内村鑑三マタイ伝 8講

イメージ 1
 
8講 第二回夏期講談会に於て読まれし聖書の部分並に其略註
第三日馬太伝第一章一節より十六節まで、
アブラハムの裔〔こ〕なるダビデの裔イエスキリストの系図
 
アブラハムイサクを生み、イサクヤコブを生み、ヤコブユダとその兄弟を生めり、ユダタマルに由てパレスとザラを生み、パレスエスロンを生み、エスロンアラムを生み、アラムアミナダブを生み、アミナダブナアソンを生み、ナアソンサルモンを生み、サルモンラハブに由りてボアズを生み、ボアズルツに由てオベデを生み、オベデエツサイを生み、エツサイダビデ王を生み、ダビデ王ウリヤの妻に由りてソロモンを生み、ソロモンレハベアムを生み、レハベアムアビアを生み、アビアアサを生み、アサヨサパテを生み、ヨサパテヨ
ラムを生み、ヨラムウツズヤを生み、ウツズヤヨタムを生み、ヨタムアカズを生み、アカズヘゼキヤを生み、ヘゼキヤマナセを生み、マナセアモンを生み、アモンヨシアを生めり、バビロンに徙(うつ)さるゝ時ヨシアエホヤキンと其兄弟を生み、バビロンに徙されたる後エホヤキンシアテルを生み、シアテルゼルバベルを生み、ゼルバベルアビウデを生み、アビウデエリアキンを生み、エリアキンアゾルを生み、アゾルザドクを生み、ザドクアキムを生み、アキムエリウデを生み、エリウデエリアザルを生み、エリアザルマツタンを生み、マツタンヤコブを生み、ヤコブマリヤの夫ヨセフを生めり、此のマリヤよりキリストと称ふるイエス生れ給ひき。
略註
乾燥無味の記事として之に注目する者少し、然れども是れ亦聖書の記事なり、且つ新約の巻首に掲げらるゝ者なり、其中に黄金の真理なくんばあらず。
斯くも精密なる系図を有ちしイエスキリストは確かに歴史的人物たりしなり、彼は福音記者の想像に成りし小説的人物にはあらざりしなり、彼は確実なる祖先を有せり、彼は神の化権なりしのみならず、又肉躰の人たりしなり、彼は実に「人なるイヱスキリスト」にして、彼に関する記録は実録なり、世に系図を以て始まる稗史〔はいし〕小説あるなし、福音書はイエスの実伝なり。系図中婦人の名を留る四つ、タマルなり、ラハブなり、ルツなり、ウリヤの妻なり、而してタマルは如何にしてヤコブのためにパレスとザラとを生みしか、其耻づべき記事は之を創世記第三十八章に見よ、ラハブはエリコの娼婦なりし、ルツは異邦モアブの婦人なりし、而してウリヤの妻とて茲〔ここ〕に掲げられたる者はバテシバと称(とな)へてダビデの辱かしむる所となりし者ならずや、「吾等は姦淫の子にあらず」とはパリサイ人の誇りし所なり、然るに茲に神の子として生れ来りしイヱスキリストは其祖先の中にパレス、ソロモンの如き姦淫に由て姙まれし父を有てり、且つ彼れキリストは其肉躰にユダ人が擯斥〔ひんせき〕して止まざりしモアブ人の血を受け、爾〔し〕かのみならず、最も賎むべき娼婦すら神の子の祖母たるの栄誉に与かれり、而して記者馬太〔マタイ〕は此事を記掲するに躊躇せざりしのみあらず、五十二人の祖先の名を記するに当て只僅に此耻辱の歴史を有する四人の婦人の名を掲げぬ、是れ抑々〔そもそも〕何が故
ぞ、吾人の大に攻究すべき問題ならずや。
是れ一にはキリストは万国の民の救主たるを示んが為ならざる可らず、ユダ人のみならず、ルツの国人たるモアブ人も、ラハブの国人たるカナン人も、亦〔また〕バテシバの国人たるヘテ人(加奈太〔カナダ〕の学者ライト氏の説に依れば今の日本人は往昔〔むかし〕のヘテ人の子孫ならんと)も皆な彼の救済に与かるべき者なることを示さんためならざるべから
ず。
二にはキリストは罪人の救主たるを示めさんが為めならざるべからず、異邦人は勿論娼婦も妾も、私生児も総て彼の救済に与かるの資格を有する者なり、馬太〔マタイ〕はイエスの実伝を綴るに当て劈頭〔へきとう〕第一先づ事実を以て此大福音を述ぶ、耳ありて聴ゆる者は聴くべし。
爾かのみならず、五十二名の祖先中ソロモンの如く堕落せし者もあれば、マナセ、アモン、エホアキンの如く偶像崇拝に沈淪〔ちんりん〕し、ヱホバの目の前に総ての悪を為せし者もあり、イエスは其祖母に於てのみならず、亦其祖父に於ても名誉あるの歴史を有せず、若し其系図を以てせば救主イエスキリストは他の人類と少も異なる所あるなし、系図に就て誇るは愚なり、悪人の子に善人あれば善人の子に悪人あり、人は彼自身の価値に以て鞫(さば)かる、イエスは吾等と均しく罪の肉体を受けて生れたり、然れども彼の聖善の霊に由て之を聖〔きよ〕め給へり、吾等の肉の汚(けが)るゝが故に失望すべからず、そはイエスは彼の霊を以て之を潔め給へばなり。