内村鑑三 ヨブ記の研究ー2 第2講 ヨブの平生と彼に臨みし患難

第二講ヨブの平生と彼に臨みし患難 
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 約百記第一章二章の研究
(五月二日)
○約百(ヨブ)記は今日の語を以てせば劇詩(Dramatic Poetry)と名づくべく又叙事詩(Epic)と称すべきものである、劇詩と見るも舞台に上すべき性質のものではない、希臘〔ギリシア〕人の如〔ごと〕くに風景的観念に豊かならぬ猶太〔ユダヤ〕人の作なれば之を舞台に演ずる時は簡単にして無味なるを免かれぬ、ヨブの平生、天国に於ける神とサタンとの問答、ヨブに臨みし災禍〔ざんかい〕、三友人の来訪、ヨブ対三友人の長い論争、エリフの仲裁、最後にヱホバ御自身の垂訓とヨブの慚改〔ざんかい〕感謝―これにて大団円となるのである、これでは劇としては余りに無味である、故に之は舞台に上すために書いたものでないことは明かである、併〔しか〕し劇作に甚だ乏しき猶太〔ユダヤ〕文学のことなれば、約百記雅歌等を其中に加ふるも可〔か〕なりと思ふ。
○ヨブは実在の人物か想像の人物かは一の問題である、そして余はヨブを実在の人物と信ずる者である、その本
名がヨブなりしか如何〔どうか〕は不明なるも少くとも此人は実際に存し此人の味ひし経験は事実的に起りしものと余は認めるのである、慥〔たし〕かに約百記は或確実なる事実を根拠とせるものである、もとより斯〔かか〕る作品の常として其光景、その対話等に著者独特の修飾あるは当然ながら此作が或事実の詩的表現であることは疑ふべくもない、而〔しか〕して此作の主人公と著者とは別人なるべきも、著者は謂〔いわ〕ゆる文学者の列に加へらるべき人に非ずして、主人公ヨブと似たる経験を持ちし所の敬虔摯実〔けいけんしじつ〕なる人なりしは明かである、然〔しか〕らずしては斯る大作を生み出し得べき筈〔はず〕ない、
神を畏れ悪に遠ざかりしヨブの実伝を、ヨブと等しき実験を持てる或人が自己の実験に照し又詩的外衣に包みて
提示せしもの、これ即ち約百記である、故に吾人はヨブに対して敬意を表すると同時に著者に対しても亦〔また〕同一の敬意を払はねばならぬのである。
○之より本文に移らう。一章一節に「ウヅの地にヨブと名くる人あり、其為人(ひととなり)完〔まつた〕く且〔かつ〕正しくして神を畏れ悪に遠ざかる」とある、「為人(ひととなり)全く」とあるも是れもとより人より見ての完全であつて神より見ての完全ではない、完全の程度は見る人の目に依て異なる、日本にて品行方正位の程度を以て比較的完全と見るは低き見方である、
古昔(むかし)の猶太(ユダヤ)人の謂(いわ)ゆる完全は絶対的完全ならずとするも、今日の我国の如きよりは遥かに高き道徳的標準に照らしての完全であるに注意すべきである、第一章に表れたるヨブ、殊に三十一章に表れたる彼を見れば彼が如何なる程度に於て完全なりしかを知り得る、かゝる人が今日我等の間にあらば社会は之を完き人と見、教会は之を完全なる信者と見るであらう、併し乍〔なが〕ら聖書の立場より見ればヨブの完全は絶対の完全にあらず、更に完全なるを要する所の完全であつたのである、これ約百記に現はれたる悲劇の生ずる所以〔ゆえん〕である。
 
○此完全なるヨブの生涯も亦完全であつた、「その生める者は男の子七人、女の子三人」と云ふ完全なる家庭であつた、「その所有物(もちもの)は羊七千、駱駝〔らくだ〕三千、牛五百耦(くびき)、牝驢馬(めろば)五百、僕も夥(おびただ)しくあり」と云ふほどの富の程度であつた、そして其家庭は夫婦兄弟姉妹相和して平和漲〔みなぎ〕るの状態にあり、特にヨブが其子の教育に於て誤らず、祭壇を設け自〔みずか〕ら祭司の職を取りて子女の赦罪のため燔祭〔はんさい〕を献ぐる如き凡〔すべ〕てが完全の状態であつた、即ち富足り家栄え家訓行はれ敬神の念盛なりと云ふべき有様であつたのである。
 
