白か,黒か、二極思考

「信仰という名の虐待を受けた人たちがその教会を離れるか、あるいは追い出されると,多くの心理的な困難を経験します。
 
孤独感:虐待を受けた人たちは,教会を離れてから,まず深い孤独感に直面します。なぜ孤独を感じるかといえば、離れたときから,神様に背を向けた不信仰なものと決めつけられ、今まで親しくしていた人たちに裏切り者のような扱いを受けるからです。信仰の友との交わりを失い,そこで得ていた安心感や愛情など心の支えとなるものをなくして,まるですべてを無くしたかのような喪失感を持ち、孤独におそわれます。
 
その教会の牧師は,離れた信者たちに対してとても厳しい態度を取ります。
彼らとの関わりを一切持たないように命じます。
 
「虐待」が行われる教会の教えは常に,二元論の上に成り立っています
 
教会は善、一般の社会は悪。牧師は絶対に正しく、一般の社会は絶対に間違っている。教会や牧師は神側、それ以外はサタン側、と言うことになります。
 
教会の信者の頭の中は,善と悪、白と黒、信頼できる側と出来ない側、というように極端な二極思考になっています。これは、教会の牧師による聖書の教えに基づくもので,信者たちの考え方全体に影響を与えます。そうなるとき、信者たちの考え方が非常に狭くなります。牧師の指示だけによってだけ活動する人間になります。教会や牧師についての批判的な情報を聞いても「それが間違っている」とすぐに思います。逆に牧師や教会がどんなことを言っても、またどんな教えを聞いても「これは正しい」と考えます。
信者たちは何を考えるにしても,必ず二極思考によって判断し,決断します。
 
その教会を離れても,この二極思考の影響はしばらく残ります。その影響で,被害者の心の中には、無意識のうちにいろいろな現象が現れます。一番多く見られるのは,物事についていろいろな見方や考え方があるのを認めないことです。自分は常に正しく、相手は間違っていると言うことです。バランスのある見方、発想が出来ないのです。以前の状態に戻るには長い時間が掛かり特に、完璧主義の傾向のある人は,特に困難になります。
 
2 二極思考を乗り越える
二極思考にマインドコントロールされた被害者は,一度に解決しようとせずに少しずつ気がついてゆくようにするべきでしょう。自分の二極思考に気がついたら気にせずに,自分の考えを封じ込めることの無いように,一般の意見を受け入れて行き、自分の判断を徐々に育てて行くことが必要でしょう。
完璧な世界や社会はないということを理解する必要があります。同様に完璧な人間などはいないと言うことも知るべきでしょう。
 
3.フォビア(恐怖心
虐待が行われる教会では,信者たちをコントロールするために聖書の言葉を利用して恐怖(フォビア)を植え付けます。牧師が独自に解釈した聖書のみ言葉によって、信者たちの心に否定的なイメージが生まれてきます。「神様に逆らうと罰せられる」「サタンはいつも信者が罪を行うように誘惑してくる」「牧師に従わないことは神様に逆らうことだ」「牧師に従わないことは,サタンに負けたことになる」「牧師に従わないと霊的におかしな事になる」
こうして信者は少しずつ牧師や教会を批判する能力を失っていきます。最終的に,牧師と教会に完全に依存するようになってしまいます。
依存する状態が完全に出来てしまうと,牧師は信者たちの考え方、感情、行動をすべて支配することが出来ます。信者たちは、牧師と教会の精神的な支えを失うことに対する恐怖(フォビア)をますます覚えるようになります。自分で判断することが難しくなります。
 
信者たちの精神状態がこの段階に来たときに、教会から離れないようにするために、牧師は聖書のみことばを利用して否定的なイメージを加えてきます。
「教会から離れたら、貴方は地獄に堕ちる」とか「再臨に引き上げてもらえない」「サタンのものになる」「神は永遠に貴方を赦さない」などと信じ込ませるのです。
この様な恐怖(フォビア)はその教会から離れたとしても、信者たちの心の中に深く残ります。そして生活の中でふとしたことで,この恐怖心がよみがえり,その時に大きな苦しいを経験します。場合によってはひどいパニック状態にまで陥ります。この様にマインドコントロールは,多いな傷跡を残し,人の人生をだめにします。
 
 
(「信仰という名の虐待“からの回復」、パスカル・ズイヴィー著、いのちのことば社,からの引用)
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七色の虹は、美しい半円型を描いて,彼方に消えた。白黒の世界では見られないであろう。