真の教会と偽りの教会

まことの教会といつわりの教会
 
ヨハネ16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
 16:14 御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
 
すなわち、聖霊の働きとは
1.  聖霊の啓示   霊の実際を知らせ、霊の実際を見せます。霊的進歩の土台です。
2.  聖霊の管理  環境上の按配を通して、私たちを霊の実際に導き入れます。管理とは建造です。
 
聖霊の働きの目的は私たちを一つの真(まこと)、「実際」に引き入れること。
聖霊は私たちに啓示を与え、私たちを真(まこと)の中にもたらし、私たちがキリストにあってどんなものかを見せて下さいます。 あたかも聖霊がその人に作り込まれていないかのような人がいますが


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教会について言えば、それは本当に驚くべきことです。ある人たちは、教会には真の教会偽りの教会があると、考えます。しかし、主はペテロに言われました。
 
16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
 16:19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています」(マタイ16:18~19).
 
主の思いの中で、彼の教会はこの様です。彼の思いの中には真(まこと)の教会しか有りません。これは宇宙教会だけでなく、地方教会についても言えます。主は更に言われます.
 
「もし貴方の兄弟が罪を犯すなら、行って、彼と二人だけのところで忠告しなさい。もし聞いてくれたら、貴方の兄弟を得たことになる.もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。よく言っておく.あなた方が地上で繋ぐことは、天でもみな繋がれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。(マタイ18:15~18)
 
主の考えでは、教会が一人の兄弟に正しいというなら、彼は絶対に正しく、教会が彼に間違っていると告げるなら、確かに間違っています。
 
私たちがこれを読むとき、一つの問題がすぐ思い浮かびます。すなわち教会の決定が間違ったらどうか、ということです。それにもかかわらず、主は教会の実際を語られます。間違った決定は、実際のものから来るはずはありません。そのような決定は聖霊からではなく、人の意志から出ているからです。主の目には、教会は一つの実際です。実際以外のものは何であれ,主の思いの中で根本的に地位がありません。(ウオッチマン・ニー著「聖霊と実際」から)
 
ニー兄弟は,初めに「霊の実際」についてこう語っています「聖霊はすべての霊的な事柄の実行者です。今日、神が行われることはすべて、聖霊が行われることです。
 
聖霊が行われることのみ,真のものであり、実際なのです。すべて聖霊の中にあるものは実際です。人がこの実際に触れるなら、命を得ます。なぜなら、命と実際はつながっているからです
 
更に、ニー兄弟はヨハネ4:24「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」のみ言葉の真、まこと」を「実際」という言葉によって表しています。「霊的な事柄の実際というのは霊のものであって,物質的なものではありません。たとえどんなに言葉で霊的実際と言っても,それで霊的実際があるわけではありません。霊的実際は私たちの生活の中で表現されるべきものです。しかし形式的な行為は実際ではありません。霊的実際は行為に表されるべきではありますが、人為的なまねごとは実際ではありません。
 
「いつわりの教会」とは聖霊のおられない教会、,人間の教会のことです。
 
間違った決定は、実際のものから来るはずはありません。そのような間違った決定は聖霊からではなく、人の意志から出ているからです。
いつわりの教会だからです。
 
聖霊の居られない教会には、集う意味はありません。頭なるイエス様が居られないからです。ただ滅ぶべき人間が頭としているだけです。
 
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