内村鑑三 創世記 最初の殺人

7.最初の殺人罪〔創世記第四章第一節―第一五節〕
 
 
 
一、      アダム其妻エバを知る、彼女(かれ)孕〔はら〕みてカインを生みて言ひけるは我ヱホバに上りて一箇(ひとり)の人を得たりと、二、彼女また
 
其弟アベルを生めり、アベルは羊を牧(か)ふ者カインは土を耕す者たりき、三、日を経て後カイン土より出る果(み)を携へ来りてヱホバに供物(そなへもの)となせり、四、アベル、彼も亦其羊の初生(うひご)と其肥えたる者を携へ来れり、ヱホバ、アベルと其供物を看顧(かへりみ)たまひしかども、五、カインと供物をば看顧(かへりみ)給はざりしかばカイン甚だ怒り其面(おもて)落ちたり、六、ヱホバ、カインに言ひ給ひけるは汝何ぞ怒るや、汝の面何故に落るや、七、汝若し善を行はゞ其挙げられざることを得んや、若〔も〕し善を行はずば罪門戸(かどぐち)に伏す彼は汝を慕ひ汝は彼を治めん、八、カイン其弟アベルに語りぬ、彼等野に在りける時カイン其弟アベルに起かゝりて之を殺せり、
 
 
 
○人類は堕落せり、然れども彼に猶ほ家庭の和楽は存せり、神は彼を逐放せられしと同時に彼より男女同室愛児養育の快楽を奪ひ給はざりし、愛は其最も下等なる状(かたち)に於て救済的なり、妻を愛し子を愛する者に復〔ふた〕たび其造主を愛するに至るの希望存す、人類救済の希望は其家庭にあり、愛の泉源此処に溢れて世は復〔ふた〕たび楽園と化するに至らん。(第一節)
 
○ヱバ男子を生んで之をカインと名〔なづ〕く、「賜物」の意なり、彼女に猶ほ感恩の念存せり、彼女は独り自から子を設けたりとは想はざりき。彼女は之をヱホバより得たりと云へり、人類の有する多くの感情の中に母が始めて其子を産みし時の感に優〔まさつ〕て聖く且つ深きはあらざるべし、宜〔うべ〕なり、聖書に記載せらるゝ最も著名なる感恩歌は母が其初子(ういご)を産みし時に其口に唱へしものなりとは(撒母耳〔サムエル〕前書第二章ハンナの讃美歌) 総ての子はカインなり、即ちヱホバによりて得たる者なり、吾等何人たりとも此一事を忘るべからず。(第一節)
 
○ヱバ亦カインの弟アベルを生めり、アベル訳せば「疲労」の意なり、出産の劬労〔くるしみ〕を想ふて斯く名けしならん、カインを生んで歓びしヱバはアベルを設けて痛く出産の労苦を感じたりしが如し、喜んで長子を迎かへしヱバは稍〔や〕や困倦の念を以て次子を迎へたり、然れども曷(いづく)んぞ知らん、彼女が喜んで迎へし者が却〔かえつ〕て彼女を苦めし者たらんとは、(第二節)
 
○弱きアベルは羊を牧〔か〕ふ者となり。強きカインは土を耕す者となれり、牧畜必しも貫きにあらず、耕土必しも卑〔いや〕しきにあらず、二者共に神聖なる農業の両面にして、是に従事して人は労働の神聖を味ひ得て復〔ふた〕たび労働の神に帰るを得べし、唯知る、牧畜の業は耕耘のそれよりも天然と交はること更に一層親しきが故に誘惑の之に伴ふ稍〔や〕や少きを、牧畜の民が常に純樸の民にして、彼等の耕耘の業に移る時は其奢侈の程度を増す時なるは何人も能〔よ〕く知る所なり、其業の選択より老ふるもアベルは寡慾の人にしてカインは多慾野心の人たりしは明瞭なるが如し。(第二節)
 