○試みにヨブを今日の社会に立たせて見よ、その富は何百万、外に出でゝは多くの有力なる会社の社長又は重役
たり、内に在りては子女の教育に於て全く、牧師の任に当りて過〔あやま〕たざる人たるであらう、不幸にして我国に此種の人は殆〔ほと〕んどない、富者は多けれども神を畏るるの信仰なきは勿論、我生みし子をすら治め得ざるもの比々皆然りである、まして家に在て牧師の職を取り得る者の如きは到底見出し得ぬ処である、併し是れ世に皆無の事象ではない、欧米諸国に於ては少数ながら此種の人が実存するのである、ヨブの如き人を今日我国に於て見ざる事は必しもヨブが架空の人物たる証左とはならない、併し乍らヨブの完全は神より見ての完全ではない更に大なる完全に彼を導くべく大災禍は続々として彼を襲つたのである、かくてヨブの悲歎起る、しかし是れ同時に神の恩恵の現れである。
 
○次に問題となるのはヱホバ対サタンの問答である、或時サタン、ヱホバの前に現はれ、ヱホバ先づサタンに向
つて語りサタン之に答へ斯くてヨブに災禍(わざわひ)は臨むに至つたのである、一章及び二章の此対話は其表面の意味に於ては甚だ明瞭であつて何等の註解をも要さないのである、しかし今日の人には斯る事果して在り得るやとの疑問が起るのである、人類に下る災禍は果してサタンが神の許可を得て起こす所のものなるか―これ今日の人の疑問とする処である、彼等は言ふ凡ての疾病は神より刑罰として降りしものにあらず、其他の禍にもそれ〲天然的又は人間的原因あり、之を天に於て神の定め給ひし所と見るは誤れりと。
 
○併し乍ら天上に於けるヱホバ対サタンの対話の実否如何は姑(しばら)く別として、吾人基督者の実験に訴ふる時は此記事が其究竟〔くつきよう、おあつらえ向き〕的意味に於て至当なるを知るのである、此記事を見るにヱホバ対サタンの対話は偶然に発せしものではない、ヱホバより先づサタンに向つて「汝心を用ひて我僕ヨブを観しや、彼の如く完く且正しくして神を畏れ悪に遠ざかる人世に非〔あら〕ざるなり」と言ひかけたのである、ヨブの清浄はヱホバの充分認め且喜べるところ、故にヱホバより先づ問題を提出したのである、これヨブに起りし災禍が其究竟の原因をヱホバに置くことを示したのである、基督者は自己に臨みし一切の事件が聖意に基づくことを其実験の上に認むるものである、「凡ての事は神の旨〔みむね〕に依りて召(まね)かれたる神を愛する者のために悉〔ことごと〕く働きて益をなすを我等は知れり」(ロマ書八の二十八)とのパウロの言は即ち基督者の実験である、
余自身について言へば、病に罹〔かか〕りし時の如き之を神より直接に来りしものとは思はず他の原因が明かに認めらるれど、後に回顧すれば其中に深き聖意を認めざるを得ないのである。
 
○然り神を信ずる者に於ては自己の生涯に臨みし凡ての出来事に必ず道徳的価値があるのである、そして宇宙人
生の凡ての出来事は其究竟(くっきょう、おあつらいむき)的原因を聖旨に置くと見るを正しとするのである、然り万事万物の本源を握る者は神の御手である、これ近代人と雖も必しも否認せんと欲する所ではあるまい、直接の原因と見ると間接の原因と見るとの差別こそあれ、原因の原因に溯〔さかのぼ〕れば凡ての災禍の源は約百記の茲〔ここ〕に記す所に外ならぬのである、即ち地に起る凡ての出来事は源を天に置くのである、近時の心理学が漸〔ようや〕く此辺に着目して有形世界と神秘世界の関係に想到せし如きは一段の進歩と称すべきではあるが、然し是れ古〔いにしえ〕より神を信ずる者の実験し来つた所に過ぎぬのである、この古き実験を今に至つて心理学者が初て研究の主題としたのである。
 
