光と闇の戦い

マタイ 5:9平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。

 
藤尾先生がブログを再開してくれた。今年の1月から週間から月間に変わったのだが,随時と言う事で不定期、不規則で再開されたのは真に嬉しい限りであります。早速イスラム国と犠牲になった二人の日本人についてのコメントが出されて先生流の見方に感じ入る。
 
私たちは,主に仕える他の人に対立するために召されたのではありません。お互いにつま先を踏む事無く、働きを続けるだけの場所はたっぷりあり,世界は大きく広いのです。「やめさせることはありません」(ルカ950)という主の言葉を深く心にとめなければなりません。
一方主はこの人のところに言って一緒に働け、とは言っておられません。一人一人の方法は互いに違い、メッセージの強調点も互いに違います。あらゆるクリスチャンを自分と全く同じ鋳型に入れることが出来るなどと思ってはなりません。パウロは言います、
 

ピリピ1:15人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。

 1:16一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが、

1:17他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。

1:18すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。

 
「何時になったら私たちに分かるのだろうか。この時代の光と闇との激しい戦いの中で,たとえ個人的好みには合わなくとも、友軍の支援が必要であること、そして、反キリストの嵐にまっしぐらに突き進むためには、共に協力しなければならない、ということが。」とトム・シューメーカーは言います。


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