内村鑑三 マタイ伝 30講

30 マタイ伝
 
主の祈祷と其解釈―その2
(六月十五、廿二日)
大正8910日『聖書之研究』230  署名内村鑑三 藤井武 筆記
 
以上は過去の罪である、然しながら罪は後にあり又前にある、我等の前に当りて我等を罪に陥れんとする幾多の試探がある、故に「我等を試探(こころみ)に遇(あわ)せ給ふ勿(なか)れ」と祈る、父兄を離れたる青年に取て又は腐敗せる実業界政治界等に立つ者に取て此祈は殊に適切である、此世は悪の世である、試惑(こゝろみ)の世である、我等に罪を犯さしめんとする試惑はあらゆる方面より絶えず我等に迫り来るのである、如何にして之に打ち勝つ事が出来る乎、唯「我等を試探に遇せ給ふ勿れ」と祈るのみである、余自身も今日まで幾度びか斯の如き実験を有つた、其時は何事をも為さず唯英語にて記憶したる此祈を高声に唱へて以て危機を脱する事が出来たのである、曰く、“Lead me not intotemptation! と。
「悪より救ひ出し給へ」、悪とは悪者である、悪魔である、万一試惑(こころみ)より脱(まぬか)るゝ能(あた)はずして之に陥らん乎、願くは悪魔の手より我等を救出(すくいだ)し給へとの意である、即〔すなわ〕ち試惑に遇ひし場合に関する祈である、我等は不幸にして或時試惑(こころみ)に陥る事がある、然しながら其場合に於ても死に至るの罪あり又死に至らざるの罪がある、全く悪魔の虜囚(とりこ)とならずして尚〔なお〕其の手より救出され得べき程度に在る事がある、故に一歩を進めて悪魔の有と成り了〔おわ〕らざるに先だち試惑の穴の中よりなりとも我等を救出し給へと祈るのである。
或は又此祈を前の祈と同じ種類のものと解する事が出来る、「我等を試探(こころみ)に遇(あわ)せ給ふ事なく悪魔の手に陥らしめ給ふ事なかれ」と、ち更に強き語を以て同じ祈を繰返したるものと見る事が出来る。
〔即〕「父よ」と言ひて始め「我等」と言ひて終る、神を以て始め人を以て終る、天を以て始め地を以て終る、ベンゲル曰く祈祷とは地にある人が天にある神に縋(すが)り付き以て神を天より地に伴ひ来る事であると、実(まこと)にさうである、
而して祈祷中の祈祷は「主の祈祷」である、其願ふ所七項、天に関するもの三、地に関するもの四、聖名(みな)に就て祈り聖国(みくに)に就て祈り聖旨(みこころ)の各自に普及せん事を祈り、終に我等の体(からだ)と霊とに就て祈る、ベンゲル又曰く「山上の
垂訓は主の祈祷を布衍(ふえん)したるものに外ならない、又ペテロ前書の如きは最も能(よ)く主の祈祷を骨子として記(しる)されし書である」と、主の祈祷は常にキリストの精神であつて又使徒等の精神であつた、キリストの教訓も使徒等の書翰も又其日々の交際も皆此精神を以て成されたのである、故に主の祈祷の各句を基礎として其上に基督教の大体 システム系を建設する事が出来る。注意すべきは普通の祈の中に数多くして主の祈祷の中一も見当らざる語ある事である、何である乎、曰く「我」である、人は祈らんとして切りに「我」「我」といふ、然れども主は唯「我等」の為の祈を教へ給うたのである、之れ必ずしも自己の為の祈を禁じ給うたのではない、聖書の中にも「神よ罪人なる我を憐み給へ」との祈がある、然しながら普通の場合に於て祈は会衆の全体に亘らなければならない、家庭に於て全家族が恵まるゝに非ざれば我は恵まれないのである、集会に於ても亦〔また〕然り、全員共に恩恵に与からん事を願ふ、我一人の糧の与へられん事ではない、我等の糧の与へられん事である、我一人の聖められん事ではない、我等の聖(きよ)められん事である、基督者の祈祷は高きは天に在す神に関し低きは地に在る我等一同に関する、神を第一に聖国を第二に、而して最後に各自共同の事を祈る、之れ神の最も喜び給ふ所の祈祷である、試に斯〔かく〕の如き祈祷を献げん乎、「アーメン」と言ひて頭を上ぐる時我等の胸中言ふべからざる神の子らしき歓喜に溢るゝであらう、而して矢の的に中(あた)りし如く我等の願ふ所神の心に中りしを感じ其必ず聴かるべきを確信するであらう、主の祈祷の精神を以てして祈祷会は振はざるを得ない。