○かくてヱホバとサタンとの対話の結果サタンは神の許可を得て愈〔いよい〕よヨブに災を下すのである、その災は前後二回に分たる、前の災は彼の所有物に関するもの、後の災は彼の生命の脅威(きょうい)である、そして前の災は四回に彼に臨んだ、其第一回にはシバ人のために牛と牝驢馬(めろば)が奪はれ少者(わかもの)が殺された、第二回には「神の火天より降りて羊及び少者を焚(や)きて滅ぼ」した、第三回にはカルデヤ人が駱駝〔らくだ〕を奪ひ少者を殺した、第四回には大風のために子女十人悉く死した、かく彼の所有物悉く失せしも彼は「我れ裸にて母の胎を出でたり又裸にて彼処〔かしこ〕に帰らん、ヱホバ与へヱホバ取り給ふ、ヱホバの御名は讃〔ほ〕むべきかな」と言ひて「此事に於てヨブは全く罪を犯さず神に向ひて愚なる事を言は」なかつた、忍耐深きヨブよ。
 
○第二章に進みてはヱホバとサタンとは第二回目の対話に入るのである、ヱホバはヨブを称揚(しょうよう)しサタンは之に対して言ふ「皮をもて皮に換ふるなれば人は其一切の所有物(もちもの)をもて己の生命に換ふべし、されど今汝の手を伸べて彼の骨と肉とを撃ち給へ、さらば必ず汝の顔に向ひて汝を詛〔のろ〕はん」と、皮をもて皮に換ふとは古い諺〔ことわざ〕であつて其意味は不明である、しかし多分A・B・デーヸッドソン氏の言ふ如く、肉を以て肉に換ふと云ふと等しく、人は己が生命を全ふせんためには骨肉の生命を犠牲に供するをも厭〔いと〕はぬとの意であらう、故にサタンの此語は「人は己が生命を全うせんためには何物をも犠牲にせんとする者にして、生命は彼の最貴重物なれば若〔も〕し神ヨブの生命を脅(おびやか)すあらば彼必ず神を詛はん」と云ふ意味に解すべきものであらう、かくてサタンはヱホバの許しを得てヨブを撃ちヨブは癩病の襲ふところとなつたのである、茲に於てヨブは自己生命の脅威を感ずるに至つたのである是れ後なる災である。
 
○サタンの此申出は人間を譏(そし)り又神を譏(そし)りしものである、先には云ふ「ヨブ豈〔あに〕求むる所なくして神を畏れんや……されど汝の手を伸べて彼の一切の所有物を撃ち給へ、さらば必ず汝の顔に向ひて汝を詛はん」(一の九―十一)と、後には言ふ「彼の骨と肉とを撃ち給へ、さらば汝の顔に向ひて汝を詛はん」と、けだし神を畏るゝ如きは要するに物質的恩恵を希求する人間の賎しき動機より発せしもの、故に物を失ひ生命を脅〔おびやか〕さるゝや人は必ず不信に墜つと、これサタンの人間観である、而して人に対するサタンの此譏(そし)りは神に対する譏(そし)りをも含むのである、即ち人類なるものは利慾中心の生物にして決して善そのものゝために善を求むる如きことなしと主張して、この人間を造りし神自身をも利慾的存在者と貶(けな)したのである、サタンは斯く信じサタンの子等亦かく信ず、かゝる場合に於いて神はサタンに対し又此世に群生する彼の子供らに対して「否〔いな〕! 世には利慾を離れての信仰あり、善のために善を追求する信仰あり、神は物質的恩恵の故に崇〔あが〕むべき者にあらず、神は神御自身の故に崇〔あが〕むべきものなり」との事を示す要がある、之を立証せんためにヨブは用ひられたのである、我等今日の基督者も亦此真理を証明せんために奉仕すべきである、自己の生涯を以て自己の信仰の物質を超越せる至醇(しじゅん)なるものなることを立証すべきである、前後数回の大災禍に会して静かに之に堪へて尚〔なお〕信仰の上に立ちしヨブは我等の最上の模範である。
 