供物〔そなえもの〕は感恩の記念なり、之を神に献ぐるは是れ人たる者の至当の義務なり、神は之を自己(おのれ)のために要し給はず、彼は之を献ぐる人のために之を要し給ふなり、人に最も肝要なるものは酬恩の念なり、之れなくして彼は高貴なる天の恩賜に接する能はず、依頼すべきの人あり、依頼さるべきの神ありて供物の礼は二者を繋〔つな〕ぐための必
 
要なり。(第三節)
 
○カインは土より出る果(み)を携(たずさ)へ来り。アベルは其羊の初生(うひご)と其肥えたる者を携へ来れりと云ふ、乃ちカインは僅に土産の一を携へ来りしに止まると雖もアベルは其群羊の中より最善最美のものを撰び来りて之を神に献げたり。
 
依て知る二者の供物の間に大なる差異ありしことを、同じく是れ供物なりしと雖も其之に依て表証されし誠意に至てはアベルのものは迥(はる)かにカインのものに優れり、人は総てのものを神より受くる者なれば神に献(ささ)ぐるに彼の受けしものゝ中より最も善きものを撰ばざるべからず、而かも知る、世の供物なるものゝ多くは是れカインのそれに似て僅に所有(もちもの)の残余を神に献ぐるに止まるものなることを。(三、四節)
 
 
 
○其供物〔そなえもの〕に於て現はれし二者の誠意斯〔かく〕の如し、神がアベルの供物を喜び給ひてカインのそれを看顧(かへり)み給はざりしは敢て怪むに足らず、神は野の産を嘉(よみ)し給はず、亦山の産を喜び給はず、神の看顧み給ふものは遜〔へりくだ〕りたる誠実の心なり。(詩篇第五十一篇第十七節)、神は勿論供物其物のためにカインを斥けてアベルを受納し給ひしに
 
まこと
 
あらず、彼は人の心を観給ふ者なれば義務の念に強〔し〕ひられて供物を献げしカインを斥けて感謝の意に駆られて之を彼に携ち来りしアベルを受容し給ひしなり、世に無益なるものとて感謝の念に基因せざる供物の如きはあらじ、
 
是れ神を喜ばすに足らず、又自己と他人とを益せず、今日世に称する義務的慈善なるものは多くは是れカインの供物なり。(四、五節)
 
 
 
○神に其心裡を看破せられて其供物を斥けらるゝやカイン甚だ怒り其面〔おもて〕落ちたりと云ふ、彼は始めより好意を以て彼の供物を携ち来りしにあらず、故にその受納せられざるを見るや甚(いた)く怒り且つ絶望せり、納(い)れらるれば喜び斥けらるれば怒る、其信ぜらるゝや羔(こひつじ)の如く従順に、其信ぜられざるに至るや野猪の如くに狂暴なる。是れ悪人の常態なりとす、彼等は欽慕奉仕の巧言の下に毒蛇の剣を匿(かく)し持つ者なり。(五節)
 
 
 
○神カインを諭〔さと〕して曰く、「汝の憤怒と絶望とは汝自身の悪業に因る、汝にして若し汝の行為を改めんには汝の面〔おもて〕挙げられざることを得んや」と、カインは彼の憤怒の原因を神に帰せり、彼は想へり、「我の供物に間然する所あるなし、神が之を受けざるの罪は神に在て我に在るなし」と、彼は神は完全の愛にましまして彼に憤怒なるものゝ無きを暁らざりし、彼は彼自身に愛の足らざりしが故に絶望に陥りしことを覚〔さと〕らざりし、憫〔あわれ〕むべきかなカイン、憫〔あわれ〕むべきかな凡〔すべて〕の憤怒の子供、憤怒と絶望とは小心の結果なり、小心猜疑を醸し、猜疑公義に触れて憤怒となる、小心亦嫉妬を簇生し、而して嫉妬真正の愛心に接して絶望となる、故に神はカインの行為を怒り給はずして却て諄々彼を諭し給へり、吾人小人に対する亦爾〔し〕かせざらんや。(六、七節)
 
 
 
