内村鑑三 創世記 アダムよりノアまで 創世記第五章

其五 アダムよりノアまで 創世記第五章     創世記の研究 1930(昭和5)1
 
○路加〔ルカ〕伝第三章はイエスの系統を掲げ、ノア以前の先祖を列記して曰〔いわ〕く
 
ノア、其父はラメク、其父はマトサラ、其父はエノク、其父はヤレド、其父はマハラレル、其父はカイナン、其父はエノス、其父はセツ、其父はアダム
(三六、三七節)。即ちノアより溯〔さかのぼ〕りてアダムに到るまで十代である。そしてノアの祖先九人に就て稍〔やや〕精しく記した者が創世記第五章である。アダムが造られしよりノアが生れしまで一千と五十六年、即ち此記事に由れば人類初めの一千年は僅〔わず〕かに九代の子孫に由つて過ぎたのである。そしてアダムは九百三十年存〔ながら〕へたと云へば、彼はノアの生るゝ僅かに百二十六年前に世を逝(さ)つた事に成るのである。
 
○勿論〔もちろん〕問題は直〔ただち〕に起るのである、人は三百年以上生くる事が出来る乎と。ノアの祖父メトセラは九百六十九年生きたりと云へば、長寿の最大記録である。如此〔かくのごと〕き事は有り得る乎と何人も問ふ。然れども有り得ないと誰が確答し得る乎。徳川第十一代将軍の時に大阪落城を記憶せし二百何歳と云ふ老人ありたりと云ひ、其子は百八十何歳、其孫は百五十歳にして三夫婦揃(そろ)ふて生存せりとの事である。若し此事にして有り得るならば何故にかの事は有り得ない乎。殊に堕落せりと雖も神に造られた計りの人達である、彼等に生命力が溢〔あふ〕れて長寿を保ち得しは怪むに足りない。然し乍ら問題は理論のそれに非ずして事実のそれである。若し此問題を解決する者があれば、それは生物学ではなくして考古学である。考古学は聖書の記事に精確なることに就き多くの著しき事実を発見した。洪水前史に関しても亦如何〔いか〕なる発見が為されんやも計り知ることは出来ない。進化論のみが真理でない。考古学の発見に由つて幾多の学説が転覆されしやうに、人類の起原発達に関する進化論者の立場の全然壊(こぼ)たるゝ時の来らないとも限らない。
 
或〔あるい〕は洪水以前の父祖九人を九家と考へて考へられない事はない。アダム、セツ、エノスと云ふは北条九代、足利十三代、徳川十五代と云ふが如きものであつて、一人を指して云ふに非ず、所謂〔いわゆる〕eponym (エポニム)であつて、人名に基きて附したる民族の名として解し得ないではない。即ちアダム族百三十年にしてセツ族を出し、其後八百年を経て、存続九百三十年にして亡びたりと読んで三―五節を解し得ないではない。然し乍ら文字上斯〔か〕く解することの困難なるは何人が見ても明かである。吾人の思想に適合せんが為に無理の解釈を試みんよりは文字其儘に解して事実の証明を俟(ま)つに如(し)かず。
 
○洪水以前の人九人の中で最も短命なりしはエノクであつた。其父ヤレドは九百六十二歳、其子メトセラは九百六十九歳なりしに対し彼は僅に三百六十五歳であつた。然し信仰的には彼は最も恵まれし人であつた。
エノク神と偕〔とも〕に歩みたり、神、彼を取り給ひければ彼れ居らずなりき(二十四節)
とある。彼はアブラハムと同じく信仰の人であつた。此世に在りながら此世の人に非ずして神の人であつた洪水以前に於ける神の証明者であつた。其報賞として彼は霊化の恩恵に与つた。エリヤと同じく死を経ずして他界した。斯かる事は有り得べからずと云へばそれまでゞある、然しイエスの復活を信ずる者はエノクの霊化昇天を読んで驚かない。エノクは復活の事に於てキリストの先駆者であつた。キリストの復活は突如として前例なくし
て起つた事でない。エノクを以つて始まり、モーセ、エリヤの最期の場合に現はれし変貌変化の事実の強度の実現に過ぎなかつた。神は人に大奇蹟を信ぜしめんが為に、小奇蹟を行ひて其信仰を準備せしめ給ふ。エノクの恵まれたる最期はキリストの復活昇天の預兆として信者に取り意義深長である。
 
○而〔しか〕してまたエノク以外の人達の生涯と雖も決して無意味でなかつた。「アダムは百三十歳に及びて其像(かたち)に循〔したが〕ひ己に象(かたど)りて子を生み其名をセツと名づけたり」とある(三節)。セツ以下も亦凡(すべ)て同じであつた。彼等は始祖アダムが造られし像(かたち)を其子に伝へた、そして後にアブラハムモーセ、イザヤ、そして終にイエスを産するの器(うつわ)となつた。遺伝は決して小事でない。子を生んで之を育つる事は貴き事業である。誰、誰を生みと云ひたればとて無為の生涯を送つたのでない。ハンス・ルーテルは唯〔ただ〕の鉱夫であつたがマルチン・ルーテルを生んで世界を祝福するの大役を務めた。ヤレド、メトセラ等亦然りであつた。家系の重んずべきは茲に在る。単に生殖の役を務めたればとて之を軽んじてはならぬ。ミルトン、クロムウエル、家康、藤樹も彼等各自に相応(ふさ)はしき祖先を持つたのである。
 
○アダム九代の孫がノアであつた。彼に由つて世界の改造が行はれた。ノアの名はヒブライ語のナヘムより出づ「慰む」の意である。其父ラメクが「此子我等を慰めん」と云ひて彼を斯く名づけたりと云ふ。そしてノアは其行績を以つて今猶(な)ほ我等信ずる者を慰めつゝある。ノアの一生が活きたる福音である。