内村鑑三 ヨブ記の概要 第1,2章

約百(ヨブ)記の概要
 
大正4910  『聖書之研究』182    署名内村鑑三    中田信蔵記
 
約百記一、二章(五月三十日)
内村生曰〔い〕ふ、此稿は前号に掲げし約百記研究の講演を別人の手を以て筆記した者である、約百記の如〔ごと〕き大著述を学ばんと欲するに方〔あたつ〕ては、之を幾回繰返し、幾多の方面より之を観〔み〕るも損失は無いのである、中田君の筆記に由りて余は読者が新たに大に得る所あるを疑はない。
聖書中人が歓喜(よろこび)に在りて如何(いか)に処す可(べ)きかを教えたるものが雅歌であつて、艱苦(かんく)に在りて如何に処す可きかを教ゆるのが約百記である。而して人の多くは艱難の中に在るものなれば殊に約百(よぶ)記は人類に切要〔せつよう〕なる書である、然し乍〔なが〕ら人の生涯には失意の時あり亦〔また〕得意の折もあれば雅歌の研究も亦疎(おろそ)かにしてはならぬ、昼夜明暗の両面を学ぶの要は何人にもある。約百記の解釈は甚だ困難であつて是に該博(がいはく)なる智識と深き経験とを要するも、其教へんとする精神は老若男女、博学の人も無学の人も何人も之を解し得るのである。凡〔すべ〕て世界の大著述として伝へらるゝものにダンテの神曲あり、ゲーテの『ファウスト』あり、沙翁の劇作ありて喧伝さるゝと雖〔いえ〕ども、而もこれ碁将棋〔ごしようぎ〕に於ける八段の格であつてそれ以上所謂〔いわゆる〕名人に当るものを求むれば実に聖書であつてこれは大著述以上の大著述である。就中〔なかんずく〕約百記の如きは真に比す可きものなき大著述であつて、一度び是に接しては沙翁(シェークスピア)もゲーテもダンテも吾等の最上の感興を引くには足らぬ。而かも此著述は何人にも解し得らるゝので、これが大著述たるの確証である、『ファウスト』も『神曲』も一部の人に解さるゝに止まりて万人の書ではないが、吾約百記は天下万民の書である。ヨブが如何に深き所にて人生に臨む艱難を解して之に耐えしかは此書が示す所であつて、年少者が之に接して其意の存する所を解するを得ざれば二十年を待ち、二十年にして得ざれば三十年を待ち、齢四十歳五十歳乃至〔ないし〕六七十歳に至らば遂〔つい〕に解し得るの日が来るであらふ。カーライル或時友人の家に招かれたる席上に於て世界の大著述は何かとの問に答ふるに約百記を以てし試に彼自ら是を朗読せしに一坐何〔いず〕れもヨブを眼前に髣髴(ほうふつ)して感興に魅(み)せられ章節の進むを覚えざりしとの事である。此書に接して智識経験の深き人は深きだけに、浅き人は浅きだけに分に応じて其精神を解し得るのである。
而して此大著述の著者は何人であるかは今日に至りて猶〔なお〕不明である。ヨブ自身の自伝なりと言ひ或〔あるい〕はソロモンの作と言ひ、ヱレミヤの自白なりと言ふ、書中モーセ的記述の多き所より見れば或はモーセの心霊的実験録なりと言ふに信を置く可きかとも思はれ、何れとも判明されないのであるが、何れにしても非常に該博なる智識を有
する人が深き敬虔〔けいけん〕の念を以て書いたものである事は其内容の豊富深遠なる事が証明して居る。之に接して独(ひと)り人生の極めて深き所に触れるのみでなく最古の有らゆる学術技芸に関して知る事が出来る。科学、文芸、医術、冶金に至るまで凡〔およ〕そ人類に関係せし事にして約百記に記載されないものはないと言ひ得る程である。思ふにソロモン時代の偉人の手に成りしものならんか、斯〔かか〕大著述を出せし著者の名の不明であつた当時の時代が如何に偉大にして多くの偉人を有せしかゞ偲(しの)ばれるのである。偉人は単独に生ずるものでなく偉人を輩出せし時代は必ず特殊偉大の時代である。如何なる劇も文学も約百記に比しては児戯に等しきものである。これ決して世の大著述を