○しかも遂〔つい〕に最大の災がヨブに臨むに至つた、そは彼の妻の離反である、「時にその妻彼に言ひけるは汝は尚も己を完うして自ら堅くするや神を詛ひて死ぬるに如〔し〕かず」と二章九節は語る、人生に禍多し、而もヨブの如き清き家庭を営める人に於ては妻の離反は最大の禍であると云ふべきである、産を悉く失ふも宜しい、子を悉く失ふも或は堪へ得やう、悪疾に襲はるゝも亦忍び得やう、しかし寂しき人生の旅路に於ける唯一の伴侶(とも)たる妻が自ら信仰を棄てしのみならず進んで信仰放棄を勧むるに会して彼の苦痛は絶頂に達したのである、我等は深き同情を彼に表さねばならぬ、併し一方またヨブの妻を以て悪しき女となすべきではない、彼女は普通の婦人の堪へ難きを堪へ来つたのである、財産を失ひ地位を失ひ子女を悉く奪はれて彼女は尚夫と信仰を共にして来た、最後に夫に不治の悪疾臨むに至つて遂に信仰を棄つるに至つたのである、されば彼女に対しても亦深き同情を表さねばならぬ、財産の一部を失ひてすら夫に信仰の放棄を勧むる謂〔いわ〕ゆる基督教婦人が此世には少なくない、彼等に比してヨブの妻の優〔すぐ〕れること幾許(いくばく)ぞ、さり乍ら彼女も遂にサタンの罟(わな)に陥りてヨブは全く孤独の人となつた、茫々たる大宇宙にたゞ一人の孤独! その寂寥〔せきりよう〕、その苦痛果して如何であつたらうか、察するに余りありと云ふべきである。
 
○此事次第に世に知れわたりて遂に遠隔の地にあるヨブの三友人の耳に達した、通信機関不充分なりし当時のこ
とゝて其間早くも一年は経過したと見ねばならぬ、その間に此処〔ここ〕に記されざる多くの苦痛がヨブに在りしことは後章に至つて知れるのである、産を失ひ悪疾を得て今はヨブを信ずる者世になく、今までの敬慕者も嘲笑(あざける)者と変り、友として頼るべき者もなき悲境に彼は陥つたのである、然るに茲に三人の良き友があつた、テマン人エリパズ、シュヒ人ビルダデ、ナアマ人ゾパルがそれである、彼等は互に離れ居りしもヨブの災禍を伝へ聞きて或時某所に会して相談の結果共にヨブを訪ふ事となつた、ヨブと此三人とは其社会的地位、その学識、その信仰(霊的経験)を等しくしてゐた、彼等は沙漠の海数百哩〔マイル〕を遠しとせずして来たのである、各々従者を随へ、又友情に厚き人々のことゝて多くの見舞品などを携へ、沙漠の舟と称〔よ〕ばるゝ駱駝に乗りて急ぎ来つたのであらう、沙漠の旅は夜に於て為すものなれば、或は明月煌々〔こうこう〕たるの夕、或は星斗爛干〔らんかん〕たるの夜、一隊の隊旅(キャラバン)が香物(こうもの)の薫りを風に漂はせながら悩める友を見舞はんと鈴打ち鳴らして進む光景は実に絶好の画題である、そして今日まで度々画題として用ひられたのである、何れにせよヨブに三人の真の友ありて世が彼を棄つるも彼を棄てなかつたのである、誠に欲(ほ)しきは真の友である、かくてヨブは全く不幸ではなかつたのである。
 
○やがてエリパズ、ビルダデ、ゾパルの三人はウヅの地に来た、そしてヨブの所に来り見れば往日(さき)の繁栄、往日(さき)の家庭、往日の貴き風采悉く失せて今は見る蔭もなく、身は足の跖(うら)り頂(いただき)まで悪しき腫物(はれもの〕に悩み土瓦(やきもの)の砕片(くだけ)を以て身を掻きつゝ灰の中に坐する有様であつた、三友人の驚き果して如何〔いかん〕、「目を挙げて遥かに見しに其ヨブなるを見識(みし)り難き程なりければ斉(ひと)しく声をあげて泣き、各々おのれの外衣(うわぎ)を裂き、天に向ひて塵を撒(ま)きて己の頭の上に散らし、乃〔すなわ〕ち七日七夜彼れと共に地に坐しゐて一言も彼に言ひかくる者なかりき」と二章の末段は語るのである。
 
○かくて友人の来訪に会してヨブの心にも亦一変動が起つたのである、患難は其当時に於ては堪へ得る、又敵や
無情の人に対しては忍耐を持続し得る、しかし乍ら我心を知る友人と相会する時涙は初て其堰〔せき〕を破つて出で来るのである、患難に於ける此心理を知りて初て約百記の構想を知り得るのである、三友人はヨブの此心理を察し得ざりし故に真正面より彼の論理に向つて突撃したのである、かくて三章以下に記さるゝヨブ対三友人の議論は始まるのである。