十字架を負うとは

人はパンのみを以て生きるものではない。正義、真理、神、愛、によって生きる。これらは全世界よりも尊いものである。

人が身を処するのに当たって,彼は風の方向や世の風潮に眼を注いではならない。霊には霊界の法則があって、人はこの「自由の律法」に従ってのみ裁かるるものであると,これが自由の精神であります。
 
十字架を負うとは、
「もし我に従わんと思う者は己を棄て、その十字架をおいて我に従え」とは彼が彼の弟子たらんと欲する者の覚悟を
述べられたる言葉である。
十字架は,恥辱、圧服、虐待の印である。そうしてこれを負うの覚悟無くしてキリスト信者となることは出来無い。

十字架は我等が世に勝つための唯一の武器である。そうして十字架によりて世に勝とは十字架の旗印のために剣を抜くことではない。十字架を負うとは負けることである.全然敵に譲ることである.

敵の善を思うことである.彼に愚弄せられることである。そうしてついに神によりて勝利を獲ることである。

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