内村鑑三 マタイ伝 42講 無抵抗主義の根拠

42 マタイ伝
 
 
無抵抗主義の根拠
(五月十九日角筈に於て)
明治40810.日『聖書之研究』90号「座談」  署名なし
 
われ爾曹〔なんじら〕を遣すは羊を狼の中に入るゝが如し故に蛇の如く智(さと)く鴿(はと)の如く馴良(おとなし)かれ。……この邑〔むら〕にて人なんぢらを責めなば他の邑に逃れよ、我まことに爾曹に告げん、爾曹イスラエルの諸邑〔むらむら〕を廻り尽さゞる間に人の子は来るべし(馬太〔マタイ〕伝第十章十六―廿三節)
 
○羊の体躯(からだ)の構造を見よ、かれには牙なく、その角も蹄〔ひずめ〕も防禦用としては全く無効のものである、之に反して狼はその牙も爪も争闘攻撃の鋭利なる具である、羊は始より平和の子であつて狼は始より闘の子であることはその体の構造を見ても明である、信者は羊であり世は狼であるなら、最も平和無力のものが最も獰猛〔どうもう〕残忍のものゝ中に投ずるのである、何と恐ろしいことではないか、爾〔そ〕うして此の無力なる羊は恐ろしき狼に対し克〔よ〕く無抵抗でなくてはならぬと云ふ、蛇の智はあつてもよい、善に対して敏(さと)くなくてはならぬ、併〔し〕かし毒嚢(どくぶくろ)をすてなくてはならぬ、さうして鴿の如く馴良(おとなしく)でなくてはならぬ、然り、純良〔じゆんりよう〕でなくてはならないと。
○残害(そこなう)べく構(つく)られたる世に入りて無抵抗の態度をとれとのことである、或る学者は此の語の余りに強きに過ぎるが故に後世の附加であると云ふて居る、その説の当否はさてをいて吾等信者が世に入るに当りては此の態度をとらなければならぬ、キリスト御自身が此の態度をとられたのである、彼は奸悪(かんあく)の世に来り羔〔こひつじ〕の如くにして十字架に上り給ふた、初代の使徒等も亦〔また〕其師の如くに(仝章廿五節)此の態度をとつた、彼等には蛇の智慧と分別はあつた、彼等には善を見るの智と機を察し人を識るの慧(さとり)があつた、然し彼等は如何〔いか〕なる場合に於ても害を以て人に向ふ事は出来なかつた、基督者は元より所謂〔いわゆる〕「御人好(おひとよし)」である、彼の生涯は当初より無抵抗の生涯である、彼は性質として害を以て人に迫ることは出来ない。
 
○此の語を拡充すれば馬太伝五章が無くとも戦争などは基督者の主張し得べきものでない、我等は敵の為めに祈りその救ひの方法を講ぜなければならぬ、この点に於てはクロンウエルも、ワシントンも、今の基督教国なるものも、戦争弁護の牧師も根本に於て誤(あやまつ)て居る、キリストは義務として無抵抗の生涯を送り給ふたのではない、これは彼の固有の性質から出たのである、さればキリストに連らなる基督者も無抵抗が本来の性質でなくてはならない。
○故にキリストは曰ひ給ふた、この邑(むら)にて人、爾曹を責めなば他の邑に逃れよと、権利をはるな、抵抗するな、逃げ廻れと、これは実に武士教育を受けた者などにとりては堪(たま)らない語辞(ことば)の様に見える、しかしこれは恐れて逃れるのではない、怯懦で逃げるのではない、これは実に神の力を信じ彼の義の審判に信頼して逃げるのである、故に主は直〔ただ〕ちに厳粛なる口気を以て言ひ給ふた、我まことに爾曹に告げん爾曹イスラエルの諸邑を廻り尽さゞる間に人の子は来るべしと、逃げ廻ることは随分長く逃げ廻らなければならぬ、長く忍耐しなければならぬ、然し逃場のなくならない間に確に神の審判は来ると、吾等は此の神の義の現はれる時の来るを信じて逃げるのである、故に吾等は敵に抗して共に亡ぶるの愚を為してはならない、敵と和〔やわ〕らぎ敵のために祈らなければならない、さうすれば神は吾等に代りて審き給ふのである、かゝる審判は末日でなくとも吾等の短かき生涯に於て屡々〔しばしば〕実験するところである。
○報知新聞の講談に面白い咄〔はなし〕がある、即〔すなわ〕ち大岡越前守が一日将軍家より善悪を示せとの難題を言ひかけられた、すると頓智ある越前は次の日将軍家の前に不倒翁(おきあがりこぼし)をころがし、倒れては起き倒れては起きするのを指し、善と
はこれで厶〔ござ〕ると云ふた、又美しい京人形を出し、一撃の下にその美しき面をくだき、悪とはこんなもので厶〔ござ〕るといふたとのことである、実に面白い咄である、さうである、倒れては起き負けては勝つのが善の性質である、爾うしてこれがキリストの教である、無抵抗なるものが勝つ、愚かなるものよ、天然はこの真理を示して居るでは
ないか、亜非利加〔アフリカ〕内地に年々獅子の減じ行くのは驚くべきものである、之に反して獅子や虎に食はれる兎や羚羊(かもしか)は相変らず繁殖し行くとのことである、これは弱者柔和なるものゝ勝利を示す生物界の大事実である。
○先頃有名なる魚類学者カリフヲルニア大学のジヨルダン博士は「戦争と亡国」と題する大論文を公にし、古今の例をひき、戦争は国を起すものに非ずして国を亡ぼすものなることを論じた、彼は希臘〔ギリシア〕も羅馬〔ローマ〕も戦争で亡んだものなることを考証明確なる鋭利の史眼を以て論断した、彼は日露戦争を論じて日本は三百年の平和の蓄積によりて露国に勝つたのである、日露戦争後の日本こそ最も注意すべきであるといふた、而〔しか〕して博士の言は事実である、戦争後の議会を見よ、前議会は最も醜悪腐敗せる議会ではなかつたか、獅子が減(へ)るのは彼の精力が侵撃争闘に集注して生殖育児の方面に及ばないからである、戦争で国が亡ぶるのは「人」が無くなるからである、有為な
る人物は皆な力の府なる軍隊に入りて戦場に骨を晒〔さら〕し、道徳界は社界の腐敗を支ふる有為なる人物を欠き、殖産興業も人なきがために衰ふから国は遂に亡ぶのである、今日の希臘人を見て吾等はこれが彼の大文明を生みし国民の子孫であるかと疑ふ程である、是は外ではない、かの絶えざる戦争に有為なる人物は死に絶えて今日残れるものは当時生残(いきのこり)の屑(くず)の子孫であるからである、余輩は横須賀に伝道して海軍々人中実に人物の多いのに驚くものである、斯〔か〕かる人物は宗教界や文学者の中には見られない、国の勢力の中心なる有為の人物が争闘事業に集中して平和の事業が屑の手に托せられるとは実に寒心すべきことである、これが国を亡ぼす基に非ずと言ふか、誰か戦争が国を興すと言ひ得る者ぞ。
○かく考へて鴿〔はと〕の如く羊の如く無抵抗純良なることは勝利の道であることがわかる、此キリストの御言葉は実に天と地に溢るゝ大真理である、故に基督者は個人としても社会としても国家としても無抵抗の態度をとらなければならぬ。
1907(明治40)8
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