内村鑑三 ヨブ記の研究-2 第14講 ビルダデ再び語る

第十四講ビルダデ再び語る 約百記第十八章の研究(十月三日)
 
○第二回論戦はエリパズに依て開始せられ、それに対してヨブは十六章と十七章を以て報いた、されば此度はビルダデの語るべき場合となつたのである、彼はなか〳〵の学者である、頭脳明晰〔めいせき〕にして組織だつた宇宙観、人生観を有せる人である、故に彼の言ふ所は常に理性的にして其論理は整然たるものである、彼の如き明晰にして鋭敏なる頭脳の所有者には、ヨブの返答中に前後矛盾の点甚だ多きことがすぐ分るのである、故に彼はヨブの返答中その所言を打ち破らんと頻〔しき〕りに頭脳を働かせ居りて、いよ〱ヨブ口を閉(と)づるや猛然としてヨブの弱点を衝〔つ〕いて肉迫したのである、その論法の整然たる、その用語の簡潔にして有力なる、さすがのヨブも彼の攻撃に逢ひては大〔おおい〕にたぢろいたのである
 
○そしてビルダデの如〔ごと〕き論理の一面を以てのみ物を見る人にヨブの前章の言が愚劣と見えたのも誠に已〔や〕むを得ないのである、実際ヨブの返答は論理の上に於〔おい〕ては不可解の極である、神に訴ふるための弁護者として神を見、神を怨みつゝ其神に対する仲保者を神に於て求めんとするのである、神を敵とし又味方とし、神を罵〔ののし〕り又神に憐〔あわれ〕みを乞ふ、これ理性と論理に於ては迷妄の極である、しかし乍〔なが〕らその迷妄の中に心霊の切なる要求が潜(ひそ)んでゐる、その愚劣の中に魂の哀切なる呻〔うめ〕きが聞える、その矛盾の中に霊的光明は見えつ隠れつするのである、しかし乍ら心浅き三友には此事は解らない、殊にビルダデにはヨブの論理的欠陥のみが見えるのである。
 
○二節より四節まではヨブに対するビルダデの正面攻撃である、ヨブの嘲〔あざけ〕りの言が彼を怒らしたのである、四節に曰〔い〕ふ「汝怒りて身を裂く者よ、汝のためとて地あに棄てられんや、磐〔いわ〕あに其処〔そのところ〕より移されんや」と、如何〔いか〕に怒を以て激語を放つとも其ために地は棄てられず磐は移らない、神を挑むが如き大なる言を発するも汝の言を以て地を破壊し磐を移らしむる事は出来ないと云ふのである、即ち無益なる空言を慎めとの意である、ビルダデの此ヨブ攻撃は、殊に第四節の如きは罵詈〔ばり〕の語としては簡潔雄勁〔ゆうけい〕にして正に独創的の警句と云ふべきである、されど余〔よ〕はヨブに代つて答へん、一の信仰が能〔よ〕く世界を動かすことあり、神よりの力われに臨めば我に為し得ざること一もなし、ビルダデよ汝の言は過れりと。
 
○五節以下「悪人」を主題として整然たる論理の下に簡潔明快なる語を行(や)る、まさにビルダデが得意の壇場(だんじょう)である、五節より十二節までは悪人滅亡の次第を順序正しく描きたるものである、先づ「悪き者の光は消され、其火の焔は照らじ、その天幕の内なる光は暗くなり、そが上の燈火(ともしび)は消さるべし」と曰ふ、悪人が零落の第一歩を踏む時は其家の中より何となく光が消えて家が暗くなるやうに感ぜられるものである、次には「またその強き歩履(あゆみ)は狭(せば)まり、その計るところは自分(みずから)を陥(おと)しいる、即ち其足に逐(お)はれて網に到(いた)り、又陥阱(おとしあみ)の上を歩むに索(なわ)その踵(くびす)に纏(まつわ)り罟(わな)これを執(とら)ふ」とある、今まで胸を張つて堂々と歩みし者が胸を狭くし下を俯して悄然〔しようぜん〕として歩むやうになる、そして自己の計画が自己を滅ぼす結果となりて自分の張つた網に自分が捕へらるゝやうになる、悪人の失敗は人の計画に破らるゝに非ず自身の計画を以て自身を滅(ほろぼ)すのである、次には「怖ろしき事四方に於て彼を懼〔おそ〕れしめ、その足に従ひて彼を追ふ」そして「その力は饑(う)え、其傍〔かたわら〕には災禍(わざわひ)そなはり……」と以下二十一節までつゞく、
かくして悪人衰退滅亡の状態は簡勁(かんけ)に、順序正しく描き出されたのである、誠にビルダデ独特の筆法である。
 