貶(へん)する傲慢(ごうまん)の言〔ことば〕ではなく、ヒマラヤ山と富士山との高さの比較が何人にも出来るが如く唯〔ただ〕比較したまでゞある、如何なる讃嘆(さんたん)の辞を聯(つら)ぬるとも吾等の語を以てして此書の価値を言い表はす事は出来ぬ。
扨〔さて〕約百記はヨブの生涯を骨子として作者の精神を述べたるものにて、吾国の忠臣蔵が作者の理想を画きたものであるが而も架空の事ではなく事実のあつた事でありしが如く、約百記も亦事実を書いたものではあるが然し歴史ではない。義人ヨブはウヅの地(多分亜剌比亜〔アラビア〕地方)に於て繁栄富裕にして信仰的の生活を営んで居た。其富は莫大にして七男三女は健かに育(そだ)ち、今は各一家を有し、各自の誕生日には兄弟姉妹宴筵(ふるまい)を設けて歓(よろこび)を共にして和楽堂に充ち、宴筵終ればヨブは必ず燔祭(はんさい)を献げて彼等のために潔清(きよめ)の祭りをなしたと言ふ、一族の繁栄あり、信仰あり、誠に彼は古代の美しき家長の模範であつた。これは地上に於けるヨブの恵まれたる生活状態であつた。
茲(ここ)に天上に於ては会議が開かれ、神とサタンの問答があつた。これが事実であるや否やは別問題として、要は此世は此世のみに非ずして、宇宙間に人間以上の実在物ありて世を支配する事を知るにある。神はサタンに対してヨブの行動の正しきと信仰の深きを称揚せられた、人の善に付いて聴く事を好まざるサタンはヨブの信仰を以て神の恵み豊かにして繁栄極まりなきによるものとして争ひ、遂に神の許を受け地上に降りてヨブを試むる事になつた。サタン抑〔そもそ〕も何者であるかは他日に譲るとして此言は現世に於て何れの代にも放たれる所である。人が利慾の計算を離れて善事をなす如き事のある可き筈〔はず〕なしとは常にサタンの言ふ所であつて之に道理がある。文化の進みたる今日に於て国と国とのなす所皆悉〔ことごと〕く利慾を標準としてゞある。サタンは神の前に立ち戦慄(おのの)く事なく是を言つたのである。真の基督者たるものゝ世にあり様〔よう〕筈がない、金銭のため又は名誉のため乃至は天国を望む慾心よりの信者に非ずして神の恵みを離れて猶ほ彼を愛し慕ふの人ありや否やと、斯〔かく〕て神とサタンとの間に賭(かけ)が設けられた。而して地上に於てヨブの身辺に頻々(ひんぴん)たる災厄が襲ふた。栄えに栄えて和楽に湛(たたへ)えられし彼の家に霹靂(へきれき)一声大変災の報を齎(もたら)したる使者は野外より馳せ帰つた。彼の夥(おびただ)しき牛と牝驢馬(めろば)とはシバ人の襲靂(じゅうげき)に会ふて掠(かす)め去られ少者(わかもの)は殺されたとの報である、報告の言は猶終らざるに第二の使者は来りて羊と少者(わかもの)とが雷火に撃たれて死せるを報じ、続いて第三、第四の使者は駱駝(らくだ)のカルデヤ人に掠められ、彼の子女は長兄の家にて宴飲中大風に襲はれて尽〔ことごと〕く変死せるを報じ来つた。富豪ヨブは悠忽(たちまち)にして無一物となり剰(あまつさ)へ其七男三女をまで尽〔ことごと〕く失ふた、実に激しき災厄(わざわい)であつた。如斯〔かくのごと〕きは人生の実験に徴して屡々〔しばしば〕見る所にて一日の中に非ずとも災難は多く踵(くびす)を接して来るのである。ヨブたるもの悲み且つ喪神(そうしん)せざるを得ない、神の厚き加護を謝しつゝありし者が斯る災厄に会ふては或は神を詛(のろ)ふに至るであらふ、これサタンの期せし所であつた。而し乍らヨブは詛ふ事をせず感謝して言ふた、ヱホバ与ヘヱホバ取り給ふ、ヱホバの御名(みな)は讃(ほむ)べきかな、と、災厄(わざわい)に会ふて全く罪を犯さず愚かなる事を言はずして神を讃美した、偉なる哉〔かな〕ヨブ、サタンは第一戦に於いて遂に敗北した。
 
