内村鑑三 創世記 善悪2子の裔

8.善悪二子の裔〔創世記第四章第一六節―第二六節〕
 
 
 
十六、カイン、ヱホバの前を離れて出てエデンの東なるノドの地に住めり、
 
十七、カイン其妻を知る、彼女孕〔はら〕みてエノクを生めり、カイン邑(まち)を建て其邑の名を其子の名に循〔したが〕ひてエノクと名(なず)けたり、
 
十八、エノクにイラデ生れたり、イラデ、メホヤエルを生み、メホヤエル、メトサエルを生み、メトサエル、レメクを生めり、
 
十九、レメク二人の妻を娶〔ねと〕れり、一(ひとり)の名はアダと曰〔い〕ひ、一の名はチラと曰へり、
 
廿、アダ、ヤバルを生めり、彼は天幕に住みて家畜を牧〔か〕ふ所の者の先祖なり、
 
廿一、其弟(おとうと)の名はユバルと云ふ、彼は琴と笛とを把(と)る凡ての先祖なり、
 
廿二、亦チラ、トバルカインを生めり、彼は銅(あかがね)と鉄の諸(もろ〳〵)の刃物を鍛〔きた〕ふ者なり、トバルカインの妹をナアマといふ、
 
廿三、レメク其妻等に言ひけるはアダとチラよ我が声を聴け
 
レメクの妻等よ我が言(ことば)は容(い)れよ、我れ我が創傷(いたで)のために人を殺す、我が痍(きず)のために少年(わかうど)を殺す。
 
廿四、若しカインのために七倍の罰あればレメクのためには七十七倍の罰あらん。
 
廿五、アダム復(ま)た其妻を知りて彼女男子を生み其名(かれ)をセツと名けたり、其は彼女神我にカインの殺したるアベルのかはりに他の子を与へ給へりと云ひたればなり、
 
廿六、セツにもまた男子生れたり、彼其名をエノスと名〔なづ〕けたり、其時人々ヱホバの名を呼ぶことをはじめたり。
 
○最初の善人は最初の悪人の殺す所となりて、地は竟〔つい〕に悪人の所有に帰せり、地上に於ける悪人の跋扈〔ばつこ〕は今日始まりし事にあらず、彼は世の創始(はじめ)より既に其主人公たりしなり、善人の此世に在るは羈客〔ききやく〕の異郷に在るが如し、彼に土地なく、家屋なく彼はたゞ倚寓者(さすらひびと)として悪人の中に流寓するのみ、吾等何んぞ此地に於て吾等の受くる不遇虐待を歎くを須〔もち〕ゐん、之を義(ただ)しきアベルに与へずして悪しきカインに賜ひし神は義人繁栄のために別に佳き所を備へ置き給はざらんや、(十六節)
 
 
 
○カインがヱホバの前を離れて後に住めりしといふノドの地は今之を知るに由なし、ノドは「追放」の意なり、故に或は是れ単にカインの占領せし地域の全躰を指して云ふ言辞ならん、若〔も〕し然らんにはノドの地は亜細亜〔アジア〕大陸東半部に適用すべき名称なるやも計られず、カインの子孫は支那人なりとの断定は今日直に之を下すこと能はずと雖〔いえ〕ども、而もカインの子孫がセツのそれに較べて全然物質的なるを思ふて、此断定の全く根拠なき者にあらざるを知らん、(十六節)
 
 
 
○カインの妻は其姉妹ならざるべからずと言ひて近親結婚を黙認するの罪を以て聖書を責むる者あり、然れども是れ聖書の関り知らざる問題たるや言を俟〔ま〕たず、聖書は()罪人の始祖たるカインの行為を弁護せず、()若し
 
