ第一に汝に問はん、汝は人生宇宙万事が尽く解ると思ふか、第二に仮令これが解(わか)るとしても汝に宇宙万物の主宰を委任せばこれに当ることが出来ると思ふかと。而して神御自身より斯く言はれてヨブは全く閉口して一語もなかつた。余は青年時代に幾度(いくたび)か約百記を繰り返し読んで思つた、ヨブの友人の説明は全く説明とはならぬ、エリフの説明は半説明に過ぎぬ、故に、最後に神御自身が現はれて悉く説明して下される事であらうと、然るに神は少しも説明して下されずこれ又空しき渓川の流であつた。然しヨブは神の説明に満足したのではない、目を以て神を見(四十二章五節)て満足したのである。三兄の言ふ所には少しも服せず、末弟の同情あり真理に近き言には稍〔やや〕服せしも勿論満足は出来なかつたが、最後に父が現はれて説明はしないが其威厳ある顔を見せ給ひしに由りそれで満足したのである。然り目に見る事である、これでなければ諸君の患難を如何に説明せんとするとも到底説明する事は出来ない、説明には……或説明には服するも或説明には服さないが、十字架の上に敵のために祈り給ひしイエスを神と知るならば万事は解りて又言はじである。これ基督教の基督教たる所以〔ゆえん〕である、若し仏教であつたならば斯くは結ばないことであらう、仏陀出でゝ微(び)に入り細(さい)に亘(わた)りて説明を加へて結ぶであらふ、基督教にては結ぶに説明を以てせずして信仰を以てするのである。神学者は其豊富なる神学を以て愈々ヨブを苦め、エリフは同情を以て少しく彼を慰むるを得しと雖も、神は最後に御自身を示し給ひて彼を満足せしめ給ふた。若し説明ありとすれば最初の一、二章にあるのである。これは天上にあつた事にて地上の吾等は其由を窺(うかが)ひ知る事は出来ぬ。神は説明を以て人類の苦痛を除かんとはされない、説明は如何に巧妙を極め委曲を尽すとも遂に説明であつて人の苦痛を如何ともする事は出来ない、人生苦痛の解釈はイエスキリストに由りて神に接する事の唯一あるのみである。
 
 
 
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