内村鑑三 ヨブ記の研究-2 第3講 ヨブの哀哭(かなしみ)

 
第三講 ヨブの哀哭   約百記第三章の研究(五月九日)
○ヨブの哀哭〔かなしみ〕は約百ヨブ記の到る処にあれど、第三章はその哀哭の最初であり且〔かつ〕その最も代表的のものなるが故に此章の研究は甚だ有意味なのである。
 
○さて此の章の研究に当り注意すべきは五章十九節の「彼は六つの艱難(なやみ)の中にて救ひ給ふ、七の中にても災禍(わざわひ)汝に臨まじ」の語である、ユダヤにありては七は完全を意味する語であれば六は未完を示す辞である、故に七の艱難(なやみ)とは艱難(なやみ)がその極に至つたことを意味するのである、今ヨブの場合を見るに事実上六の艱難は既に臨んだのである、牛と牝驢馬(めろば)全部及び僕若干、羊全部と僕(しもべ)若干、駱駝〔らくだ〕全部と僕若干、子女全部、健康、妻と六回に分つてこれ等を失つたのである、第四以下の艱難の如きは可成(かなり)手痛きものであり第六の如(ごと)きは其最たるものであつた、けれども禍(わざはひ)は尚ほ六に止まつてゐた、もし更に之に加へて第七の災来る時ヨブの艱難はその極に至るのである、そして若し尚〔な〕ほ来るべき艱難があるとすればそれは友の離反である、或場合に於て妻よりも尚〔な〕ほ能く人の心を知るものは真の友である、妻が彼を解し得ざるも友が彼を解し得ば宇宙間尚ほ一点の光が残るのである、もし此最後の光まで失せ去つた時は即ち第七の艱難が臨んだのであつて、茲〔ここ〕に艱難は其完全に達し、宇宙は暗黒となるのである
○ヨブの曩(さき)の地位を以てしては彼は寧〔むし〕ろ友の多きに苦しんだであらう、しかし之等の友は皆彼の零落(れいらく)と共に彼を離れたであらう、けれども彼は少くともエリパズ等三人は彼の心を解し得ると思つてゐたに相違ない、案の如く三人は遠きを厭〔いと〕はずして彼を見舞ふべく来た、凡〔すべ〕ての人に棄てられたるヨブは如何〔いか〕に三人の来訪を歓んだであらうか、遥かに三友を望み見し時彼の心は天にも昇るべく躍つたであらう、併〔しか〕しヨブに又或危惧がないではなかつた、そは彼等三人も亦〔また〕或は彼の真の心を解し得ないではあるまいかとの疑であつた、それは青空に一抹〔まつ〕の黒雲を望み見て雨の襲来を虞(おそ)るゝ旅人の心と同じ虞(おそ)れであつて、心より払はんとするも払ひ得ない一種の雲影であつた。
 
○一方エリパズ等三友は来り観て想像以上の悲惨なる光景に先づ吃驚(きつきよう)し同情と共に一種の疑の起るを防ぎ得なかつたのである、多分彼等は途中ヨブについて種々の悪評を耳にし之を打消しつゝ来りしも、疑もなくそれは或暗示(ヒント)を彼等に与へたに相違ない、そして彼等愈〔いよい〕よ来り見ればあまりに陰惨(いんさん)なる有様よ! あまりに大なる変化よ! 町の外に逐(お)はれて乞食の如く坐し悪腫(あくしゅ)全身を犯す其惨状よ! 疑ふヨブ或は隠れたる大罪を犯して此禍を受けしにあらざるか、彼れ信仰に堅く立ち行ふ所正しからんには斯〔かく〕まで大なる禍に会する道理なきにあらずやと、同情のみが彼等の心を占領したらんには彼等は直〔ただち〕にヨブに近〔ちかづ〕いて篤〔あつ〕き握手をなし以て慰藉の言〔ことば〕を発したであらう、然〔しか〕るに如何に其驚き大なりしとは云へ七日七夜地に坐して一語をも発しなかつたと云ふのは、彼等の心に同情のほかに右の疑が擡頭〔たいとう〕してゐた事を示すものであると思ふ。
 
○そしてヨブは三友の態度表情に依て彼等の心に潜む此疑―即ち彼に対する批難―を直覚したのである、彼
等は遂〔つい〕に彼の頼むべき友ではなかつた、彼の虞れつゝあつた事が事実となつて今目前に現れた、かくて最後の頼みの綱も愈よ切れたのである、禍は六を以て終らず愈よ七に迄(まで)至つたのである、即ち彼の艱難(なやみ)は其極に達したのである、為に洪水の如き悲痛が彼の心を満たすに至りそれが自〔おのずか〕ら発して第三章の哀語となつたのである、これ決して余一人の憶測にあらず深き約百記研究家幾人も認むる所である、斯る推測を二章と三章の間に加へずば三章に於けるヨブの信仰の急変を説明する道がないのである、産を失ひ子女悉〔ことごと〕く死せし時も彼は「われ裸にて母の胎(たい)を出でたり又裸にて彼処(かしこ)に帰らん、ヱホバ与へヱホバ取り給ふ、ヱホバの御名は讃(ほ)むべきかな」(一の二一)と云ひ、また妻が信仰放棄を勧むるに会しても「汝の言ふ所は愚(おろか)なる女の言ふ所に似たり、我等神より福祉(さいわい」を受くるなれば災禍(わざわい)をも受けざるを得んや」(二の十)と述べて静に信仰の上に堅立してゐた、そのヨブが友人の来訪に会して突然三章の痛歎を発して我運命を詛〔のろ〕ふに至るは、必ずそこに彼の心理状態の急変を促す或誘因があつたに相違ないのである、そして其誘因を友の離反の直覚と見るは唯一正当の見方であると思ふ。
 