人類は一対〔いつつい〕の夫婦より生れし者なりとすれば兄妹の結婚は彼に取りては一度は免かるべからざることなり、故にカイン若し此事を為したりとするも彼は近親相姦罪を犯せりと言ふべからず、()人類は必ずしも一対〔いつつい〕の夫婦より生成せしものにあらずして、アダム、エバの外に尚ほ男女ありたりとの説は学者の往々唱ふる所の者なり、学識、信仰両つながらを以て嘖々〔さくさく〕たりし瑞西(スウイツル)の博物学アガシの如きは固く此説を取て動かざりしと云ふ、吾等をして如斯〔かくのごと〕き小問題に拘泥して聖書の伝ふる道徳上の大問題を看過せざらんことを努めしめよ、(十七節)
 
 
 
○始めて市邑(まち)を建てし者は始めて人を殺せし者なりき、依て知る都市と殺人罪との間に深き関係の存することを、都市は罪悪の枢府なる事は昔も今も変はることなし、バビロンなり、ローマなり、倫動〔ロンドン〕なり、巴里〔パリ〕なり、紐育〔ニユーヨーク〕なり、桑港〔サンフランシスコ〕なり、東京なり、横浜なり、名古屋なり、広島なり、一として罪悪の巣窟にあらざるはなし、言あり曰〔いわ〕く神は村落を作り、人は市邑を作れりと、人々相接近して競争場裡に相互の生血を吸取するの社会は是れ神の定め給ひし者にあらざるや明かなり、カインが始めて邑を建てしや、彼は蓋〔けだ〕し意〔おも〕ひしならん、「我れ既に神を離れたれば人と相接近して神より仰ぐ能〔あた〕はざる援助を人より得んと」、然れども人は、神より離れて如何〔いか〕で其隣人と永久に相親むを得んや、人は神に託〔よ〕りてのみ互に相交はるを得る者なれば、神より離絶せし者が相集合して其数或は十万に及び百万に達することあるも、是れ単に利益の集合にして慈愛援助の集合にあらざるは勿論なり、誰か東京市は人口百万の市なりと聞て其愛憐和合の団躰〔だんたい〕なりと信ずる者あらんや、人は其形躰に於て互に相接近するに随て其衷心に於て益々相離隔する者なるが如し、若し人情の最も菲薄〔ひはく〕なる所を知らんと欲せば、之を都市人口稠密〔ちゆうみつ〕の所に於て探るに若〔し〕かず、真個の孤独は山中人なき所に於てあらずして、市街に在て家々軒を接する所に於てあり、故に神に近〔ちかづ〕かんと欲する者は必ず市街喧囂〔けんごう〕の所を去らんことを欲す、緑陰の下に軟風袖を払ふ所に於てのみ真個の愛心と友情とはあるなり、「カイン邑(まち)を建て其邑の名を其子の名に循〔したが〕ひてエノクと名けたり」と、殺人犯(ひとごろし)の始祖の創設に係る市邑は神の子の居住すべき所にあらず、(十七節)
 
 
 
○エノク、イラデ、メホヤエル、メトサエル、レメク等子々孫々罪悪の市邑に生長し、天然の美を知ること至て尠〔すくな〕く、神を去ること益々遠く、唯だ俗智にのみ長じ、誠実に代ふるに虚礼を以てし、天真なるを野蛮なりと称せ
 
しならん、都人士とは人為的人物の称なり、人の作りし習憤を以て神の造りし天然の法則に代ふる者なり、彼等の挙動が優美なるが故に彼等を貴しと思ふべからず、彼等はカインの裔〔すえ〕なり、殺人犯者(ひとごろし)の子孫なり、(十八節)
 
 
 
○市邑は罪人の創設せし者なるが如く、多妻も亦罪人に依て始められし悪習なり、罪悪と多妻とは其間に密接の関係を有するものなり、殺人犯の始祖なるカインの裔に多妻の開始者たるラメクありしは決して怪むに足らず、人を殺す者は多くの妻()を有〔も〕つ者なり、多くの妻を有〔も〕つ者は多くの人を殺す者なり、昔時に於て然り、今日に於て然り、社会の現状に深き観察を下す者にして此一事を暁〔さと〕らざる者あるなし、(十九節)
 
