どんなことでも出来るのです。

ピリピ 4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
 
こうした聖句は誤解されやすい物です。これを読んだ私たちはとてつもない事が出来るようになると思ってしまう。例えば私は左半身が麻痺して手と足が旨く動かない。それでもイエス様は動くようにしてくれて,左手でそばチョコを持って

そばをすすることが出来るようになったり、杖もつがずに平気で何キロも歩けるようになったり出来ると言うことを思いがちである。それで出来無いのは自分の信仰に欠けたところがあって出来無いのではないかと,主を疑ったり恨んだりしがちであります。でも主はそうゆうことを言ってるのではなく、主が私たちに望んで居られることならば、それを行う力も与えて下さると言うことだと思います。

主のみ心の範囲ならば,不可能なことは何一つ無いという事のようです。
ですから自分の力では水の上を歩くことは出来無いと分かっていましたが、もし主が命じて下されば自分でも歩けると思って,イエス様が「来なさい」と命令するとペテロは水の上を歩いた。要は,主が命じられる事であるのであれば、主がそうできるようにして下さる」
イメージ 1
如何なる試練で有ってもそれに耐える力を,そうできるように、主は与えて下さると言う確信を持つようにして下さいます。
神のご計画の流れの中で自分が前進しているどうかを見極めることは重要です。そうするなら、神の恵みによって支えられ、強められるという喜ばしい確信を持つことが出来ます。
*神のご計画がどこに有るのかの見極めが大事です。日々の流れの中で主の流れを読むことが大事