○第三章は三段に分ちて見るべき者である、第一段は一節―十節であつて呪詛(のろひ)の語である、悲歎の極ヨブは何物かを詛はざるを得なかつた、そして他に詛〔のろ〕ふべき何者をも有せざる彼は、遂に我生れし日を詛つたのである、これ注意すべき点である、普通の信者は斯〔かか〕る際は神を詛〔のろ〕ひて信仰を棄てる、信者ならぬ者は或は社会を詛〔のろ〕ひ先祖を詛〔のろ〕ひ父母兄弟を詛ひ友を詛ふ、しかしヨブは斯る心理状態に入らなかつた、彼は到底我神を詛ふことは出来なかつた、又他の者を詛ふことを得なかつた、故に其生れし日を詛つたのである、極端なる患難に会しても神を詛はず、神を棄てず、又神の存在を疑はず、こゝに彼の信仰の性質の優秀なることを知るのである。
 
○一節―十節の此呪詛(のろひ)の語の如何に深刻痛烈なるよ! 其中二三難解の語を解せんに、八節に「日を詛ふ者レビヤタンを激発(ふりおこ)すに巧(たくみ)なる者これを詛へ」の語がある、「日を詛ふ者」とは日を詛ふ術者のことである、「レビヤタン」は日月蝕を起す怪獣であつて「レビヤタンを激発(ふりおこ)すに巧なる者」は此怪獣をして日月蝕を起さしむる魔術者のことである、故に八節の語は術者をして良き日を詛ひて悪日となさしめ、魔術者をして普通の日を日蝕の日となし普通の夜を月蝕の夜となさしめんと願つたものである、古代に於ては日月蝕を不吉と見たのである、次に九節の「東雲(しののめ)の眼蓋(まぶた)」は東雲を美婦人の起床に譬〔たと〕へての語である、曙の美は此世に於ける最上の美とも云ふべきもの、殊に古代文学には之を讃美した麗はしき文字が多いのである。
 
○十節までに於て激越の調を以て生れし日を詛ひしヨブは十一節―十九節に於て死と墓とを慕ふ心を述べたのである、実に人は苦痛の極に至るや死して一切を忘るゝ休安(やすみ)を懐(おも)ふに至るのである、しかし乍(なが)ら死せんとするも死し得ざる彼、墳墓を尋ね獲んとするも獲ざる彼は二十節以下に於て依然たる悲調を以て神に迫るのである、その辞切々人の心を動かさずば止〔や〕まぬのである、併し彼の友は此哀哭(かなしみ)に接してヨブを以て信仰的堕落者と定め彼を責めるのである。( 因〔ちなみ〕に記す、ヨブの此死を慕ふ語と似たるものを聖書中に求むれば耶利米亜〔エレミヤ〕記二十章十四節以下の如きはそれである)
 
○ヨブ己が生れし日を呪〔のろ〕ひ又死と墓とを慕ひてやまぬ、然らば彼は何故に自殺を決行せざりしかとの疑問起る、一度我生命を絶たば絶対の休安(やすみ)に入り得るのである、彼の如き死を慕へる者に於ては是れ最上の、且〔かつ〕最捷径〔しようけい〕の問題解決法ではないか、マシュウ・アーノルドの作なる「エトナに於けるエムペドクレス」(Empedocles at Etna)は此意味を表したる劇詩である、エムペドクレスが人生を不可解となして遂にエトナの噴火口に身を投げ以て最後の解決を計つたことを述べたものである、是れ世に数多き事である、何故ヨブは此道を採らなかつたのであるか、実に死が最上の道なりと思はるゝ場合は慥〔たし〕かに在るのである、トマス・フードの詩「悲歎の橋」(Bridge ofSighs)の如きは一貧婦の自殺を描けるものであつて、之を読んで誰人も其自殺の同情すべき者なるを思ふのである、又我が『平家物語』に於ける三位通盛の妻小宰相の自殺の如きも此類〔このたぐい〕である、実に或場合には自殺が最上の、そして最美の道と見ゆるのである。
 