 
 
○多妻は多淫より来り、多淫は神を信ぜざるより来る、神を信じて愛情は聖化され情慾は制限され、人は一人の妻の外にその佳耦を求めざるに至る、無信は家庭紊乱の始めなり、情を潔むるに神を信ずるに優る途あるなし、(十九節)
 
○婦人の名は其始めより優美なりし、アダは「装飾(かざり)」を意味し、チラは「影」の義なり、暴人ラメク「かげ」と「かざり」とをして其両側に侍らしめ、以て其憂愁を慰む、恰〔あた〕かも我国当今の富者を六千年前の昔時(むかし)に於て見るが如し、(十九節)
 
 
 
○悪人ラメク其妻の一人なるアダに依りてヤバルを生めり、彼は天幕に住みて家畜を牧〔か〕ふ者の先祖となれり、後日ベドーウィン族となりて旅人の掠奪に従事せしものは此徒ならん、牧畜に二種あり、畜類を友とし、之に人類の保護を供して、之より綿毛乳汁の供給に与〔あず〕からんと欲する、是れ正当の牧畜なり、義人アベルが従事せしと云ふ牧畜業は蓋〔けだし此種のものなりしならん、多く豚牛の類を飼育し、之を屠(ほふ)り、其肉を鬻(ひさ)ぎて利を贏(あま)す、即ち血を流すことを以て家業となすもの、是れ不正の牧畜業にしてヤバルが創始せしものならん(廿節)
 
 
 
○殺伐的牧畜業の開始者ヤバルの弟にユバルあり、彼は琴と笛とを把る凡ての者の先祖なりといふ、以て知る、音楽なる者も亦悪人の家庭に於て発見されし者なることを、兄のヤバルは性兇猛なるが故に野に畜類を逐〔お〕ふて快を取り、弟のユバルは性惰弱なるが故に琴と笛とに其惰情を訴へて其憂悶〔ゆうもん〕を遣(や)らんとせり天の真理の心琴に触れて独り黙想して宇宙の調和を楽しみ得ざるが故に、其憂愁を音声に顕はし之を楽器に移して、霊感の欠を補はんと欲す、深く感ずる能はず、故に口に歌ひ、楽に和す、沈黙に勝(ま)さる音楽なきに、糸と風との力を藉(か)り来て微弱なる感想に力を添へんと欲す、ミルトンの「失楽園」中に魔族が琴を弾じて其悲痛を癒〔いや)さんとするの一節あり、曰く其声は美はしく其調は悲しと、笛声秋空に響き渉る時に吾人は神を離れし孤児の悲鳴を耳にして、神の懐〔ふところ〕に帰り来りし聖徒の凱旋の声を聞かず、(廿一節)
 
 
 
○音楽は悉〔ことごと〕く悪しきに非ず、ハイデン、ベートーベンの天の美音を吾人に伝ふるあり、然れども音楽の多くは娯楽の為なり、怨咽の声に非ざれば遊蕩の譜、卑情を喚起し、劣想を促す者、狂歌に伴ふ者、飲酒を幇くる者なり、世の罪悪にして音楽に伴はれざるは稀なり、而して其一度び神の礼拝堂に採用されしや、人は教師の説教に意を注がずして楽人の音楽に耳を傾くるに至れり、宜〔うべ〕なり、清教徒が神の聖殿を潔めんためには音楽の廃止を実行せざるを得ざるに至りしは、美術勝つの時は信仰の衰ふる時なり、昔時の予言者にして楽を其民に勧めし者ありしを聞かず、ヱレミヤなり、コロムウエルなり、ジヨージフホツクスなり、彼等は皆な美術の排斥者なりし、正義は美術の之に附随することなくして其物自身に於て美なる者なり、街頭に琴と笛との懦夫〔だふ〕の繊手に依て奏せらるゝを看よ、而して其カインの裔なるユバルの発見に罹〔かか〕りし者なるを知れよ、(廿一節)
 