以上は其大意である、更に個々の語句に就て見るに一点一画の贅疣(ぜい)あるなく前置詞一箇も之を欠く事が出来ない、誠に神の示し給へる完全なる祈祷なる事を知る。
 
「天に在す我等の父よ」は原語の順序に依れば「父よ、我等の、在す、天に」である、即ち先づ我等の口を衝いて出づる語は「父よ」である、「アバ父!」、我等は万物の造主にして宇宙の支配者たる神に祈らんとして実は己が父に向て祈るのである、而して彼は我一人の占有する父ではない、「我等の」父である、信者全体、世界全体の父である、神を「父」と呼び「我等の」と呼びて宗教の半〔なかば〕は略〔ほ〕ぼ言ひ尽さるゝのである、次に「天に在す」と言ふ、意味の最も強き語は文章の最初に来り之に次ぐものは最後に来る、故に「父よ」に次ぎて強き語は「天に」である、「天に在す父」とは如何、此所〔ここ〕に於て「天」は複数の形に用ゐらる、短き祈祷の中後に単数に用ゐらるゝ語を此所に特に複数にて記したるは意味なきものと見る事が出来ない、「諸天」に在す父である、在さゞる所なき父、宇宙の何処〔どこ〕にも在し給ふ父である、世界の万有を充たし無限の力を蓄へ給ふ父である、故に何事をも成就し給ふ父である、如何なる祈にも応じ給ふ父である、「天に在す」の一語の中に此荘大にして而〔しか〕も愛情に富みたる深き意義がある。
既に「父よ」と呼びて神を我等に最も親しき者として之に近づく、神は誠に我等の父にして我等を限なく愛し給ふ、然しながら我等は親しみの余り彼に狎(な)るべからずである、愛の父は同時に亦聖き父である、故に我等は其聖きを認めて其聖名を崇めなければならない、「願はくば聖名(みな)を崇めさせ給へ」、斯くて愛を以て始まりし祈祷は義に移るのである、二者は一対(つい)である、其一に偏して神と我等との関係は義(ただ)しくある事が出来ない。主の祈祷の中心は第三句「聖国を来らせ給へ」にある、其意義如何、普通に解せらるゝ所に由れば教会が次第に発達して社会に勢力を振ふ事であるといふ、例へば多数の基督者を議政壇上に遣(おく)るが如き又は禁酒禁煙等の社会事業に成功するが如き類である、或は之を一層霊的に解して家庭又は社会に基督教の徐々として浸潤(しんじゅん)する事を意味すると言ふ。
然るに近来に至りて斯の如き解釈の誤謬なる事が明瞭になつた、均〔ひと〕しく「来らせ給へ」と言ふも希〔ギリシア〕臘語に於ては「連続的に徐々として」来らせ給へと言ふと「一時に俄然として」来らせ給へと言ふとの間に動詞の「時」の区別がある、前者の場合に在てはpresent imperative(現在命令)を用ゐ後者に在てはaorist imperative(日本語に
無し)を用ゐる、此所に「聖国を来らせ給へ」は即ち其後者に属するのである、「願はくば聖国を即刻降し給へ」である、此世を急激に奇蹟的に神の国たらしめ給へとの祈である、而してこは独り文法の問題ではない、神の国が顕現的に不意に来るとの思想は聖書中に充ち満る真理である、人の子は盗人(ぬすびと)の夜来るが如くに来らんと言ひ、瞬(またた)く間に天開けて人の子雲に乗り来るを見んと言ひ、電(いなずま)の東より西に閃(ひらめ)くが如くに来らんと言ひキリストが其国を以て来り給ふ事は常に急激的変化として示さる、神は再びキリストを降し此悪しき世を彼の手に収めて奇蹟的に彼の有(もの)たらしめ給ふのである、故に「主イエスよ来り給へ」と言ふ(黙示録廿二章二十)、之れ人類最大の希望である、キリスト自ら之を教へ弟子等亦〔また〕皆之を信じた、近代人は此思想を排斥すと雖〔いえど〕も聖書がキリストと神の国との俄然的来臨を明白に教ふるの事実は如何ともする事が出来ない、而して此所に「聖国を来らせ給へ」と言ふは即ち此の大なる希望に関する祈祷である。