○十三節に「その膚(はだえ)の肢(えだ)は蝕壊(くひやぶ)らる、即ち死の初子(うひご)これが肢(えだ)を蝕壊(くひやぶ)るなり」とあるを見れば、この悪人必滅の主張が明かにヨブを指したものであること確実である、「死の初子」とは死の生みし者の中最も力あるものゝ意にて癩病を指したものであらう、十四節には「やがて彼はその恃〔たの〕める天幕より曳離(ひきはな)されて懼怖(おそれ)の王のもとに逐(お)ひやられん」とある、家を失ひて流浪し遂には死するならんとの意である、「懼怖(おそれ)の王」は死を指したのである、其上「彼に属せざる者かれの天幕に住み……彼の跡は地に絶え彼の名は街衢(ちまた)に伝はらじ……彼はその民の中に子もなく孫もあらじ……之が日(審判を受けし日)を見るに於て後に来る者は駭(おどろ)き先に出でし者は怖(お)ぢ恐れん」これ実に悪しき者の最後である、かくビルダデは悪人の運命を断定的に描述して最後に確信の一語を加へて言ふた「必ず悪き人の住所〔すみか〕は斯〔か〕くの如く、神を知らざる者の所は斯〔かく〕の如くなるべし」と。
 
○以上ビルダデの悪人必滅論はヨブの場合を指したものであること云ふ迄もない、ヨブが今難病に悩み、子女
悉〔ことごと〕く失せ、死目前に迫り、其跡地より絶たれんとするの悲境にある時、悪しき者の受くる運命はその如しと説くは明かにヨブを「悪しき者」となしたのである、これ汝は正に此悪人なりと暗示したのであるが、その暗示は殆〔ほとん〕ど明示と云ふべき程のものである、ビルダデは実に残酷にも剣を以て悩めるヨブの心臓を突き指したのである。
 
○人は能く「ヨブの苦み」と云ふ、そして産を失ひ妻子を失ひ難病に悩む類のことを意味する、併〔しか〕し是れ果して「ヨブの苦み」であらうか、彼は凡〔すべ〕ての災禍には堪へたのである、産を失ひ子女を失ひ身は業病の撃つところとなりても彼は之に堪へたのである、彼の苦みは他(ほか)に在つたのである、神は故なくして彼を撃つた、神は彼を苦しめてゐる、彼の信ずる神は彼の敵として彼を攻めてゐる、ために彼の信仰は今や失せんとしてゐる、彼の最も信頼する者が彼の敵となつた、ために彼は此者を離れんとして居る、併し乍ら失せんとしてゐる信仰を思ひきつて棄てゝしまふに堪へない、離れんとしてゐる神を一思ひに離れてしまふ事は出来ない、失せんとするものを保たんとし離れんとする者を抑へんとす、茲〔ここ〕にヨブの特殊の苦みがある、即ち暗中にありて強〔し〕ひて信仰を維持せんとする苦みである、此事を知らずして約百記を解することは出来ない。
 
○かくヨブは苦んでゐる、その孤独の苦みを察し得ずして友は頻りに彼を責めることに没頭してゐる、そして十八章のビルダデの言はヨブに対する可成り激しき攻撃である、或〔あるい〕は病毒のために身体の腐蝕〔ふしよく〕するを云ひ、或は死が近く臨むと云ひ、或はその跡 悉(ことごと)く絶たるゝと云ふ、まことに毒を含める強き皮肉である、この語を聴き居る間のヨブの心中如何〔いかん〕、友は敵と化して其鋭峻〔えいしゆん〕なる論理を武器として彼を責めたてる、友の放つ矢は彼の心臓に当つて彼の苦悩は弥増(いやまさ)るのみである、この時ヨブの苦悩悲愁は絶頂に達したのでる。
 
 
 
 
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○故にビルダデに答へしヨブの十九章の言はヨブの此心理を知りて後ち読むべきものである、此章に於てヨブは初めて友に向つて「我を憐(あわれ)め」との哀音(あいおん)を発するに至つたのである、今まで一歩も友に譲らざりしヨブも遂に我を悩ます内外の敵の鋭さに圧迫されて友に憐みを乞ふに至つたのである、彼の心事また実に同情すべきではないか.