 
 
○アダの二子は凶人と懦夫(だふ)、チラに亦二子ありし、其一人をドバルカインと云へり、彼は銅と鉄の諸(もろ〳〵)の刃物の発見者なりしと云ふ、是れ亦カイン族適当の発見たりしや論を俟(ま)たず、カインは多分棍棒を以て其弟アベルを打殺せしならん、然れども「文明」の進歩と同時に人は棍棒に優るの殺人具の必要を感ずるに至りしならん、茲(ここ)に於てかレメクの子トバルカインは大なる発見を社会に供せり、銅と鉄とを以て製せられたる武器の発見是なり、カイン族は如何(いか)に大なる称讃の声を以て此発見を迎へしぞ、恰(あた)かも今日基督教を信ずると称する独逸に於て無煙火薬の発見が迎へられしが如き歓迎の声を以て、或は世界第一の新教国を以て世界に誇る英国が潜水水雷艇の発見を迎へしが如き歓呼の声を以て、彼れトバルカインはカインの子等に迎へられしならん、彼の大なる発見に由て殺人は容易なる業となれり、此利器の彼の手に依て発見せられてよりカイン族は更に地上に於ける其領土を拡張し得て、威を彼等の近隣に在る神を畏れ人を愛する族(やから)の上に揮(ふる)ひしならん、此地は創始(はじめ)より悪人に属する者、而して彼等は益々其武器を改良して、地上の覇権を失はざらんと力(つと)む、一手に聖書を握り、他手に剣を翳(かざ)し、文明を蛮民に強(しい)ると称して殺伐に従事すクルツプ砲を以てするも、棍棒を以てするも殺人は殺人にして大罪悪なり、人を殺す者は凡てカインなり、其独逸皇帝なると露西亜〔ロシア〕皇帝なると英国皇帝なるとを問はず、人を殺し、トバルカインの類を歓迎し、之を賞するに位階勲章を以てする者は凡てカインの例に傚(ならつ)て神に呪(のろ)はれ且つ罰せらるゝ者なり、此事に関する聖書の教訓は其明瞭なること天日の空に輝くが如し、(廿二節)
 
 
 
○武器の発見者トバルカインの妹をナアマと云へり、ナアマ之を釈(と)けば「愛嬌」の意なり、兄は軍人にして其殺人的勲功を以て世に歓迎され、妹は「愛嬌」を以て其名交際場裡に高し、世に幸福なるカインの一族の如きはなし、光栄一家に溢れ、勲章燦爛たり、然れども……(廿二節)
 
○彼の子に由て金属製の武器の発見せられて、ラメクは歓喜措(お)く能はず、彼の意は昂(たか)し、彼の情は熱し、爰(ここ)に最初の詩歌は成れり、之を名(なづ)けて「ラメクの剣の歌」と云ふ、武器の効能を讃せし歌にして軍人の敵愾心(てきがいしん)を以て充たさる、(廿三、廿四節)
 
アダとチラよ我が声を聴け
 
レメクの妻等よ我が言を容れよ
 
自己の腕力を誇るに之を社会公衆の前に於て為さずして其妻()に向て為す、軍人の自慢なる者は多くは是れ
 
婦人の歓心を買はんがために言ひ顕はるゝ者、真勇の沈黙を守て天の称讃を待つの類に非ず、
 
我れ我が創傷(いたで)のために人を殺す
 
我が痍(きづ)のために少年を殺す
 
我に無礼を加へし者を我は罰せずして止まずとの軍人の精神なり、名誉を重ずると称し、耻を雪(すす)ぐと唱へて、復仇を敢てす、復讐を名誉なりと宣言せしはカインの裔なるラメクを以て始まる。
 