人は言ふ世は徐々として進化すべし、東京市中幾百万の市民も遂には神を信ずるに至るべしと、果して然る乎、試に巴里〔パリ〕倫敦(ロンドン)シカゴ等の堕落を見よ、人類の努力に由て此世が果して改善せらるゝか否かは大なる疑問である、今日迄教会の手に由て幾多の社会運動は試みられたりと雖も其の人生を益する所は寧ろ之を毒する所に及ばなかつた、曾〔かつ〕て我国に於て基督教の先達者等相集り一箇の基督教大学を起さんと欲して政府に建言し北海道北見に土地を購(あがの)うて学田を設置した事があつた、然るに其現状は如何、学田は其後最も悪辣(あくらつ)なる地方政治家の手中に落ち為に幾千の人の霊を傷つくるに至つたのである、斯の如きは僅〔わずか〕に其一例に過ぎない、同様なる多数の実例は我国にあり又米国にあり英国にあり世界至る所に於てある、此世が教会の社会運動に由て改善せらるべしとの希望は今や全く消滅したのである、然らば基督者は失望すべき乎、否彼は鼻より息(いき)の出入する人に頼まない、彼は全能の神に頼む神は何時か天より地に降り人類の持剰(もてあま)せる此世に己が国を建設して自ら之を支配し給ふのである之れ神の確(かた)き約束にして聖書の根本的思想である、而して主の祈祷の中心も亦此キリスト再臨に関する祈にある、曰ふ「聖国(みくに)を来らせ給へ」と、然り主イエス自ら降り給うて其大なる力に由り奇蹟的に我等の世を占領し而して之を彼自身の国として治め給へである、此解釈はクリソストム以来有力なる聖書学者の唱へ来りし所であつて余輩も亦公平なる聖書研究者としての立場より之を主張せざるを得ない。地に関する祈祷中最も興味あるは「我等の日用の糧を今日も与へ給へ」である、「日用」の糧とは如何〔いかん〕、こは聖書中に於ける大なる難語の一である、希臘語にてepiousion (エピウーシオン)と言ふ、此字は唯主の祈祷中にのみ用ゐられ聖書以外の古典に於ても見当らない、学者は其意味を探らんと欲して甚〔はなは〕だしく頭脳を悩ましたるも未〔いま〕だ明確なる解釈を下すに至らない、或〔あるい〕は「日用の」若〔もし〕くは「必要の」糧なりと言ひ、或は「明日の」糧なりと言ひ(少しく語を変ずる時は斯く読む事が出来る)、或は「天よりの」奇蹟的食物の意なりと言ひ、或は「来世の」パンの意なりと言ふ、
然しながら一文章中最も重要なる語は最初にあり之に次ぐものは最後にありとの原則よりすれば「日用の」と訳せられたる語の意義如何に拘〔かかわ〕らず我等は此一節の祈祷の精神を見逃さざる事を得る、何となれば原語の順序に従ふ時は「与へ給へ、我等に、我等の糧を、日用の、今日も」であつて特に重要なる語句は「与へ給へ」と「今日も」である、即ち食物の性質如何は暫〔しばら〕く措〔お〕き我等はまづ「与へ給へ」と言ひて生活問題の解決を神に仰ぐ、此問題を以て神に祈るは決して悪しき事ではない、但し「今日も」である、今日は今日を以て足る、今日必要なる糧を神に求め而して其れ丈けのものを賜はりて以て満足すべきである、明日以後の糧を求むる勿〔なか〕れ、生活問題の困難は明日又は来月又は十年の後若くは子孫の代に至る迄の糧を今日獲んと欲するより起る、財産を貯へ其利殖を計らんとするが故に人心に不安は絶えないのである、若し今日の糧を今日与へ給へと祈りて其の与へらるゝ所を以て我が福祉(さいわい)足れりと為し復(ま)た明日の事を思ひ煩(わずら)はざるに至らば如何、今日現在の食糧に欠乏する者は極めて少数である、故に「今日与へ給へ」と祈るは些小(わずか)を願ふが如くにして些小ではない、日々に此祈を以て神に頼り求むるに至らば大なる平安は其心に臨みて生活問題は悉〔ことごと〕く解決するであらう、若し三百万の東京市民が皆之を祈り得るに至らば現に喧(かまびす)しき不平怨嗟(えんさ)の声は忽〔たちま〕ち消滅するであらう。