○しかしヨブは自殺しようとは思はなかつたのである、聖書は徹頭徹尾自殺を否認してゐるのである、旧新両約
聖書を通じて自殺を記述せるは唯〔た〕だ四つのみである、其一はギルボア山に於けるサウルの自殺、其二はイスカリオテのユダの死である、其三はアヒトペルの場合(サムエル前〔後〕書十七章一以下) 其四はジムリのそれである(列王紀略上十六章十八)、孰〔いず〕れも信仰を失ひし者の自殺である、人生の禍悉く臨みて死を懐〔おも〕ふや切なりしヨブすら自〔みずか〕ら生命を絶たぬのである、十一節―十九節を熟読せよ、そこに彼の死を慕ふ心は痛切に表はれ居れど自殺せんとの心は微塵(みじん)も出てゐないのである、「何とて胎より出でし時に気息(いき)絶えざりしや……然らば今は我れ偃(ふ)して安んじ且眠らん」とありて、彼は生れて直に死せしならば今墳墓にありて如何に安けき哉〔かな〕と歎いたのである、彼は今此所〔ここ〕に墓に行き度しと望んだのではない、又「斯る者は死を望むなれども来らず」とあるは彼が自然死を求むれど得ざるを悲みし語であつて、自殺と云ふ観念が彼の心に全然なかつたことを示すのである、彼は自殺の罪なることを能く知つてゐたのである、彼れもし此時自殺せしならば自身が後の大歓喜に入る能〔あた〕はざりしのみならず、約百記の現はるゝ筈〔はず〕もなく従つて永久に之を以て人を慰むることも出来なかつたのである、実に至大なる不利益であつたと云はねばならぬ、我生命を愛擁(あいよう)し之を善用して自他を益すべしとは聖書の明白なる教訓である、
問題が行きづまりしとて自殺を選ぶが如きは聖書の精神に反し又父の聖旨に背く行為である。
 
○しかしながら尚ほ云ふ人があるであらう、約百記、耶利米亜(えれみあ)記の如きに死を慕ふ言辞ある以上は、そして聖書が斯る言辞を平然として其儘〔そのまま〕載せ居る以上は、自殺を奨励せざるとするも少くとも自殺を是認するものにあらざるかと、しかし是れ一部を以て全部を蔽〔おお〕ふものである、一度旧約聖書を去て新約に入らんか此種の陰影は毫も認め難いのである、例へば哥林多〔コリント〕後書四章八節以下のパウロの言の如きを見よ、之を幾度繰返して読むも其偉大なる言辞たるを感じない事はないのである、日々死に面する如き迫害にありて生命と勇気に充溢(じういつ)してゐる其心理状態は実に驚異に値するものではないか、之をヨブの哀哭と比して霄壌〔しようじよう、雲泥(うんでい、〕の差ありと云ふべきである、しかし此理由を以てヨブを貶〔へん〕することは出来ない、この大なる差異はキリストを知ると知らぬに基因するのである、キリスト降世以後に生れしパウロはキリストを知れる故にかの大安心あり、キリスト降世以前に生れしヨブは未〔いま〕だキリストを知らざる故にかの大哀哭があつたのである、そして此キリストを暗中に捜索(さうさく)せんするが即ちヨブの苦闘史である、約百記一巻四十二章、要するに是れキリスト降世以前のキリスト探求史である、実に悲痛なる探求である、故に悲痛なる文字を衣としたのである、又キリスト出現前のキリスト探求史なる故に或意味に於て救主出現の予表であり、又福音以前の福音であるのである。
 
寔〔まこと〕に人の苦痛は人の慰藉を以て慰めることは出来ない、人の千言万語も此点に於ては何等の益ないのである、たゞ主イエスキリストを知りて凡ての苦難に堪へ得るのである、ヨブの苦闘が進でパウロの救主発見に至つて苦痛は苦痛でなくなるのである、キリストが心に宿るに至つて人の慰藉を待たずして苦痛に堪へ得るに至るのである、一度パウロの如き心を我に実得し得ば凡ての難問題が難問題でなくなるのである、最も不幸なる人さへ最も幸なる人となり得るのである、然るに世には不幸に会せしため信仰的自殺を遂げし人が少なくない、是れ肉体的自殺と相選ばざる忌むべき事である、我等はキリストに縋〔すが〕りて凡ての悲痛艱苦に勝つべく努めねばならない。
 
○ヨブの此哀哭の真因如何〔いかん〕、第六の禍(わざはい)までは彼を歎かしめず第七の禍来つて彼の哀哭生じたと前に説明した、併し第七の禍即ち友の誤解は此哀哭を爆発せしめし誘因たるに過ぎない、他に彼の悲痛の深き原因があつたのである、それは神に棄てられしとの実感であつた、彼は此種の災禍続々として降るに会してヱホバの真意を測り得なかつたのである、之等の禍を受くべき丈の罪科彼にあらざるに神は何故に彼をのみ斯くも苦しむるか、多分神は彼を棄て彼を離れ去りしなるべしと、是れ彼の心の底に潜みし懐疑であつた、そして三友の彼を正解せざるに会して此懐疑は奔流の如く心の表(おもて)に現はれて彼の口より大哀哭を発せしめたのである、病の真因に穿〔うが〕ち得ざる庸医〔ようい〕の見舞に接して患者の病苦は倍加し独り自ら解決を得べく突き進んだのである。〔以上6、・10
 
 
 
 
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しだれ桜@御代田、5月1日