若しカインのために七倍の罰あれば
 
レメクのためには七十七倍の罰あらん、
 
我が祖カインは彼の粗末なる武器を以て僅(わずか)に七倍の復讐をなすを得たり、然れども我は精良なる近世発見の武器を以て我の尊厳を冒す者に七十七倍の罰を加ふるを得べしと、恰(あた)かも英国兵がリダイト砲の一発を以て杜兵(トランスバールへい)数百人を一時に鏖(みなごろし)にせしが如き、又独逸皇帝が其精良なる陸軍に恃(たの)んで支那人厳罰の令をワルデルゼー将軍に下せしが如き、武器に頼る暴勇の発表なり、トバルカインの剣の歌は文明国今日の軍歌の濫觴(らんしょう)なり、(廿三、廿四節)
 
 
 
○以上をカイン族が人類社会に伏せる貢献物なりとす、都市の制なり、牧畜業なり、楽器なり、金属製の武器なり、軍歌なり、即ち文明の肉情的半面なり、即ち神に頼らずして単独を慰めんための制度(都市)、肉食して肉情
 
を昂進(こうしん)せんための職業(牧畜)、娯楽の具(楽器)、殺人の機械(武器)、敵愾心の発表(軍歌)、是なり、而して二十世紀の今日世の文明と称へらるゝものは多くは是れカイン族の此等の発見に更に改良を加へたるものに過ぎず、文明の進歩とは実はカイン族の進歩なり、英国はカイン族が僅に基督教の表面を採用して、世界の陸面五分の一以上に其領土を拡めし者なり、独逸国の陸軍とはトバルカインの武器改良の殆んど其極に達せし者なり、伊国の音楽とはユバルの美術が其巧妙の絶頂に達せし者なり、米国の牧畜とはヤバルのそれを大陸大になせしものにして、シカゴはヤバルの産を広く世界に鬻(ひさ)ぐための市場なり、而して巴里、倫動(ロンドン)、東京、名古屋、大阪、広島等はエノクの邑を拡大せし者にして、罪悪の醸造所、偽善の繁栄地、美術の練習所、武器の製造所にあらざれば其貯蓄所、兵力の集合点、敵愾心の吹入所なり、之を文明と称すれば其名甚だ美なるが如しと雖も、その殺人犯の始祖なるカインの族に由て開始せられ、且つ発見されし制度文物の発達せしものなるを知て、吾人はその吾人の讃称の辞に値する者にあらざるを認めん。
 
 
 
○然れども幸にして神は悪人にのみ此世を渡し給はざりしなり、彼はアベルに代て亦一人の義人を世に遣(つか)はし給へり、アダム亦其妻エバに依りて更に一子を生めり、其名をセツと名(なづ)く、セツ之を解けば「代用」の意なり、アベルに代て正道を此世に伝ふべき者なれば斯く名けられしならん、(二十五節)
 
 
 
○セツにもまた男子生れたり、彼其名をエノスと名けたり、其時人々ヱホバの名を呼ぶことを始めたりと云ふ、即ちエデンに於ける其叛逆に由て人類が忘れんとせし神に対する信仰がセツの子エノスに依て回復され、茲に再
 
びヱホバの聖名は人に依て称へらるゝに至りしが如し、是れ即ち最初の信仰復活にして、かの十六世紀の始に方〔あたつ〕て羅馬教会の腐敗其極に達して、ルーテルの一声に欧洲人の信仰の忽焉(こつえん)として復興せしが如きはエノスの此信仰復興の継承ならずんばあらず、世に汚隆なきにあらず、正気時に光を放つ、神は永久に此地を悪人の手にのみ委〔ゆだ〕ね給はず、彼れ時に正義の士を遣はして、世の罪悪を糾(ただ)し給ふ、アベル殺されてセツ世に出たり、吾人何んぞ義人の煙滅に就て深く憂ふるを須(もち)ゐん、セツは既に吾人の中にあらん吾人は遠からずして彼の声を聞かん、(廿六
 
)。〔以上、明治35620
 
 
 
9.長寿時代〔創世記第五章〕