○若〔も〕し善を行はずば罪門戸〔かどぐち〕に伏すと、怕〔おそ〕るべきかな、罪を追遣(おひや)るの法は善を行(な)すにあり。善を行さゞる時に悪は吾人の門戸(かどぐち)に迫り来る、言ふを休(や)めよ、吾人は悪を為さゞれば足ると、悪は招て来るものにあらず、善を為さゞる時に来るものなり、疾病を避くるための唯一の方法は健康を増すにあり、世の所謂〔いわゆる〕消局的倫理なるものは徳を建て得ざるのみならず亦悪をも斥〔しりぞけ〕る能はず、聖書は其巻首より積局的道徳を教ゆる書なり。(七節)
 
 
 
○神又宣〔のたまわ〕く、「彼()は汝を慕ひ、汝は彼を治めん」と、善を行はざるカインは罪を其門戸に招きしのみならず亦罪の慕ふ所となれり、愛情は之を圧殺する能はず、若し善を愛せざれば悪を愛せざるを得ざるに至る、かの淫婦に恋慕せられて死滅に終る男児を見よ、彼に真美を愛するの心なかりしが故に彼は此悲境に陥りしなり、西諺に曰く「何事をも為さゞるは悪事をなすなり」と、世に遊惰に時を過すが如き危険あるなし、此時吾等は罪の慕ふ所となり、其罠(わな)に入る甚だ易し、茲〔ここ〕に於てか吾等に警誡の必要生じ、吾等は罪を制御せざるを得ざるに至る。(七節)
 
 
 
○「彼を治めん」「罪を制御せざるを得ざるに至らん」、是れ罪悪の世に在ては吾等が為さゞるを得ざる所の事なれども、而かも是れ吾等が善を励みつゝある時に方〔あたつ〕ては為〔な〕すの必要なき事なり、吾等が善を行すに多忙たる時は吾等が悪を不問に置く時なり、そは其時悪は吾等に近〔ちかづ〕くを得ざるが故に、吾等は其制御に吾等の注意と精力とを奪はるゝことなくして一意専心以て善の遂行に従事し得ればなり、吾人は善を励みて悪と全く無関係の者となるべきなり、悪を近寄せず、悪に慕はれず、亦悪を治むるの要なき者となるべきなり。(七節)
 
 
 
○然れどもカインは終〔つい〕に神の此聖諭を覚〔さと〕る能はざりし、彼は罪の慕ふ所となり、終に其捕虜となれり、嫉妬の焔今は彼の心に燃え、彼は今は此心中の苦悩を現実せざれば止み能〔あた〕はざるに至りぬ、彼は終に心に決せり、彼は辜〔つみ〕なき彼の弟アベルを殺さんと、彼はアベルに罪なきを知れり、然れどもアベルの清浄に対比して彼は彼の汚濁に耐ゆる能はざりし、罪悪は自殺的なり、罪は罪を掩(おほ)はんがために罪を作る、心中の嫉妬は外形の殺人罪となりて現はれたり、カインは終に辜なき其弟アベルを殺したり。(八節)
 
 
 
○嫉妬、憎悪、殺罪…カインはアベルを憎みて之を殺したり、「何故に之を殺しゝか、己の行ひし所は悪しく弟の行ひし所は義(ただ)しかりしに因る」(約翰〔ヨハネ〕第一書三章十二節)、即ちカインの殺人罪は憎悪に基き、其憎悪は嫉妬に
 
基けり、彼は自己の義を装はんがために其兄弟を殺したり、以て知るべし、彼の犯せし罪悪は殺人罪の最も極悪なるものなりしことを、財を奪はんための殺人罪にあらず、亦情慾を充たさんための故殺にもあらず、高徳を嫉〔ねた〕んでの殺人罪なり、信仰を憎んでの兄弟殺しなり、罪悪の最も心霊的なるものなり、即ち神に就て知りしことなき者、又は徳義に就て学びしことなき者の犯し能はざる罪悪なり、カインは即ち義人迫害者の祖先なり、義人サボナローラを殺せし羅馬〔ローマ〕法王アレキサンドル第六世はカイン正統の裔なり。而して今日猶は其兄弟姉妹のより高信仰とより潔き行動を嫉(ねた)み之を憎み之を罪に陥(おとしい)れんと計る基督教界無数の教師、牧師、伝道師、役者の類は皆な悉くカイン正統の子孫なり。(第八節)。〔以上、明治35420
 
