内村鑑三「怒るまいぞ」新福音

怒るまいぞ(新福音)
明治33225   『東京独立雑誌』59号「雑壇」  署名 独立生
 
怒るまいぞ、怒るまいぞ


ロマ書 12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」



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、如何なる事がありとも怒るまいぞ、怒るは健康に害あるのみならず又た財政にも害あり、笑ふ門には福来るとの事なれば、余輩は如何なる場合に於てもニコニコ然として此世を経過すべきなり。
偽善者国政を握るも何にかあらん、余輩は彼等に向て憤怒を発すべからざるなり、之を為して余輩或は不敬の罪を以て糺〔ただ〕さるゝに至るやも計られず、余輩は唯〔ただ〕福笑して天下を彼等の為す所に任かし、以て余輩の安全と健康とを画(かく)すべきなり。
神の教会は幇間〔ほうかん〕者流の手に委ねられ、同一の口を以て讃美歌と阿諛〔あゆ〕と虚言とは唱へらるゝも、余輩は決して怒るべからざるなり、之を為して余輩は過激家を以て評せられ、終には無神論者を以て遠〔とおざ〕けらるゝに至るべし、余輩は此場合に於ても笑て肥るの政略を取り、愚物先生に大聖人の称号を奉り、以て余輩と余輩の家族との安全と幸福とを計るべきなり。
余輩に度量大海の如きものなかるべからずと云へば、余輩は泥海を飲み、魔界を消化し、鼓腹して以て「仁慈寛容」を謳歌すべきなり。
以上は余輩が近頃基督教の或る先生より聞くを得たりしものなり、之を聞ひて余輩は新福音に接せしの感あり
怒るまいぞ
たれば記して以て之を余輩の読者に分つ、
但し之を服膺(ふくよう)するとせざるとは読者諸君の意気如何に依るものとす。