「日用の」糧の解釈に就ては余は之を「上よりの」糧と読まんと欲する、英国現代の聖書学者ブルリンジヤ氏の如き此説を唱へ附言して曰く「之れキリスト自身の創作し給ひし語なり」と、上よりの糧即ち天よりのマナである、基督者の糧は之を何処より獲得するも皆神よりの賜物である、此点に於て世人と我等との間に大なる差別がある、世人は自〔みずか〕ら労作して其糧を産出すると言ふ、然しながら我等に取ては糧は凡〔すべ〕て天よりのマナである、故に日々に之を神より賜はり而して其賜はる所を以て満足するのである、曾てイスラエルの民は曠野(あれの)にありてマナに由て養はれた、彼等は各自食ふ所に準(したが)ひて朝毎に之を集めた、若し必要以上に貯へんとする時はマナは忽ち腐敗したのである、我等に於ても亦然り、日毎に必要なる糧を上より与へらる、若し必要を超えて明日以後の分を貯ふる時は必ず腐敗するのである、然らば近世経済学を如何せんと言ふ乎、経済学の運命何ぞ憂ふるに足らん、神を信ずる者の祈はたゞ「天よりの我等の食物を今日も与へ給へ」である。
斯くの如く我等の糧は自ら稼(かせ)ぎたるものではない、皆神よりの賜物である、故に感謝なくして之を受くる事が出来ない、基督者の食事の美はしさは其処〔そこ〕にある、キリストも亦世に在る間食前には必ず感謝し給うた、レムブラントの名画に、質素なる食卓上パンの幾塊ありて若き大工が仕事着(しごとぎ)の儘〔まま〕掩父母の側に天を仰いで立てるがある、之れ即ちイエスキリストの食前感謝を描(えが)きしものである、基督者は必ず感謝を以て食事すべきである、感謝なくして此恩恵を受くるは甚だ卑しき事と言はざるを得ない、余は今より四十年前信仰生活に入りて後久しからざる頃一人の善き兄弟を其東京の下宿に訪ひ共に食事せんとして未だ感謝する事を知らず其兄弟より注意せられて初めて之を学んだ、其日の深き印象(いんしょう)は今尚(なお)歴然として余の記憶に存する、而して其日は実に最後であつた、爾来今日に至る迄曾て一回たりとも感謝なくして食事に就きし事がない、余の家族亦然り、逝きし我家の少女の如きも其最後の食事に至る迄感謝して之を受けた、何故ぞ、天よりのマナなるが故である、「我等の天よりの糧を今日も与(あた)へ給へ」と祈りて感謝せざらんと欲するも能はないのである、感謝は信仰の発表である、余は往年(おうねん)某地に出張して旅館に宿泊せし時余の食前感謝が動機となりて給仕に出でし人の信仰を導くに至りし事がある、又米国に在りし当時食前感謝を怠れる基督的家庭に招かれて独り之を励行し為に其家庭の信仰に一刺戟を与へたる事もあつた、感謝を怠るは信仰減退の徴候である、感謝せよ、憚〔はばか〕らず声を発して神の恩恵を感謝せよ。「主の祈祷」と普通の祈祷との間に天地の差がある、前者は神の命じ給ふ所である、故にこは祈祷と言はんよりは寧〔むし〕ろ信者の心の状態である、常に祈るべしとは常に此心の状態に於て在るべしとの意に外ならない、信者の願望である、斯くあれかしである、然らば此願望(ねがい)は何時成就する乎、曰く聖国の来りし時である、其時「主の祈祷」は完成せらる、ベンゲル曰く「主の祈祷は遂に讃美の歌に変らん、其時は唯各節の動詞を変化せしむれば足る、即ち
天に在す我等の父よ、
聖名(みな)は崇められたり、
聖国(みくに)は来れり、
聖旨(みこころ)は天に成る如く地にも成れり、
我等の罪は赦されたり、
試探(みこころ)は絶えたり、
悪魔は滅(ほろ)ぼされたり、アーメン、ハレルヤ
と、真に美はしき歌である、之れ神に対する讃美の極致である。
「国と権(ちから)と栄(さかえ)は窮(かぎり)なく汝の有(もの)なればなり」の一句は後世教会の人の註として附記せしものが本文中に挿入せられしならんといふ、路加〔ルカ〕伝に此句なく又多くの原本にも欠けたるより見れば多分其説が真であらう、然しながら思想其者は甚だ貴くある、国も之を支配する権力も之に伴ふ栄光も皆人の有(もの)に非ずして神御自身の所有であると言ふ、而して神より国を我等に賜はるのであると言ふ、我等が建設する国ではない、我等の力我等の栄光ではない、凡てが神のものであつて我等は皆之を彼に仰ぐのである、斯く一切を父に委ねたる幼心(おさなごころ)の美しさは「主の祈祷」の全体の調子である、故に唯に其祈の言の深き真理であるのみではない、其祈の態度も亦大なる教訓である、我等は聖国の来る時まで日々此祈祷を以て心とすべきである。
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