 
 
九、エホバ、カインに言ひ給ひけるは汝の弟アベルは何処〔いずく〕に居〔お〕るや、彼言ふ我知らず我豈〔あに〕我弟の守者(まもりて)ならんやと、
 
 
 
十、ヱホバ言ひ給ひけるは汝何を為したるや、汝の弟の血の声地より我に叫べり、
 
十一、されば汝は詛〔のろ〕はれて此地を離るべし、此地其口を啓(ひら)きて汝の弟の血を汝の手より受たればなり、
 
十二、汝地を耕すとも地は再び其力を汝に効(いた)さじ、汝は地に吟行(さまよ)ふ流離子(さすらいびと)となるべしと、
 
十三、カインヱホバに言ひけるは我が罪は大にして我は之を負(お)ふこと能はず、
 
十四、視よ汝、今日新地の面〔おもて〕より我を逐出し給ふ、我汝の面〔かお〕を瞻(み)ることなきにいたらん、我れ地に吟行(さまよ)ふ流離子(さすらひびと)とならん、凡そ我に遇ふ者は我を殺さん、
 
十五、ヱホバ彼に言ひ給ひけるは然らず、凡そカインを殺す者は七倍の罰を受んと、ヱホバ、カインに遇ふ者の彼を撃たざるため印誌(しるし)を彼に与へ給へり。
 
○神は勿論カインの犯罪を知り給へり、然れども彼をして其罪を自白せしめて彼に赦罪(ゆるし)の恩恵を施さんが為めに問を設けて彼に曰ひ給へり、「汝の弟アベルは何処に居(い)るや」と、是れ確かに詰責の言辞(ことば)に非ずして恩恵の言辞(ことば)たりしなり、然れども憐むべきカインは神の慈恵を了〔さと〕らざりき、彼は神に告ぐるに虚偽を以てし、殺人の罪に加ふるに偽証の罪を以てせり、彼は曰へり、我知らず、我豈我弟の守者(まもりて)ならんやと(第九節)
 
 
 
○「我豈我弟の守者ならんや」と、カインは同胞兄弟の関係義務を無視したり、彼は此語を吐て社会壊乱者の標語を作りたり、人は相互ひの保護者なり、是れ神の聖意にして社会存在の原則なり、我は独り存在する者にして我は我が隣人に何の負ふ所なしと云ふ者は社会を其根底に於て破壊する者なり、殺人罪を世に紹介せしカインは亦総ての社会擾乱の基(もとい)を開けり、(第九節)
 
 
 
○カインが其罪を自白せざるが故に神は彼に之を摘示し給へり、曰く「汝の弟の血の声地より我に叫べり」と、人の之を神に告げしに非ず、血に声ありて地より彼に叫びたりとなり、勿論血に声ある筈なし、声は此場合に於ては確証の意味ならざるべからず、血痕歴然として之に声あるが如しとの謂〔い〕ひならん(第十節)
 
 
 
○兄弟の血を流して地を汚せし者は神と人とに詛〔のろ〕はれしのみならず、亦地の詛〔のろ〕ふ所となれり、地はカインの手より辜(つみ)なきアベルの死体を受けて其復活の日まで之を守ると同時に、亦カインに向ては呪咀を宣告せり、地は神の造り給ひし者なれば神と協同して働くなり、地は神の祝する者を祝し神の咀〔のろ〕ふ者を咀ふ、カインは思ひしならん、我仮令〔たとい〕神の咀ふ所となりしも尚ほ地上に於ては安全なるを得べしと、彼は自から撰んで天の特権を放棄せしと雖も、地に在ては其主権を揮(おも)はんと欲へり、彼は天は聖徒に属するものなるも地は彼 并(ならび)に彼の同類の所有)もの)なりと思へり、彼は彼の望を属(もの)せし地までが彼を咀(のろ)ふに至りしまでは地と其中にある総てのものも亦神の属(もの)たることを了(さと)らざりき、来らんとする天の希望を放棄して、目前の地の快楽に飽かんと欲して終(つい)に亦地の咀ふ所となり、天上天下身を容るゝに所なきに至り、失望落胆に生命を終る者は豈惟(あにひと)りカインのみならんや(第十一節)
 
