内村鑑三 創世記 ノアの大洪水(1)

其六  ノアの大洪水   創世記 六章より九章まで 1930(昭和5)1
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○ノアの大洪水に就ては四章に渉〔わた〕り創世記に記載せらる。其内どれ丈けが歴史的事実である乎、之を確定する事が出来ない。其内に今日の常識を以つてしては事実として受取り難い事が尠〔すくな〕くない。第一に大洪水が世界的であつたと云ふは今日で云ふ世界的でなかつた事は疑ふ余地がない。洪水全地を掩〔おお〕へりと云ふは当時知れ渡りたる世界を掩(おお)へりとの事であつたに相違ない、即ち太古文明の発源地たるチグリス、ユーフラト両大河の沿岸並に中間、地を指して云うたのであつて、それが太古の民に取り天下であり世界であつたのである。故に洪水全地を掩へりと云ひしは、今日の地理学を以て言へば、南はペルシヤ湾頭より北はアルメニヤ高原までを掩へりと云うたので
ある。是れ広大なる地域であつて、縦〔よ〕し其半分が水に掩はれたりとするも、之を世界的大洪水と称して不可なしである。
 
○第二に、凡ての生物がノアの方舟(はこぶね)に由つて救はれたと云ふは、是れまた事実として受取る事が出来ない。縦(よ)し神の業(わざ)なりとするも、斯かる事の有り得べき筈なく、又有る必要をも考ふる事が出来ない。哺乳動物何百種、鳥類魚類何千種、軟躰動物、昆虫類何万種が雌雄一番(ひとつがひ)づつ方舟の内に生きながら採集せられて、溺死〔できし〕を免かれたりと云ふが如きは、今や之を真面目〔まじめ〕なる事実として取扱ふ事が出来ない。其他虹が始めて大洪水の後に現はれたが如くに記すは人を迷はし易くある。是等の事に注意せずして古い聖書学者等が聖書を弁明せんとする熱心よりして、今より見れば多くの笑ふに堪へたる弁証を試みしは、以つて今日の我等を警〔いまし〕むるに足る。其一例を挙げんに、
彼等は化石は凡て洪水以前の生物の遺跡なりとし、その世界到る所に存在するを指して洪水の世界的なりしを証明せんとした。然るに地質学の進歩に由り、化石の由来の明かにせられしや聖書は識者の前に其価値を落したのである。そして斯かる弁証が今より僅かに百年前に試みられしを知りて、科学の進歩の急速なりしに較べて聖書解釈術の遅々たりしに驚かざるを得ない。ノアの大洪水を正当に解釈するは容易の事でない。
 
○然らばノアの洪水は拠所〔よりどころ〕なき空談又作話である乎と云ふに決してさうでない。太古時代に大洪水のあつた事は多くの民族の口碑に存する所である。殊に其中心たりし両大河沿岸の地に於ては大洪水の伝説は深く住民の記憶に刻まれた。創世記の記事と大差なき洪水の記録がニネベの城趾(しろあと)より発見された。殊に注意すべきは近年行はれしアブラハムの故郷なりしカルデヤのウルの市の、沙漠の砂に埋まりし者の発掘の結果である。之に依れば今より五千年乃至〔ないし〕六千年前に彼地に洪水の久しきに渉り溜まり居りし歴然たる形跡がある、即ち古代文明の遺物を埋蔵する地層数十尺の下に六尺乃至八尺の沖積層ありて、其また下により旧き文明の遺跡を留むる、是れ亦数十尺の地層があると云ふ。之に依つて判断すればウルを中心とする今日で云ふメソポタミヤ地方に於て、或時大洪水に由て旧文明の破壊が行はれ、そして年を経て後に新文明の、洪水に由つて堆積されし沖積層の上に起りし事が判明〔わか〕る。ウルの発掘は創世記研究に関し多くの貴重なる事実を寄与した。大洪水のありし事が地質学的に明白になりて、其詳細の説明は之を他日の探究に待つ事が出来る。
 
○考古学の探究に由つて創世記の記事が悉〔ことごと〕く説明せらるゝ時の到来を見る乎否乎(いなか)は今日断定する事は出来ない。
然し乍ら今日断定し得る事は大洪水に現はれたる信仰的事実である。神を信ぜし者が如何にして此大天災に臨みし乎、如何にして災害を免かれし乎、如何にして其利益に与かりし乎、是れ創世記が伝へんと欲する所である。
聖書は全体に歴史的であるが、厳密なる意味に於ての歴史でない。それが地質学又は気象学、其他の科学を教ふる為の書でない事は言ふまでもない。聖書は信仰の書である、人事天然を信仰の立場より観〔み〕て、観察実験の結果を伝ふる書である。聖書は信仰を伝へて誤らない。若し其他の事に就て誤謬があるとするも……そして聖書が著(か)かれし時と場合を考へて誤謬と思はるゝ記事の甚だ尠きに驚く……敢〔あえ〕て意を留むるに足りない。先づ大洪水の歴史的事実を確かむるにあらざれば、其記事を信ずる能はずと言ふ者は、聖書を始めとして、凡ての信仰、理想を述ぶる書を読むの眼を有たない者である。
 
○唯一つ、何れの方面より見るも明白なるは、所謂ノアの大洪水が太古文明の終末(おはり)であつた事である。若し洪水以前史なる者があつたとすれば、それはノアの洪水を以つて終結(おはり)を告げるのである。歴史に劃(かく)時代的出来事のありしは今や何人も知る所である。そしてノアの大洪水は其一であつた。之に由つてアダムよりノアの第六百年に至るまでの人類一千有余年間の文化的生命が破壊に終つたのである。神を離れたる文化、即ち物質的文明に終末の臨む事、而かも終末は絶滅にあらざる事、破壊の内より神は義人を以つて義の世界を新たに起し給ふ事其事を伝ふる者が大洪水の記事である。
〔以上、210