第二章
神との賭(かっけ)の第一戦に敗れたるサタンは猶も執念(しつこ)く神の前に立て我見を述べた。凡そ人の信仰の終局の目的は身命の保存にあり、彼は之れがためには時に骨肉を犠牲に供するを辞せぬ、されば如何にヨブの信仰にして堅固なりとも一度其身命に脅迫を加ふるに於ては必ず神を詛〔のろ〕ひて之を捨てんと。此所〔ここ〕に再びサタンはヱホバの許を受けてヨブを試むる事となつた。其結果としてヨブは不治の天刑病に罹〔かか〕つた、別けても悪質にて今日の所謂白象病の徴であるとの事である。産は奪はれ子女は変死し、今や彼自身又恥づ可き不治の病に犯され灰の中に坐し土瓦(やきもの)の砕片(くだけ))にて身を掻(か)きつゝある憐む可きものとなつた。搗(か)てゝ加へて唯一人の親近者であつた彼の妻も亦背(そむ)き「神を詛ひて死(しぬ)るに如(し)かず」と彼を譏(そし)りて去るに至つた。而も彼は妻の言ふ所を愚なる婦の言として卻〔しりぞ〕け、我ら神より福祉(さいわい)を受くるなれば災禍(わざわい)も亦受けざるを得んや、
と毅然として動かなかつた。然し「ヨブ全く其の唇を以て罪を犯さゞりき」の一句の裏には心中に限りなき苦しき戦のあつた事が想像される。
此所に彼の友エリパズ、ビルダデ、ゾパルの三人は彼の不幸を聞いて同情に堪えず之を慰めんとて、其住居は各遠く隔りしが言ひ合せて同じく彼の許〔もと〕に来りて見れば昔日富家の主人たりし面影(おもかげ)は更になく、見識(みし)り難き程の痛ましき姿であつた。斉〔ひと〕しく声を挙て泣き遠来の友相会して七日七夜一語を発し得なんだとの惨たる状況が髣髴(ほうふつ)される。友情真に謝す可し路の遠きを厭(いと)はずして窮厄(きゅうや)の底に難(なや)める友を慰めんとて来る。而し乍らヨブの苦痛は之がために幾倍されし事ぞ、妻去り近親遠〔とおざ〕かる零落(れいらく)の極にありては孤独猶忍ぶ可きも同情者に接しては堪え難きは人情の常である、万感胸に狂いし事であらふ。三人の中エリパズは年長者にして人生の経験に富み、ビルダデは学深くして智識に富み、ゾパルは年少にして元気に充つ、此三人の者は各其有する所の物を以て不幸なるヨブを慰めんとて来たのである。世は常に此三つのものを以て人の不幸を慰めんとするのであるが、現世の人生観は果して苦痛を慰むるに足るであらふか、ヨブの生涯は之に答を供したものである。作者は天上の事を熟知して之を書きしなるもヨブは天上に於て如何なる事がありしか少しも知らずして斯〔か〕く処したのである。一、二章は約百記の発端なれども実は此二章にて完〔まつた〕きものである。吾等若〔も〕し天上の会議を拝聴するを得しならば艱難辛苦或は耐え難き事に非ら〔あらざ〕んも、地上に在りて之を窺(うかが)ひ知るを得ないのであつて、災厄(わざわい)を我儕〔われら〕の身に下す神の御心を推察し得るものは唯信仰あるのである。或は斯の如くして我儕(われら)を苦しき試誘(こころみ)に会せ給ふ神の無慈悲を怨(うら)むの念 兆(きざ)す事もあらふが、これ世の良教師が学生に問題を与へて、彼等が幾昼夜の苦心思索を以ての解答を待ち敢〔あえ〕て易々と解答を示して生徒の労を省き一時の労を除きて永久の損失をなさしむる如き不親切をなさぬと同じ事である、神は斯くして吾等の完成を只管(ひたすら)に待ち給ふ大慈悲者である。人生の問題は難解なれども神の恵みによりて遂には解き得るのである。吾等は之が解決に五十年七十年の生涯を費し尽くすも又おしむべきではない。聞く独逸〔ドイツ〕皇帝が未〔いま〕だ東宮にて在(おわ)せし頃一教師が難解なる試験問題が彼を苦ましめん事を恐れて予〔あらかじ〕め私(ひそ)かに是を明かせしに資質英邁〔えいまい〕の彼は翌日衆生徒の前に出て本日の試験問題は斯々〔かくかく〕と黒板に大書して教師を赧顔(たんがん)せしめしと云ふ。良教師は斯の如き事をなさず、神亦慈愛に富み給ふが故に斯の如き事はなさずして吾等自身の解決を待ち給ふのである。
 
 
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冬眠からさめて、2月26日、我が亀君はどこからか出て来た.池の底にいたのであろう.氷が張ってたこの池で何を思っていたのだろうか。