 
 
○第十一節の訳文少しく粗なり、之を次の如く改訳するの必要あるを感ず、即ち、
 
されば汝は其口を啓〔ひら〕きて汝の弟の血を汝の手より受けし地より咀はれん。「離るべし」の詞、原文にあるなし。
 
 
 
○悪人は地を耕すを得べし、然れども地は彼に其力を効(いた)さず、是れ彼に果実を供せずとの謂(い)ひにあらず、彼に歓喜と満足とを供して彼の心と雲とを養はずとの意なり、彼は飽くも餓え、満(みつ)るも欠け、彼の倉廩〔そうりん〕に禾穀〔かこく〕満(み)ちて彼の心は常に憂愁を以て溢〔あふ〕る、彼は広土を有するが如くに見えて、実は寸地を有する者に非ず、保羅〔パウロ〕は自身「何も有たざるに似たれども凡の物を有てり」と云へり、天を有すると同時に亦地をも有する者は無一物の如くに見ゆる基督信者(真正の)のみ(第十二節)
 
 
 
○神を失ひ人と離れ、天に希望を失して地に咀はる、被れ今至るに所なし、故に世を終るまで彼は此地に吟行(さまよ)ふ流離子(さすらひびと)たらんのみ、僅に二十年に三倍する生命に身を託し、其短期限内に彼の総ての志望を圧縮し、飲み、食ひ、娶〔めと〕り、生み、時には友を売りて些少の名誉と利とを貪り、淫し、党し、憤り、義人を装ひ、而して耻辱の墓に下る、罪を天に得て訴ふるに所なし、神に咀はれて人は無辺の宇宙に身を寄するに所なきに至る、(第十二節)
 
 
 
○罪の宣告に接してカイン怖るゝ事甚だしく、重科の彼の身に罹〔かか〕るを自認し、偏〔ひとえ〕に神の寛恕(かんじょ)を乞へり、然れども彼の後悔なるものは保羅(パウロ)の謂ゆる「悔(くひ)なきの救(すくひ)を得るの悔改〔くいあらため〕」にはあらざりし、彼はたゞ恐怖の余り、神の寛怨を求(ねが)ひしのみ、彼は曰へり「我は之を負ふこと能〔あた〕はず」と、即ち我は我が受くべき刑罰に堪ゆる能〔あた〕はずと、彼はたゞ減刑を乞ひしのみ、喜んで刑に伏して心に罪の赦免を得んことを、求めしにあらず(第十三節)
 
 
 
○物質的なるカインは神の言辞を総て物質的に解せり、彼は地に咀はれしと聞き直に地の面より逐出〔おいい〕ださるゝことゝ思へり、彼は神を以て肉躰を着けたる人とのみ想ひ、放蕩児が其父を想ふが如く、単に肉慾の供給者生命の
 
保護者としてのみ神を解せり、故に彼も亦永久に神と偕〔とも〕に在らんことを求〔ねが〕ひ、神の面を瞻ること能はざるに至らんことを懼〔おそ〕れたり、神の前より逐放されて彼の衣食供給の途は絶たれ、亦〔また〕社会普通の法律に問はれて彼の罪の罰せられんことを恐れたり、神の聖旨(みむね)に従はんとはせず、たゞ物質的に神の子たるの特権に与からんことを欲(おも)へり斯く欲(おも)ひしは惟〔ひと〕り殺人犯の始祖たるカインに止まらず、口に公然基督教を排斥するも尚ほ身を基督教国の国籍に置き基督教的国民を以て世界に誇る多くの似て非なる『基督教的市民クリスチヤンシツゼン』、交際上の利益を求め、子女の教育の便益を計り、妻女の淑徳の安全を期して、心に基督教の何たるを解せざるも自から進んで洗礼を受けて基督の教会に入りし我国数多の『基督信者』なる者は皆なカインの心を以て心とする者なり。